第6話

「かんぱーい!!」


 その日の夜は、練習生の宿舎の食堂で打ち上げが行われた。


 いつもより豪華な食事と酒は、食堂からのお祝いとして振る舞われるのが、毎年の恒例だ。

 冷たいビールを片手にイアンが音頭を取り、成人している男たちは一斉に酒をあおった。


「俺たち本当によく頑張ったよなぁ! 1年間の禁酒も耐えたし! 今夜は騒ぐだけ騒いで、明日は1日ゆっくり休んで、全員で入隊試験をクリアしような!」


「この間まで逃げ出そうとしていた奴がよく言うぜ」


 こちらもビールを一気に飲み干したアイザック。


「俺、スライムならもう何匹でも倒せるからな! ゴブリンだって1匹仕留めたし」


「ゴブリン1匹で胸を張るなよ」


 そう言って突っ込むアイザックの表情も、心なしか明るい。彼もまた、実地訓練で自分自身に手応えを感じるようになっていた。


「私も今日、ゴブリンを倒せたよ。ウィル君の助言のお陰だ」


「おっちゃんが頑張ったからだろ」


 どこか照れ臭そうに視線を逸らすウィル。


「いやいや、ウィルの力は大きいぜ! 初めは生意気で可愛げのないガキだと思っていたけど、そんなガキに負けたく無いって気持ちで俺たち今日まで頑張ってこれたんだからな!」


 練習生の誰かが言うと、そうだそうだと笑い声が上がった。


「生意気で可愛げがないままじゃねぇかよ」


 ジト目で不貞腐れて、近くにあったビールのジョッキに手を掛ける。


「おいおい、お子様はオレンジジュースだろ」


「なんだよ! 打ち上げなんだからちょっとくらいいいだろ!」


「試験目前で補導されるつもりか、馬鹿たれ」


 アイザックに取り上げられて、ますます不貞腐れた。

 アイザックはそのまま、そのビールを喉に流し込む。


「あー、うめぇ! カスト。あんたは飲まないのか?」


「ああ。なんだかホッとしたせいか、胃の調子が良くなくてね」


「足腰だけじゃなくて、メンタルも鍛えた方がいいんじゃね?」


 ウィルの言葉に、カストは温和に笑って頷いた。

 ーー宴もたけなわになってきた頃、カストはそっと席を立った。それに気付いたウィルが声を掛ける。


「おっちゃん、もう部屋に戻るの?」


「今日の訓練の疲れが尾を引いていてね。先に休ませてもらうよ」


「じゃあ俺もーー」


「おいぃぃ! ちびガキ! どこ行く気だぁ? あぁ?」


 カストに続いて離席しようとしたウィルの肩に、腕を回して座らせるアイザック。もはや何杯酒を飲んだのかもわからないが、紅潮した顔に浮かべているのは、上機嫌な笑顔である。


「うぜぇよ、酔っ払い! 酒も飲めねぇし、可愛い女の子もいねぇし、つまんねぇんだよ」


「お前も飲めよ! 遠慮するな!」


「アイザックー! さっきと言ってる事が違うぞー!」


 ウィルに酒を注ごうとするアイザックを止めに入るイアン。


「まったく……君たち、犬猿の仲のまま練習生を終えるかと思っていたのに、結局仲良くなったんだね」


『なってねぇよ』


 仲良く声をハモらせた2人。

 アイザックは乱暴にウィルの頭をこねくり回す。


「最後までこいつの素性、わかんねぇままだしよ」


「それは確かに。そろそろあの噂、どれが正解なのか教えてくれよ」


「噂って?」


 イアンに詰め寄られ、ウィルは眉を顰めた。

 すると会話を聞きつけた周りのテーブルから、次々に声が飛んでくる。


「親に捨てられた孤児」


「家出した不良少年」


「身売りに出されたところを部隊長に助けられた無戸籍児」


「部隊長の隠し子」


「ティルア帝国のスパイ」


「どっかの国の貴族」


「魔物に育てられた野生児」


 どんどん出てくる根拠のない噂の数々。ウィルは最初こそ呆れた表情でそれを聞いていたが、やがて堪えきれずに吹き出した。


「ティルアのスパイがいいな! それにしようぜ!」


 声を上げ、涙を流して笑うウィル。そんな彼を、アイザックは驚いた目で見た。


(何だよ……年相応の顔、できるんじゃねぇか)


「あー、久しぶりに笑った。全部嘘に決まってるだろ」


「じゃあせめて、お前に剣を教えたのが誰なのかくらいは教えろよ」


「……」


 ウィルの笑顔が、僅かに陰る。アイザックにこれを尋ねられたのは2回目だ。

 ウィルは胸元のネックレスをくるくると指先で弄ぶ。


 別に内緒にしたいわけではない。する意味もない。ただその名前を口にしようとすると、形容し難い何かが喉を塞ごうとするのだ。だから出来るだけ何も考えないように、ただの音として、声を絞り出す。


「……親父」


「なんだ、親父さんか。意外でも何でもねぇな。親父さんは剣士か?」


「ただの大工だよ。俺の……」


 喉の奥が苦い。唾を飲み込み、込み上げてくるものを押し戻す。


「俺の村の周りは魔物が出るから、どこの家にも自衛の為に剣があった。5歳の誕生日プレゼントは剣だったし、ツレと遊ぶ時はスライムの的当てだった」


「ウィルの村って……ティルア帝国?」


 ティルア方面に出張していた部隊長がウィルを連れて帰ってきた、という噂を思い出してイアンが問う。


「ティルアの国境近くだけど、イシュタリアだよ」


「イシュタリアの領土内だったら、剣士隊の管轄じゃないの? 第3部隊の支部隊とか」


「知らねぇよ。少なくとも俺はあのおっさんが村に来るまで、グリーンヒルの剣士なんかは見たことが無かった。すげぇ田舎の山の中だったから、村があるなんて知らなかったのかもな」


 あのおっさんーー部隊長だ。

 まだ10ヶ月……と、ウィルは思う。あの村で部隊長と出会ってから、まだ10ヶ月しか経っていない。あの頃の自分が今の自分を見たら、どう思うだろうか。


(きっと信じねぇな)


 今だってまだ、嘘なのではないかと思う時があるのだから。けれどウィルの指に触れるネックレスの感触が、否応なくこれは現実なのだと突きつけてくる。


「それにしても、君のご両親はよく君を送り出せたよなぁ。いくら剣の扱いに慣れているからって、まだ12歳だろ? 俺だったらーー」


「イアン。酒が足りねぇわ。貰ってきてくれ」


 イアンの言葉を遮って、アイザックは空いたグラスを彼に押し付けた。イアンは不服そうな顔をしながらも、厨房の方へと歩いて行く。


「ウィル。お子様はもう寝る時間だ。部屋に戻れ」


「なんだよ、急に」


 しっしっ、と手を振ってウィルを追い払う。ウィルもこれ以上この話題を続けるのは嫌だったので、ちょうどいいと席を立った。

 階段を上っていく小さな背中を、アイザックは複雑な顔で見送る。


「ちっ……酔いが醒めちまった」


 イアンは気付いていなかったのだろう。ウィル自身も、どこまで自覚があったのかわからない。


 ウィルが自分の村の話をした時のあの、今にも泣き出しそうな顔。必死になんでもない風を装って、喉の奥で嗚咽を飲み込んでいるように、アイザックには見えた。


 おそらくウィルの両親はーー少なくとも父親は、もうこの世にはいないのではないだろうか。


「イアン! 走れ! 早く酒持ってこい!」


 なんとも言えない後味の悪さを、アイザックは酒と一緒に飲み込んだ。

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