解体屋の俺、なぜか世界最強ギルドの顧問に指名される 〜「原子レベルの分解」で魔法も魔物もバラバラにしていたら、最強の女帝に拉致されました〜

いぬがみとうま

第1話:その解体屋、ただ者ではない

 湿った空気と、鼻を突く魔力の残滓が充満している。

 都心から外れた場所にある第十三廃棄区画。ここは「ダンジョン」から運び出された魔物の一時保管も担っているが、基本は魔物の残骸や、破損した魔導武装が積み上がる、文字通りのゴミ溜めだ。

 鉄錆と、腐りかけの魔物特有の悪臭が混じり合う中、俺――カイは、巨大な鋼鉄の塊と向き合っていた。


「おい、カイ! まだ終わらねえのか! その『鋼鉄のサイ』を今日中にバラさねえと、今日のメシ抜きだぞ!」


 上司である現場監督の怒声が響く。俺は適当に返事をしながら、右手の中にあるボロい解体ナイフを握り直した。


 目の前にあるのは、ランクCの魔物『アイアン・ライノ』の死骸だ。その皮膚は特殊な魔導金属で構成されており、通常のチェーンソーや魔法剣では傷一つつけることができない。


 熟練の解体師でも、一台の重機を使い潰して、ようやく一部分を切り取れるかどうかという代物だ。


 周囲の連中は、俺を「ただの解体作業員」だと思っている。

 魔法の才能がなく、学歴もなく、ただ力仕事に従事するしかない底辺層。それが、この社会における俺の立ち位置だ。


 現実は少し違う。


(……見えた。分子構造の接合部、魔力の循環経路の弱点)


 俺には、前世の記憶がある。

 かつて材料工学の研究者として、物質の最小単位にまで踏み込み、その組成を研究していた男の知識。


 その知識と、この世界で得た「魔力視」が融合したとき、俺の視界は常人とは全く異なるものへと変貌した。

 世界が、数式と構造線だけで構築された、透き通った図面のように見えるのだ。


 俺は無造作に、ナイフの先をライノの首元に突き立てた。

 力は全く込めていない。ただ、魔力の流れが最も不安定な一点を、正確に突くだけでいい。


 パキリ、という乾いた音が鳴る。

 次の瞬間、トラック一台分ほどもある巨体が、まるでパズルのピースが弾けるようにバラバラへと崩れた。


 切り口は、鏡面のように滑らかだ。

 重機を使っても数日はかかる作業を、俺はものの数秒で終わらせる。


「……ふう。これで終わりか」


 俺は額の汗を拭い、軍手を外した。

 この「構造解体」は、効率的でいい。

 必要最小限の労力で、最大限の結果を出す。それが俺のモットーだ。

 この平穏な作業時間は、場違いな咆哮と、轟音によって破られることになった。


「――どいて! そこを退きなさい!」


 鋭い声と共に、廃棄区画の入り口が爆発した。

 砂煙の中から現れたのは、目を疑うような集団だった。

 汚れ一つない純白の魔導外套を纏い、腰には国宝級の魔法剣を下げている。

 その中心に立つのは、燃えるような紅蓮の髪をなびかせた、一人の少女だった。


 シエル・アークライト。

 世界ランク一位ギルド『銀翼』の副長であり、人類最高峰の魔術師の一人だ。

 テレビのニュースで毎日のように見る有名人が、なぜこんな不潔なゴミ溜めに現れたのか。


「第十三廃棄区画の責任者はどこ!? 今すぐ『黒金くろがねの魔竜』の角を持ってきなさい!」


 シエルの顔は、怒りと焦りに満ちていた。

 彼女の背後では、重傷を負った魔術師たちが担架で運ばれている。

 何かの事故が突発的な戦闘で装備が破損し、緊急の修理素材が必要になったのだろう。

 現場監督が、這いつくばるようにして彼女の前に飛び出した。


「シ、シエル様! このような場所へ、一体……! 魔竜の角なら、あちらの保管庫にありますが、まだ解体処理が済んでおりません!」


「なんですって!? あれはダイヤモンド以上の硬度を誇るのよ! 今すぐ加工しないと、仲間の魔法障壁が持たないわ!」


 シエルが指差した先には、確かに全長十メートルを超える巨大な黒い角があった。

 『黒金の魔竜』。ランクSクラスの最上位モンスターだ。


 その角は魔力を通さない絶縁体であり、同時に魔法を反射する特性を持つ。

 解体するには、数千度の高熱で一ヶ月間加熱し続けるか、特殊なレーザーで少しずつ削るしかない。

 今この場で、すぐさま加工するなど、神業でもなければ不可能だ。


「ど、どうしましょう……! 本部の加工職人を呼ぶにしても、三時間はかかります!」


 責任者が青ざめ、狼狽する。

 シエルの表情が絶望に染まる。彼女の手には、仲間の命を守るための結界石が握られていたが、その光は今にも消えそうだった。


 周囲のエリート魔術師たちは、無能なゴミ溜めの作業員たちを忌々しげに睨みつける。

 俺は、その様子を少し離れた場所から眺めていた。


(……面倒くさいことになったな)


