撈尸人(ろうしじん)
@Nebu
第1話 水底の歌
「ガキども、飯だぞ、食うぞ食うぞ~」
エプロンをつけた崔桂英(サイ・ケイエイ)は、左手に碗、右手に杓子を持ち、粥を煮た大鍋の縁を叩きながら声を張り上げた。 その横で水煙管(みずぎせる)に葉を詰めていた夫の李維漢(リ・イカン)は、女房の大きな尻を足で軽く蹴り上げ、不機嫌そうに罵った。 「頭に水でも入ったか、豚の餌付けじゃあるまいし」
桂英は夫を睨みつけると、重ねた茶碗をドスンと目の前に置き、ぺっと唾を吐くように言い返した。 「ふん、豚のほうがよっぽど静かだし、こいつらほど大飯食らいじゃないよ!」
呼び声と共に、戸口から子供たちが雪崩れ込んできた。男の子が七人、女の子が四人。一番上は十六歳、下は三歳。 李夫妻には四人の息子と一人の娘がおり、皆独立していたが、夏休みともなれば、親に預ければ食費が浮くとでも思っているのか、こぞって孫たちを送り込んでくるのだ。長男の家の子供を預かれば、他の家も断るわけにはいかない。かくして家の中は、まるで小学校のような有様になっていた。
孫に囲まれる幸せを噛みしめる間もなく、米櫃(こめびつ)の底が見え始めていた。 「半人前のガキは親を食い潰す」とはよく言ったものだ。育ち盛りの胃袋は底なし沼で、食事のたびに大鍋一杯の粥が消えていく。
「争うな、争うな! 餓鬼(がき)の生まれ変わりかお前らは。並びな!」 桂英が粥を配る列の最後に、十歳の少年が並んでいた。 デニムのサロペットに流行りのサンダル、肌は白く、少しはにかんだ表情。泥んこになって鼻水をすする他の従兄弟たちとは、明らかに雰囲気が違っていた。
「小遠侯(シャオユエンホウ)、さあ、ここにお座り」 「ありがとう、おばあちゃん」
桂英は少年の頭を撫でた。彼の名は李追遠(リ・ツイエン)。夫妻の末っ子である娘が生んだ、唯一の外孫だ。 娘は村で初めての大学生となり、北京で就職し、都会の男と結婚した。しかし半月前、軍服を着た男が追遠を連れてやってきた。娘からの手紙には、離婚したこと、旧姓に戻したため孫も「李」姓になったこと、そしてしばらく預かってほしいと書かれていた。
追遠はすぐに田舎の生活に馴染んだが、それでもやはりどこか浮いていた。 今日の食事はサツマイモ粥だ。甘くて美味いが腹持ちが悪く、すぐに腹が減る。 「ばあちゃん、今日は髭爺(ひげじい)の家の宴席に行かないの?」 次男の家の虎子(フーズー)、九歳が尋ねた。
桂英は箸の尻で虎子の頭を小突いた。 「この阿呆が。あれは葬式の精進落としだ。人が死んだんだぞ、毎日宴会があるわけないだろう」 「なんでダメなのさ、毎日あればいいのに」 「毎日死人が出てたまるかい!」 バンッ! と維漢が机を叩いた。「ガキに何てこと言わせるんだ」
桂英は気まずそうに、肉入りの塩辛い味噌をひと匙すくい、こっそりと追遠の粥に入れてやった。 「あ! ばあちゃん、僕も肉がいい! 遠(ユエン)兄ちゃんと同じやつ!」 「俺も!」「私も!」 子供たちが騒ぎ出す。 「うるさい! お前らの親からは一粒の米も貰ってないんだ。これは遠侯の母さんから預かった金で買ったもんだ、文句言うんじゃない!」
その時、三男の家の石頭(シートウ)が聞いた。 「ねえ、小黄鶯(シャオ・ホワンイン)はまだいる?」 「小黄鶯? 誰だそれは」と桂英。 「昨日、髭爺の家で歌って踊ってた人だよ。すっごく歌が上手くて、綺麗だった」
小黄鶯、本名は肖黄英(シャオ・ホワンイン)。三十過ぎのバツイチで、地方の葬儀一座の芸人だ。 歌も踊りも半端だが、派手な服と大胆なスリットから覗く白い太股、そして男を惑わすような目線が売りだった。村の女たちが「あばずれ」と罵り、同時に羨望する「色気」の塊のような女だ。
そこへ、隣人の趙四美(チョウ・スーメイ)が顔を出した。 「聞いたかい? さっき一座の座長が髭爺の家に怒鳴り込んだらしいよ」 「え、金のことかい?」桂英が身を乗り出す。 「違うよ、人が消えたんだとさ。あの、尻を振り回して踊ってた女だよ」 「小黄鶯か?」と潘子(パンズー)が口を挟む。 「そう、そのあばずれさ」四美は意地悪く笑った。「昨日の夜、髭爺の末っ子と川辺の林に入っていくのを見られてる。それっきり戻らないんだと」 「男のほうは?」 「知らぬ存ぜぬだとさ。でも村の衆は見てるんだよ。結局、髭爺が大金を払って揉み消したらしい」 「で、女は?」 「さあね。一座も金をもらって、女を探しもせずに次の現場へ行っちまったよ」 「なんとまあ……」桂英は眉をひそめた。「何もなけりゃいいがね」
