薄暮の乙女と黒衣の皇子

夜塊織夢

第1話 裏切者:ノエル視点



「なぜ……?」


オレは腹部から突き出した剣先を握り、震える声で相棒に訊ねた。


「何故ってオマエ。覇道の剣はどうのつるぎなんてもんが、見つかったからに決まってる。誰だって、お宝は独り占めしたいだろ?」


平静を装ったラクロットの声が、オレの背後から聞こえてきた。

その内容は、自分の耳を疑いたくなるようなものだった。


「ラクロット!オ・マ・エ、レアな高額アイテム欲しさに、長年連れ添った仲間を刺すのか!?」

「はっ。覇道の剣はどうのつるぎ自分テメェを比べたら、天秤はどっちに傾くよ?考えるまでもないだろ。油断して刺されたオマエが、大間抜けなんだよ」

「ふざけんな!!」

「その剣は、餞別せんべつにくれてやる。オマエの腹に刺さったショートソードな。あの世で、大切に使ってくれ。俺は、こっちの覇道の剣をもらうぜ」

「貴様ぁー!」


覇道の剣はどうのつるぎはキメラが守護する朽ち果てた神殿に、ひっそりとまつられていた宝剣だ。

神聖武具辞典によれば伝説級のアーティファクトで、所有者の徳性をズンと上げてくれるらしい。

オレとラクロットの二人で十数年も闇森の迷宮を探索して、ようやく見つけた本物のレアアイテムだった。


商業ギルドの競売にかければ、二人で分けても一生豪遊して暮らせる金額となっただろう。

しかし覇道の剣を振るい、己の運命を切り拓こうと欲するなら、ここで所有者を決める必要があった。


覇道の剣は一振りで、オレたちは二人だ。

最も単純な解決方法は、オレたちの頭数を一人にすること。


「ちくしょう……。裏切者め!」


分不相応な財宝は人の心を狂わせる。

気心の知れた仲間だからと、油断してはいけなかったのだ。


「ノエル、オマエは貧乏神だ。オマエとコンビさえ組まなけりゃ、あと五年は早くお宝を手に入れられたと思うね」


ラクロットは鼻梁びりょうから左頬へと走る傷跡を指先でなぞりながら、すました顔でうそぶいた。


「そんなこと、根拠のない言いがかりだろ!」

「いいや。オマエは生まれついてのカスさ。何をしても上手く行かない、ハズレ野郎だ。俺が言うんだから間違いないね。現に、こんなチャンスを目の前にして、その有様じゃねぇーか。【栄光の剣】は、本日をもって解散しようぜ」


ラクロットのスカーフェイスが、残忍な笑みで歪んだ。


「…………ふっ、ふざけるな!」


自分で刺しておいて、何という言い草だ。


腹が熱い。

心臓はドクドクと脈打ち、下半身から力が抜けて行く。

それなのに回復薬ヒールポーションが、一本も残っていない。

傷をふさいでくれる治療薬もなかった。


『栄光の剣』のメンバーは、オレとラクロットの二人だけなので、助けてくれる治癒師ヒーラーも居ない。


「少しは自覚を持てよ。オマエは糞にたかるハエだ。オマエと一緒にいると、糞ばかり引き当てる。オマエが生きているだけで、そばにいる奴が迷惑するんだよ。分ったかカス!」

「ラクロット……!!!」

「冒険者にはなぁー。ラックが必要なのさ。俺さまのような強運が」


腹部から溢れだした血が、ズボンを濡らす。

背中から串刺しにされ、どう見ても致命傷である。

どれだけ鍛え上げた肉体であろうと、これでは助からない。


しかもここは、モンスターが徘徊する迷宮の深層だった。


「まったく、やれやれだぜ。依頼人と会うときには身ぎれいにしろだの、風呂に入れだの、ハンカチくらい持てとか……。オマエは、俺のおふくろか!?キショイんだよ!!」

「なっ、なんだと……」


こいつ……。

契約相手からあなどられないようにと、オレが口喧しく注意したことを根に持っていたのか!?


