第4話 赤の妖精と争戦の都市

 あの後ミラさんは、初っ端に殴り飛ばしたのが俺だと気付いた瞬間、信じられない速さで土下座をして、ひたすら謝ってくれた。

 なので、頬の痛みはまだ残っていたものの、俺は快く許すことにした。間違いなく悪いのはファルネスさんだし。


 申し訳なさそうに顔を上げたこの女性――ミラ・エランスズさんは、腰まで伸びた灼熱のように紅い長髪を後ろで一本に束ね、瞳は吸い込まれそうなほど澄んだ緋色ひいろをしている。言うまでもなく、最高に美しい妖精エルフだ。


 ファルネスさんの妖精剣ヴィンデーラとして行動を共にしているらしい。


 見惚れてしまう容姿に、スラっとした体型。胸は――まぁ、目立つほどはない……というか、正直ほぼない。


 だがそれすらも、神が二物も三物も与えた造形美の一部にしか見えない。隣ではユメルが息を吸い忘れたのか、むせるように咳き込んでいた。


「……落ち着きなさいよ、そこの変態」

「ち、違います!綺麗すぎて酸素が足りなくなっただけです!」


 そんなやり取りを挟みつつ、砂埃だらけの俺とファルネスさん、ユメル、そしてミラさんの四人は、争闘都市イリグウェナの門をくぐったのであった。




 *




「それにしても、本当に人で溢れかえってるな……」


 城壁に囲まれていたから中の様子は分からなかったが、さすが大型都市。歩くとこ歩くとこに人間ヒューマン妖精エルフがいて、街は活気に満ちていた。


 あちこちに出店が構えられ、威勢のいい呼び声が飛ぶ。鮮やかな衣服、華やかな装飾、踊る妖精エルフ


 戦争中だという現実と、この街の熱が噛み合わない。


 ふと、ミラさんが懐かしそうに呟いた。


「ふふ……アタシも初めて来た時、本当に驚いたわ。魔族との戦争真っ只中なのに、みんな楽しそうなんだもの」

「確かに……外から見ただけじゃ、変なお城がドンってあるだけで、こんな賑やかだなんて思いもしませんでした」


 ミラさんは、都市の中心にそびえる無愛想な巨大建造物――オブファウス城を指差す。


「あれが、対魔本部ジェーラメントの最高決定機関を有する、争戦のかなめ――オブファウス城。あなた達の目指すフィレニア学園は、あの城の奥よ。迷ったら、あれを目印にしなさい」

