聖夜の雨
夏宵 澪
聖夜の雨
いつもどおり、何もなかった。
ただ、雨が降っていた。
今日はクリスマス。
街は静かで、濡れたアスファルトが信号の色を引き延ばしている。
浮かれた音楽は遠く、傘に落ちる雨の音のほうが近い。
私、上城葵は恋人もいない。
ごくごくどこにでもいる女子中学生だ。
友達はいるし、学校も嫌いじゃない。
それなりに笑うこともできる。
それでも、胸の奥にずっと乾かない場所があった。
雨は、優しいふりをして、いつまでもそこに溜まる。
帰宅途中の交差点。
信号が変わる、その瞬間だった。
――見つけてしまった。
人混みの向こう、傘もささずに立っている人。
濡れているのに、急ぐ気配のない背中。
「……誠也?」
声に出した自分に、少し驚いた。
それでも、彼は振り返った。
「久しぶり」
それだけで、胸の中がほどけた。
雨の音が、急に遠くなる。
「今日、クリスマスだよ」
「知ってる」
誠也は、そう言って笑った。
昔と変わらない、余計なことを言わない笑顔だった。
私たちは並んで歩いた。
特別なことは何もしなかった。
コンビニで安いケーキを買って、
濡れたベンチに腰を下ろして、
甘すぎるクリームを半分こした。
「寒くないの?」と聞くと、
「まあね」とだけ返ってきた。
誠也はいつもそうだった。
自分を説明しない。
誰かに合わせて形を変えない。
――世界がどうであれ、自分の立つ場所を疑わない人。
それが、誠也のかっこよさだった。
夜になっても雨は止まなかった。
街灯の下で、雨粒が白く跳ねる。
「また明日も会える?」
私がそう言うと、
「うん」と、誠也は言った。
その返事が、なぜか胸に沁みた。
◇
クリスマスの翌日。
雨はさらに細かくなって、空気が重い。
私たちは昨日と同じ道を歩いた。
同じように話して、
同じように沈黙した。
誠也は、少しずつ遠くなっている気がした。
声が、水の中から聞こえるみたいに。
「ねえ」
私が呼ぶと、
誠也は足を止めた。
「葵は、まだ雨が好き?」
答えられなかった。
好きかどうかなんて、考えたことがなかった。
深夜一時を回ったころ、雨が強くなる。
世界が洗い流されていくみたいだった。
誠也は言った。
「もう、ここまででいい」
私は、頷いた。
その瞬間、
世界には雨音だけが残った。
◇
翌朝、ニュースは静かだった。
昨日の未明、交差点付近で事故があったという。
誠也は、ずっと前に死んでいた。
それでもクリスマスのあの夜だけは、
私も誠也も生きていた。
――私は聖夜の夜に眠る。
聖夜の雨 夏宵 澪 @luminous_light
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