 関わりたくはない。

 平穏に、解体作業をして日銭を稼ぐ生活が気に入っている。

 だが、あそこで担架に乗っている男の腹部から漏れている魔力の波形は、かなり危険な状態だ。


 あと数分で魔法障壁が砕ければ、体内の魔力が暴走し、彼は死ぬだろう。

 前衛で戦う者が、仲間のためにボロボロになっている姿を見るのは、あまり気分が良いものではない。

 前世で「救える命を見捨てない」という信念を持って研究に打ち込んでいた自分としては、少々寝覚めが悪い。


 俺は無言で、腰のベルトから新しい解体ナイフを取り出した。

 ホームセンターで買った、一五〇〇円の安物だ。

 そのまま、シエルたちの脇をすり抜け、魔竜の角へと歩み寄る。


「ちょっと! 何をしてるの、あんた!」


 シエルの叫びを、無視する。

 俺の目は、すでに黒い角の内部構造を解析し終えていた。

 この素材は、表面に強力な電子結合の歪みがある。

 基部から三センチ左、そこから内部に向けて螺旋状に走る「原子の断層」がある。

 そこに、ほんの少しの振動を与えるだけでいい。


「危ない! その素材は魔法を反射するわ! 下手に触ればあんたの腕が吹き飛ぶわよ!」


 シエルが制止の手を伸ばす。

 彼女の指が俺の肩に触れるかどうかのタイミングで、俺はナイフを振り下ろした。


 斬るのではない。

 刺すのでもない。

 ただ、ナイフの柄で「コン」と角の表面を叩いただけだ。


 瞬間。

 キィィィィィィン、という鼓膜を揺らす高周波が響き渡った。

 次の瞬間、無敵の硬度を誇るはずの魔竜の角が、まるでガラス細工のように割れた。

 しかも、シエルたちが要求していた「修理に最適な形状」で、完璧な薄切りとなって。


「え……?」


 シエルの動きが止まった。

 周囲の喧騒が、嘘のように消える。

 エリート魔術師たちが、信じられないものを見たという顔で固まっている。

 俺は、切り出した角の一枚を拾い上げ、呆然とするシエルの手に押し付けた。


「ほら。これが必要なんだろ」


「……あ、あんた。今の、何をしたの?」


 シエルの声が震えている。

 彼女は、最高峰の魔術師だ。だからこそ、今起きた現象が「単なる力」によるものではないことを、本能的に理解してしまったのだろう。

 物理法則を超越した、圧倒的なまでの「理解」と「制御」。

 それは、彼女たちが生涯をかけて追い求める、魔法の真理そのものだったからだ。


「ただの解体だ。仕事が終わったなら、さっさと行ってくれ。邪魔なんだよ、エリート様は」


 俺は背を向け、自分の作業場に戻ろうとした。

 背後から凄まじい魔力のプレッシャーが押し寄せてくる。

 振り向くと、シエルが顔を真っ赤にし、瞳を輝かせながら、俺の腕を掴んでいた。


「逃がさないわよ……! あんた、名前は!? どこでその技術を学んだの!? いいえ、そんなことはどうでもいいわ! 今すぐ、私と一緒に来なさい!」


「はあ? 断る。俺は今日の分のノルマがあるんだ」


「ノルマ!? そんなもの、私がこの廃棄区画ごと買い取ってあげるわ! あんた、自分が何をしたか分かってるの!? 現代魔導学の常識を、たった一撃で粉砕したのよ!」


 シエルの叫びは、ゴミ溜めの空にどこまでも響き渡った。

 こうして、俺の「平穏な解体屋生活」は、一人のわがままな天才魔術師によって、唐突に終わりを告げた。


 ――これが、後に「魔導工学の父」と呼ばれる俺と、世界最強の女帝シエルとの、最悪で最高の出会いだった。


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