孵りたくなんて無かった卵への応援コメント
昔、テレビでニート特集を見ました。そこでインタビューを受けていた人が、ぴよ吉と全く同じことを言っていたんです。最近の言葉で言えば、子供部屋おじさんですね。とても印象に残っています。
ぴよ吉の意識は、自分が一歩前に進む方向には向かず、先輩面して同類を励ます方に行ったんですね。ベクトルが間違っているから、何も産まないのは、仕方ないのかなぁ、と。
面白かったです、いろいろ考えてしまいました。
企画にご参加いただきありがとうございました。
作者からの返信
読んでくださってありがとうございます。
この作品を書いているとき私は、「なんか家畜がヒトの真似事をしていたらシュールで面白いかな」と考えていました。
ひよこや卵に慇懃な日本語を使わせることばかりに意識が向いていて、物語の内容についてはいろいろと無理をさせている気がして不安でした。
けれども柴田さんが『面白かったです、いろいろ考えてしまいました』と言ってくださったから、書いてよかったなって思います。
ぴよ吉に対してニートのおじさんというイメージはとても似合っていると感じました。
なんかこう、失礼な言葉になっちゃうかもなのですが、先輩風びゅんびゅんのニートのおじさんというのは、直接関わらずに傍から眺めている分には可愛らしい印象を持つんじゃないかなって私は思いました。
だから、ぴよ吉のシュールさが増していいなって思いました。
コメントのお言葉、うれしいです。
孵りたくなんて無かった卵への応援コメント
芥川龍之介の『河童』の河童の出産を思わせながら、それでも消えることはできず、産まれ出ねばならないのが悲惨ですね。
産まれる前から自分自身に絶望しているというのが、もう何とも救いがたい境遇で。
ぴよ吉も両親も、いっそ自分にも家族にももっと不誠実であれば、ここまでこじれた悲劇は起きなかったのでは、と思うといたたまれないものがあります。
このいまだ孵らぬ卵も、先達の説得に靡かず、逆にその苦境に憧憬を感じるあたり、もう自身に絶望しきっているのかも、と感じました。
作者からの返信
読んでくださってありがとうございます。
私がこの作品で書きたかった主要なものは、「なんか流暢に丁寧な人語を話す家畜とか卵」でした。
そして積極的に意識して寄せていたわけではないのですが、人語を話すヒト以外のシュールなものしてのイメージ例としてあったのは、まさに芥川さんの『河童』でした。
だから武江さんがコメントで芥川さんの『河童』に触れてくれたのがうれしいです。
感想のお言葉をくれてとてもうれしいです。
ありがとうございます。