「ミラさん、この街めちゃくちゃ詳しいんですね!」


 ユメルが感心すると、ミラさんは少し誇らしげに鼻を鳴らした。


 それを見たファルネスさんが、からかうように笑う。


「ミラが学生だった頃は、よく迷子になって泣き喚きながら私におぶられて帰ってたけどなぁ……」

「……チッ。余計なことは言わんで良い!」


 ミラさんは靴のかかとでファルネスさんのつま先を踏みにじった。


「痛っ!」


 ――この二人、絶対仲が悪いわけじゃない。喧嘩するほどなんとやら、だ。


「え、ファルネスさんとミラさんも、フィレニア学園出身なんですか?」


 俺の問いに、ミラさんは一瞬だけ表情を濁した。


「えぇ……まぁ。……この学園に通わなければ、この男と出会うこともなかっただろうに……」

「へ、へぇ……」


 返しづらい。


 だがファルネスさんは溜息をついて、さらっと言う。


「お前から『あなたの剣にしてください!』って頼んできたんじゃん」

「そうね……あんな最悪な出会い方をしたにも関わらず、あなたを選んでしまった昔のアタシをぶん殴ってやりたいわ」

「まだ引きずってんの……?」


 俺とユメルは顔を見合わせ、嫌な予感がした。


 これは、掘ったら地雷が爆発する匂いがする。


 しかし、好奇心に負けた俺が口は口を開いてしまったのだ……。


「あの……どんな出会い方を――」

「全裸」

「……え?」

「この男が、全裸でアタシに飛びついてきたの!!」

「…………ん?」


 全裸で。飛びついた。初対面で。


 苦笑いの準備をしてファルネスさんを見ると、本人は視線を逸らしながら渋い顔で言った。


「……間違いでは、ない」

「いや待つんだ!誤解だ!ちょ、そんな軽蔑の目を向けないでくれぇ!」


 俺とユメルは無言でジト目を続行。

 ファルネスさんは呻いた。


「痛い!視線が痛い!」


 そんな、しょうもなくも騒がしい道中。


 ミラさんが、ある小さな店の前で足を止めた。


「申し訳ないんだけど、少し寄り道しても良いかしら?」


 小首を傾げる仕草がやたら絵になる。


 俺とユメルは反射的に頷いた。


「もちろんです。でも、ここは……?」

「あなた達に贈り物をしようと思うの。……さっき、迷惑をかけちゃったでしょ?その償いというか……アタシの気が済まないの」

「いや、そんなわざわざ!」

「そうですよ!僕ら何にも――」


 遠慮する俺達に、ファルネスさんが肩を叩いて笑う。


「他人の厚意をありがたく受け取るのも、強くなる秘訣だぞ。それにミラ、こういう時だけ頑固だから」

「そういうこと。……ただのおせっかいよ。受け取ってくれると嬉しいわ」


 ――断れない。


 そして、断りたくもない。


「……じゃあ、ありがたく頂きます」

「うん!よし!」


 鼻歌交じりで店に入っていくミラさん。


 その背中を見送りながら、俺は思った。


 ……これ、絶対長い。







 結果は、予想以上だった。


 男三人、街角で突っ立って待つこと幾星霜いくせいそう

 女の買い物は長い――という真理を、骨身に染みて理解した頃、ミラさんが小包をいくつも抱えて戻ってきた。


「ごめんなさい……結構待った……よね?」


 申し訳なさを滲ませるミラさんに、俺は首を振りかけた――が。


「いや、ほんとに待った!お前いっつも買い物長いよな!」


 ファルネスさんが割り込んだ。


「ファ、ファルネスさん!?俺達、全然気に――」

「気にしてる気にしてないの問題じゃない!学園に急ぎで直行したいって言ってただろ!」


 ミラさんの目尻が湿る。


「あの……二人に合う人形を選んでたら、拘りが出ちゃって……」

「人形?……え?もしかして、あの趣味の悪い人形をプレゼントするのか!?」

「なッ!!」


 あ、これは怒る。


「趣味悪くないわよ!とっても可愛いじゃない、アタシのお人形さん達!」

「呪われそうだけど……」

「そんなこと言うならこの際言うけど、あんたの部屋にこっそり置いてあるエッチな本の方がよっぽど趣味悪いから!」

「お、お前勝手に覗いたのか!?神聖な種族たる妖精エルフが!」


 ――もうダメだ。止まらない。


 だが、ミラさんは咳払いをして話を畳みにかかった。


「と、とにかく!気持ちとして受け取ってくれないかしら?いらなかったら後で捨てちゃっても良いから!」

「捨てたりしません!ありがとうございます!」

「そ、そう?……それなら嬉しいわ」


 俺とユメルは小包を受け取り、包装を剥がした。


 箱を開いた瞬間――禍々しい圧迫感オーラが顔面を殴ってきた。


「……こ、これは……?」

「可愛いでしょ!元は魔除けの人形だったらしいんだけど、このお店で改良して売ってるの!この、くりっとした目とか、ゆがんだ手足とかが最高で――!」

「……可愛い……?」

「うんうん!リオに渡したのは目に引っ掻かれた傷がある“かっこいい”やつ!ユメルのは満面の笑みで“可愛い”やつ!」


 違いが分からない。


 どっちも今にも動き出して首を絞めてきそうだ。


 横でユメルが震えた声で言う。


「ぼ、僕……肌身離さず持っておきます……はは」

「えぇ!この子達もきっと喜ぶわ!」


 ファルネスさんは溜息をついて、追撃した。


「ミラの部屋、これ五十体くらいいるからね」

「ご、ごじゅう!?」

「うるさいわよ!衝撃に強いし、お守りにもなる上等品なの!」


 俺は笑顔を保ったまま、心の中で静かに誓った。


 ――夜中に視界に入ったら、泣く。


「さ、寄り道は終わり。学園に向かいましょう」


 そうして歩き始めて、少し。


 城壁の向こうで見た“あの威圧的な街の中心”よりも、更に別種の圧力が視界に入った。


 白を基調にした、清潔で、神聖で、誇りの塊みたいな大門。


「……見えてきたわ。フィレニア学園よ」


 俺とユメルは、自然と足を止める。


 これから始まるのは、憧れの舞台。


 でも――同時に、逃げ場のない現実だ。


 胸の鼓動が早くなる。


 手の甲の妖精紋が、ほんの少しだけ熱を持った気がした。


「……よし」


 俺は小さく呟いて、一歩踏み出した。

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