そちらさま

みのりんご

そちらさま


 みなさんは、地域で伝わっているしきたりとか、習わしとか、そういった類のものはあるでしょうか?

 神社における二礼二拍手一礼や、食事の際の「いただきます」「ごちそうさま」といった言葉も、そういうしきたりに含まれるでしょう。当たり前に行っていたしきたりが、実はとても閉鎖的なものだったりするのです。


 私の生まれ育った集落では、喜寿を、それはそれは盛大にお祝いするというしきたりがありました。集まるのは親戚だけではありません。集落中の人々が集まり、普段は挨拶しかしないような人たちまで、まるでお祭りかのように集まります。運ばれてくる料理もとても豪華で、赤飯、タイなど縁起のいいものはもちろん、名前のよく分からない郷土料理まで並びます。

 私も高校生の頃に、この喜寿に参加したことがあります。近所のおじいさんの七十七歳の誕生日です。おじいさんの親戚はもちろん、集落中の人々が参加し、お祝いをしました。恐らく、おじいさんの人生で最も盛大に祝われた誕生日だったことでしょう。

 おじいさんは、くすんだ色のちゃんちゃんこを着せられていました。へにゃっと表情を崩して、親戚や私を含めた集落の人々一人ひとりに感謝の言葉を述べていました。その顔は笑っていましたが、目の奥が少し曇っているように感じました。


 宴の途中で、突然、声がかかりました。


 「………そろそろ、行こうか」


 それを聞き、親戚も集落の人々も、みな立ち上がり、黙って家を出ました。

 訪れたのは、集落の外れにある小さな神社です。みんなは鳥居の前で立ち止まり、おじいさんは鳥居のある階段の方へのぼっていきました。

 おじいさんの息子さんが、おじいさんの名前をハッキリと呼びかけます。おじいさんは笑顔のままこちらを振り返り、そして鳥居をくぐっていきました。

 しばらくして、おじいさんは何事もなく戻ってきました。先程の盛大なお祭りからうって変わって、人々の間には静寂が流れます。そして、そのまま何も言わず、各々の家に帰っていきました。誰もおじいさんに手を振ることはありません。


 その日を境に、おじいさんはそちらさまになりました。


 おじいさんは普通に家にいます。普通に喋ります。普通に物を食べます。ただし、話しかける時には、もう誰もおじいさんの名前を呼びません。


 「そちらさま、寒くはありませんか」

 「そちらさま、お茶をおいれしましょうか」


 徐々に、おじいさんに干渉する人は少なくなりました。もちろん、最低限のお世話はします。しかし、必要以上の会話はしません。会話をしてはいけないわけではありません。誰もしたがらないのです。

 その後、私は大学進学を機に上京し、そのまま都内に就職しました。それきり、おじいさんには会っていません。何度か帰省もしました。おじいさんの家はまだあります。生活している痕跡もあります。しかし、おじいさんを見かけたことはありません。

 まだ住んでいるのか、ぼんやり尋ねると「もう、そちらさまになられたからね」誰に聞いても、同じような言い方でそう返ってきます。それ以上は怖くて聞けません。

 社会人になってから、帰省の頻度も段々と落ちていきました。故郷は好きですが、正直、あまり戻りたくないのです。




 先日、母親から連絡がありました。


 「そろそろ、あなたの喜寿だから、今年はみんなで集まりましょう」と。


 私は、今年で七十七になります。まだ、そちらさまには行きたくないのですが。

  

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そちらさま みのりんご @Minori4pple

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