「はぁーっ。これで清々せいせいした」

「ラクロット……。オレを助けないと後悔するぞぉー。今ならまだ、間に合う。許してやらんでもない」

「冗談じゃねぇ!」

「…………っ」


こんな説得に応じるくらいなら、最初から仲間を襲ったりしないか。


「あばよ、カス。これまで世話になったな」


ラクロットは覇道の剣はどうのつるぎを拾い上げ、無防備な背中を見せた。

とどめを刺すまでもなく、オレを無力化できたと確信しているからだ。


オレは地面に膝をつき、倒れ伏した。


「くそう。くそう……。行くな。戻って来い!」


憎きラクロットの背中に、一太刀でも食らわしてやりたいのだが。

オレにはもう、立ち上がる力さえなかった。


「ぐぁぁーっ!」


身じろぎするだけで焼けつくような傷の痛みに、じっとりと脂汗がにじむ。


「ウヒャヒャヒャヒャ……。ようやく俺にも、運が向いてきたぜ。ガハハハッ……!」


ラクロットの笑い声が、闇の中へ遠ざかっていく。

それなのに、致命傷を負わされたオレには、追いかける術がない。

つい先ほどラクロットと協力して倒したキメラの死体が、地面に転がった魔光石の灯りに照らされていた。


「信じてたのに……」


考え得る限り最悪の窮地きゅうちであるが、オレには一枚だけ手札が残されていた。

誰にも話したことがない、最後の切り札。

それは精霊の封印を解くことだ。


オレの身体に棲みついた精霊は、復活の属性を持つ。

不死鳥を頂点とする不死属の傍系。

死返しペイバック』の精霊である。


これが字義通りの不死であるなら、何も問題はない。

死に至るダメージでも、たちどころに回復してくれるとか、夢のような話だ。


だが、『死返しペイバック』の精霊が力を発揮するのは、宿主の死後である。

その力は宿主を完全復活させ、死因となる攻撃を加えた敵に、死を返す。


つまり精霊の力を使うには、前提として死に至るダメージを喰らい、きちんと死ぬ・・必要があった。

即死なら良いが、そうでない場合は相当に苦しまねばならない。

自死では、精霊の力が発動しないからだ。


殺されなければ使えない力。

そんな力をありがたがる奴は居ない。

だからオレは、これまで精霊の能力を封印してきた。


でも死に瀕した現在、今この時。

自力では死を避けられないのだから、この益体もない力にすがるしかない。

これまで助け合ってきた相棒バディーを殺すことに、躊躇ためらいなどなかった。


なにより、ラクロットが美味しい思いをしてオレだけ間抜けに死ぬなんて、断じて受け入れられない。

相棒の裏切りを断罪せずに終わるなんて、容認できるはずがない。

やられたらやり返すのが、正しい冒険者のあり方だ。


〈目覚めろペイバック!〉


オレは封印の首飾りを千切って捨てた。


「おおぉ……」


封印を解除された『死返しペイバック』の精霊が、オレの全身に融合していく。

その感覚に、オレは一発逆転への希望を抱いた。


「ふっ。残念だったなラクロット。訳も分からずにくたばって、吠え面かきやがれ……。アハハ!」


悶絶しそうな痛みに顔を引き攣らせながら、かつての友をあざける。

その声は、酷くかすれていた。

裏切者に復讐リベンジを……。


「…………いっ!?」


耳に鋭利な痛みが走った。

手を当てると、小型の蟲がオレの頭に張り付いていた。


「むっ。死肉あさりスカベンジャーか……」


迷宮の掃除屋スカベンジャーは、血の臭いを嗅ぎつけて集まる。

地面に倒れた姿勢で微かに動く頭を起こすと、オレの身体は大小さまざまな蟲に囲まれていた。


キメラに目をやると、無数の死肉あさりスカベンジャーがウゾウゾとうごめいていた。

牛より一回り大きなキメラの身体が、蟲どもに覆われている。


「ちっ、ちくしょぉー!!」


蟲どもは、弱ったオレを生きたまま喰らうつもりだ。

逃げたくても身体が動かない。


「なんてこった」


オレの考えた最悪には、更なる先があった。


「ヤメろぉー」


スカベンジャーどもが死因を上書きすべく、オレの身体に喰らいついた。