「うわーん! 小黄鶯が、小黄鶯がいなくなった!」 虎子と石頭が泣き出した。 「やれやれ、色ボケした孫だこと」四美が笑う。
食後、維漢は水煙管を取り出したが、マッチが切れていた。 追遠がすぐに走り、新しいマッチを持ってきて、小さな手で風をよけながら火をつけてやった。維漢は目を細めて煙を吸い込んだ。 「爺ちゃん、午後、船で蓮(ハス)を摘みに行こうよ」と潘子。 「ああ、雷子(レイズー)も来い。網も持ってな。魚でも獲るか」 「僕も!」「俺も!」と小さい子たちが騒ぐが、維漢は一喝した。 「ならん。川には『水鬼(スイグイ)』がいる。お前らみたいな小さいのを水に引きずり込んで、身代わりにするんだ」 子供たちは静まり返ったが、維漢は追遠を見て言った。「小遠侯は来ていいぞ」 「えっ、不公平だ!」と虎子。 「小遠侯は外から来た子だ。ここの水鬼は顔を知らんから大丈夫なんだよ」 維漢はもっともらしい嘘をつき、煙を吐き出した。
……
村の家々は川沿いに建っている。 維漢は船のロープを解き、潘子、雷子、そして小さな竹籠を背負った追遠を乗せて竿を操った。 船が進むにつれ、潘子と雷子は寝転がり、追遠だけが背筋を伸ばして座り、水面を眺めていた。
「ラ~イ、ゾンシ~、チンチン……」 潘子が歌い出した。 「違うよ、昨日の小黄鶯の歌はそうじゃない」と雷子。 「じゃあお前が歌えよ」 「俺は歌詞わかんねえもん」 維漢が尋ねた。「何だその変な歌は」 「爺ちゃん、これは広東語の歌だよ。小黄鶯が歌ってた」 「小遠侯、お前は歌えるか?」
追遠は照れながらも、小さな声で歌い始めた。 「来日(ライリ)縦(ゾン)使(シ)千千闕歌(チンチンキュウゴォ)、飄於(ピウユー)遠方(ユンフォン)我(ンオ)路上(ロウション)……母さんが好きで、家でよく聴いてたんだ」 澄んだ声が水面に響く。
船は広い河道に出た。 維漢が網の準備をし、孫たちがはしゃいでいる時、追遠が不意に身を乗り出して指差した。 「爺ちゃん、あそこに黒い水草の塊があるよ」 「ん? どこだ?」 雷子と潘子が船をそちらへ寄せる。
維漢は網の結び目を解く手を止め、ふと顔を上げた。 その瞬間、彼の全身が凍りついた。
その黒い塊は、繊細で、広がっていて、散らばることなく漂っている。 あれは水草ではない。 人の髪だ。
船が近づくにつれ、水面下の様子が透けて見えた。 黒い髪の下に続く、白いボタン、曲線を描く体……。 最初に気づいたのは雷子だった。 「爺ちゃん! 人だ! 人が落ちてる! 潘子、助けなきゃ!」 少年たちの正義感が燃え上がった。
「馬鹿野郎!!」 維漢が裂帛(れっぱく)の気合いで怒鳴った。 「向きを変えろ! 竿をよこせ! 近づくんじゃねえ!!」
維漢は知っていた。この村には「撈屍匠(ろうししょう=水死体引き上げ人)」という職業があることを。 そして、その撈屍匠ですら恐れて手を出さない、「二つのタブー」があることを。 一つは渦を巻く死体。そしてもう一つは…… 水面に髪だけを漂わせ、水底に直立している死体だ。 それは強い怨念を持ち、生者を道連れにしようと待ち構えている「煞(シャ)」なのだ。
「逃げろ! 早く逃げるんだ!」 維漢が血相を変えて竿を奪おうとしたその時、船が大きく揺れた。 バランスを崩した追遠が、小さな体を投げ出され、「ドボン」と水に落ちた。 まさに、その死体の目の前に。
水の中は澄んでいて、午後の日差しが明るく差し込んでいた。 もがく追遠の視界に、その「人」が飛び込んできた。
雷子兄ちゃんの言った通り、水の中に人が立っていた。 それは、今日みんなが噂していた、あの小黄鶯だった。
彼女は昨日の舞台衣装と同じ、黒いチャイナドレスを着ていた。スリットから覗く白い足、赤いハイヒール。 川の流れに押され、彼女の両腕は規則正しく前後に振られ、足もゆらゆらと動いている。 まるで、水底を散歩しているかのように。
手を振り、腰をくねらせ、足を出し、つま先立ちで。 彼女は歌っている。 村の女たちが憎み、男たちが焦がれた、あの「あばずれ」の仕草そのままで。
『来日縦使千千闕歌……』
耳元で、あの独特な訛りのある広東語の歌声が聞こえた気がした。 歌声に合わせて、小黄鶯がゆっくりと、ゆっくりと体を回転させ、追遠のほうへ向き直った。
水流に揺らめく長い黒髪は、まるで開いた黒い傘のよう。 水にふやけた顔の化粧は昨日よりも濃く、唇は血のように赤く――。
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