余命宣告された侯爵令嬢は、卒業までに恋をして世界を救うことになりました 〜選択の先に、運命が待っていました〜

月見ましろ

プロローグ




 夢の中だと気づいたのは、自分の足元に影がなかったからだ。


 白い。どこまでも、やけに親切なほど白い空間で、彼女は一人、ぽつんと立っていた。天も地も区別がつかず、風もないのに、空気だけがやわらかく揺れている。

 

「おはよう、アイリス」

 

 背後から、ずいぶんと気軽な声がした。

 

 振り返ると、そこにいたのは――神様、らしい。らしい、というのは、後光も威厳も、物語に出てくるような神々しさも一切なかったからだ。


 白い服を着てはいるけれど、姿形は人間と大差ない。拍子抜けするほど普通な風体で、神様は親戚の子供でも見るように、にこにこと笑っている。

 

「突然だけどさ」

 

 神様は、散歩の途中で天気の話でもするみたいな調子で言った。

 

「君、十八歳で死ぬよ」

 

 一拍。

 頭の中に、その言葉が意味を成さずに転がった。

 

「……ちょっと待って」

 

 アイリスは反射的に片手を上げた。

 今のは聞き間違いだろうか。あるいは、今日からの学園生活を前に、緊張しすぎた脳が質の悪い冗談を見せているだけだろうか。

 

「そんな大事なこと、そんな軽いノリで言う?」

「だってこれ、夢だし」

「そういう問題じゃないわよ!」

 

 声を張り上げると、神様は「やれやれ」と言いたげに肩をすくめた。そのあまりに人間臭い仕草に、毒気を抜かれる。

 

「まあ、まぁ。卒業の日までは生きてるよ。……たぶんね」

「たぶんって何!?」

 

 必死の抗議をよそに、神様は唇の前に指を一本立てた。その仕草一つで、不思議とあたりが静まり返る。

 

「だから提案なんだけど。恋をしなさい」

「……はぁ?」

 

 思考が完全に追いつかない。死ぬ。卒業。そして、恋。脈絡のない三つの言葉が、どうやって一本の線に繋がるというのか。


「恋をすれば、きっと運命は変えられる」


 神様は、今度は少しだけ真面目な顔をした。


「そうすればね、孤独な魔王も――あの惨劇も、起こらないから」

 

 胸の奥が、ひくりと冷たく揺れた。

 魔王という言葉の意味も理由も分からないはずなのに、その言葉だけが、呪文のように私の心に重く突き刺さる。

 

「……つまり?」

 

 アイリスは無意識に腕を組み、神様を真っ向から睨みつけた。

 

「私が恋をしなかったら、私は死んで、おまけに世界も大変なことになる……ってこと?」


「うん、要約するとだいたい合ってる」


「雑すぎない。世界の命運を十六歳の女の子に丸投げするなんて」


「神様って、意外と忙しいんだよ」

 

 にこっと悪戯っぽく笑われて、アイリスは大きなため息をついた。


 ――ふざけてる。心の底からそう思った。けれど、不思議と恐怖の冷たさは消えていた。この神様の適当さが、かえって私を「やってやろうじゃない」という気持ちにさせる。

 

「分かったわ」

 

 アイリスはぐっと顎を引いて、顔を上げた。

 

「恋ね。してやろうじゃない。神様の目論見通りになるのは癪だけど」

 

 運命だとか、魔王だとか、惨劇だとか。

 正直、お伽話みたいで現実感がない。でも。

 

「私、こんなところで簡単に、予定通り死んであげる気はないから!」

 

 そう言い切った瞬間、パキパキと音を立てて白い世界がひび割れた。ひびの向こうから、眩しい朝の光が溢れ出す。

 

 最後に視界に入った神様は、誇らしげに、そしてとても満足そうに笑っていた。

 

「いいね。その顔。――期待してるよ」

 

 その声を合図に、私の意識は急浮上した。

 

 目を開けると、そこは見慣れない天井だった。

 

 高く、重厚な梁。窓からは春特有の、柔らかくもどこか鋭い日差しが差し込んでいる。

 今日から始まる、魔法学園での生活。その第一歩となる、寮のベッドの上。

 胸の奥には、まだあの声の残響が鮮やかに残っていた。

 

――恋をすれば、運命は変えられる。

 なら、証明してみせる。

 

 十八歳まで、あと二年。私の選択が、世界を裏切るかどうかなんて――その時、笑いながら決めてやるんだから。

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