死返しペイバック』のターゲットは、ラクロットから外されてしまった。

そして、とどめの一撃を加えた一匹の蟲に変更された。


「ヒィッ!!」


視界はかすみ、意識が薄れていく。


「ウゴッ!ガフッ……」


死返しペイバック』の精霊は、目覚めたばかりの幼体である。

オレが何を望んでいるのか、分かるはずもない。


そもそも精霊には精霊のルールがあり、オレの都合など二の次だろう。


オレは死ぬ。

ラクロットに復讐のやいばは届かない。


「……カフッ」


まだ幼い精霊は、眼前の巨大な蟲スカベンジャーに死を返した。




◇◇




目覚めると気が狂うほどの痛みや失血による悪寒は、嘘のように消え失せていた。


「くっ……。傷が綺麗に塞がっている」


実に不思議な力だった。

まるで時間を巻き戻したかのように、腹と背中から傷が消えていた。


「オレの命を奪えずに、残念だったな!」


オレを貫いたはずの忌まわしいショートソードが脇に落ちていたので、手に取って投げ捨てた。


「おおっ……。危ない」


立ち上がろうとしたオレは、背負ったバスタードソードの重さにバランスを崩し、倒れそうになった。

先ほどまで死んでいたのだから、本調子ではないのだろう。


「おかしいな。剣が妙に重い」


だが、奇跡の如く復活したのだ。

よろめいたくらいで文句は言うまい。


「それより、魔石だ」


ラクロットは、倒したキメラから素材を剥ぎ取って行かなかった。

キメラは死肉あさりスカベンジャーに食い荒らされていたけれど、骨と魔石が残っているはずだ。


「うほーっ。これまでにないほど、見事な魔石だ」


一撃で魔獣を倒すと、損傷の少ない魔石が手に入る。

小さなダメージを重ねて倒した魔獣は、粉々に砕けた魔石しか残さない。

大物討伐ジャイアントキリングで傷が少ない魔石は、言うまでもなく値打ち物だった。


「んっ?」


ふと気になるものが、視界の隅をよぎった。


「なんだあれは……?」


あの巨大な蟲スカベンジャーが、無残な姿で転がっていた。

オレの注意を引いたのは、その甲殻から転げ落ちた魔石のような物体である。


魔獣は例外なく体内に魔核を持つ。

魔核は魔獣が死ぬと、冷たい魔石となってしまう。


それが研究者たちの定説である。


「心拍のように、規則正しく明滅している。脈動なのか……?」


魔石では、起こり得ない現象だった。


「何てことだ。『死返しペイバック』の精霊に倒された魔獣は、魔核を残すのか……」


生きた魔石。

魔核なんてものは、これまでに見た覚えがない。

オークションに掛けたら、いったい幾らで落札されるだろうか……?


「これを持ち帰らんアホは、冒険者じゃない!」


何しろオレは、裏切者のラクロットに復讐しなければならなかった。

となれば、軍資金は幾らあっても足りないくらいだ。


「男として、冒険者として、あいつにあやまちをつぐなわせる」


ただ、斯く斯くしかじかと法廷で申し述べたとしても、ラクロットは何ひとつ罪を認めまい。

だから、この問題は単純な勝ち負けになる。

善悪の問題ではなかった。


「どちらがカスか、徹底的に思い知らせてやる」


勝ち負けの問題だから、ラクロットに勝利することで、ようやく『オマエこそ糞にたかるハエだ!』と言い返せる。

詰まるところ、ルール無き殺し合いだ。


「ワハハハハ……。ハズレ野郎は、オマエだ。もう、決まったようなものさ!」


巨大な蟲スカベンジャーの魔核を拾い背嚢に詰めたオレは、頭の中でラクロットをボコボコにして、ほくそ笑んだ。

なので背後から忍び寄る気配には、全く気付かずにいた。


「ウギャァァァァァァァァァァァァァァァァーッ!!!」


それは先ほど倒したキメラより、一回りほど大きなキメラだった。


どうやら忘れ去られた神殿を中心とする一帯には、キメラの群が巣食っていたようだ。

囮役のラクロットが居ないので、オレに勝ち目はなかった。


オレは二度目の死を経験した。





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