例えば肩に落ちた雪のように
月波結
例えば肩に落ちた雪のように
紺のダッフルコートの肩で、雪がパサッと音を立てた。冷たい六角形の結晶が見える気がした。
灰色の空から舞い降りる花びらを、遠く見上げる。
手が届きそうに重たい空だった。
「雪予報、出てたよな」
「小さい雪だるまがついてた。あんなの信じるヤツいるかよ」
「だよなぁ、ここ数年、ちっとも降らなかったしな」
俺より背の高い、顔の小さな井坂の鼻先が赤く染まっていた。
吐く息の白さが白く見えないくらい、大粒の欠片は街をどんどん覆っていく。
かじかんだ指先に、ポケットの中の小さなカイロだけが温かい。
「なんも、自由登校ももうすぐ終わるって時に降らなくてもな」
井坂の呟きが宙に浮く。
何も言えなかった。
どんなにがんばっても、卒業式は遠くならない。”巣立ち”という名の別れは、不可避なものだった。
「そんな顔するなよ。東京に行ったって会えるだろう? 端と端ってわけじゃあるまいし」
「かもな。努力すれば」
「そうだよ、会いたい時に連絡すればいいし」
「会いたくなればな」
「なんだそれ? 冷たいな」
その、のんきな横顔は空を見上げていた。細いフレームの眼鏡の、プラスチックレンズにも否応なく雪が落ちる。ひらひら、無軌道に。
それは、誰にもどうしようもなく。
「井坂、俺さ、ほんとバカで、合格することばっかり一生懸命になっててさ、同じ”東京”に進学すれば、今まで通りかなって思ってたよ。中学も高校も、当たり前みたいに一緒だったからさ」
「いつまでも”当たり前みたい”ってわけじゃないだろ?」
その問いには答えられなかった。
井坂の言葉は、感覚のない耳の先を痺れさせた。
俺は、沈黙を守った。
雪はすべての音を奪って、井坂のコートの肩で滲む。溶けていくひとひらは、ただの水になる。その様を見ている。
「正木さ、⋯⋯言おうか迷ってたんだけど、俺、知ってた本当は、お前の気持ち」
え、と鼻先の赤い横顔を見る。こっちを見ていない。声だけが、淡々と続く。
「それで、どうしたらいいのかなって、随分考えた。積分の問題を解く指が止まるくらいには。まぁ、それくらい難しかったって例えだけどさ。でもさ」
井坂はそこで足を止めた。
ドキリと胸が痛む。
いい答えなんて、予想もできない流れだった。
「俺も正木のこと、好きだよ。離れたくないって思うくらいには。でもさ、それは手を繋いだり、キスしたりするような関係じゃなくちゃダメか?」
「⋯⋯ダメじゃない。会ってくれるだけでもうれしい」
目の端に、氷の粒が一欠片。溢れそうになって、凍った。
「難しいんだ。入試問題より、正木のことを考えることの方がずっと難しかった。俺、これから先も、お前と切れる気はないんだよ。”当たり前みたい”に、一緒にいただろ?」
鼻をすする。
鏡がないので、自分がどんな酷い顔をしているのかわからない。だけどきっと、恨みがましいみっともない顔をしているに違いない。
「だから⋯⋯俺の自惚れじゃないなら、嫌いにならないでくれ。もしかしたら俺の方が遅れてて、お前の気持ちに追いつくことができるかもしれないし。幸い理系だから、女子も少ないだろうしさ。つまり――」
「つまり、同情してるってこと?」
「短気だな。落ち着いて話を聞けよ」
そう言うと井坂は、ん、と喉の調子を整えた。
「⋯⋯つまり、それくらい俺にとって、お前は特別だってこと。今すぐに気持ちに応えられなくてごめん」
そこまで言うと井坂は初めて俺を見て、手を伸ばすと頭についた雪を払った。それは優しい、よく知った手だった。
コンクリート塀の上にはもう、雪が積もっていた。この雪は明日には溶けてしまうだろう。
そしていつも通りの毎日が始まる。
卒業までの日にちを、指折り数える日が。
会えない日々が気持ちを募らせるって歌ったのは誰だったっけ。
小さく鼻をすすった。
(了)
例えば肩に落ちた雪のように 月波結 @musubi-me
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