第39話 ガロンの日記
翌日、金吾たちはメランドロン商会を訪れた。
内通者のボイテクは、メディアリアの姿を見るなり、まるで幽霊でも見たように目を見開き、その場で涙ぐんだ。
ボイテク「お嬢様……よくぞ、ご無事で……」
金吾は、その涙にどこか白々しいものを感じた。
だが、ここで水を差すのも愚かに思えて、何も言わなかった。
金吾「それで、やつの書斎は?」
ボイテク「こちらです……」
案内されて、金吾とメディアリアは商会の奥へ進んだ。
廊下は薄暗く、壁に掛けられた絵画はどれも古く、埃を薄くかぶっている。
メディアリア「これ……おとうさまの、絵……」
繁栄していた商家の名残が、そこかしこに残っていた。
だが、その残り方が、かえって妙だった。
ボイテクは書斎の前で立ち止まり、震える手で鍵を差し込んだ。
ボイテク「……ガロンが姿をくらませてから、誰もこの部屋には触れておりません」
鍵の回る音だけが、やけに大きく響いた。
扉が開く。
その中には、整いすぎた書斎が広がっていた。
机の上には帳簿が几帳面に積まれ、壁一面の棚には書類が隙間なく並んでいる。
だが――金吾は、入った瞬間に違和感を覚えた。
金吾(……綺麗すぎる)
盗賊の襲撃があり、主人は失踪し、商会全体が揺れている。
その渦中にあるはずの部屋が、まるで何事も起こらなかったように静まり返っている。
静かすぎる。
整いすぎている。
人の気配が消えたのではなく、人の気配だけを丁寧に拭き取ったあとのようだった。
メディアリアは一歩踏み出し、机にそっと手を置いた。
メディアリア「あの日のまま……変わっていない……」
重厚なオーク材の机には、幼い頃の彼女がいたずらで付けたらしい小さな傷が残っていた。
年月は流れたはずなのに、そこだけが、置き去りにされた時間のように見えた。
金吾「ガロンは変えなかったのか。……ケチな野郎だな」
金吾は机の引き出しを開けた。
中は空っぽだった。紙一枚残っていない。
金吾「……抜け目もない」
メディアリア「もし……これがお父様の机なら――」
メディアリアは机の縁に指を這わせ、目に見えない場所を探るように手を動かした。
やがて、引き出しの裏に仕込まれていた小さな隠しボタンを押す。
すると、鈍い音とともに、奥に隠されていた引き出しが静かに現れた。
金吾「灯台下暗し、ってやつか」
その中に入っていたのは、一冊の日記だけだった。
メディアリアはそれを手に取り、頁を開いた。
だが、すぐに眉を寄せる。
メディアリア「……読めません」
金吾「貸してみろ」
金吾はそれを受け取り、目を落とした。
金吾「これは……漢字じゃないか。ひらがなも混じってる」
この世界では、日本で言うところのカタカナに似た文字が一般に使われている。
漢字とひらがなは、王族とごく一部の知識階級だけが学ぶ神聖文字として扱われていた。
頁をめくる。
書き手はガロンだった。
若い頃、神学者を志して挫折したこと。
それでも、幼なじみだったメディアリアの父と共に商会を立ち上げたこと。
最初の方は、きわめて実務的だった。几帳面で、数字に強く、感情を交えず事実を積み上げる、そういう文章だった。
――だが、七年前の春を境に、それは変わる。
急に文章が揺れ始める。
事実ではなく、像を結ばぬ断章ばかりが現れる。
金吾はその頁を、声に出して読んだ。
「 ……砂は静かに積もる。
積もる音はなく、ただ影だけが伸びていく。
ある人は砂を求めた。
掌に収まるほどの、わずかな砂を。
それがあらば家は守られ、道は続くと信じた。
だが砂は、集めるほどに形を変え、
山となり、丘となり、ついには人の背丈を越えた。
人は言った。
『これは祝福だ。これは我が家の礎だ』
砂は答えなかった。
ただ、静かに崩れた。
崩れた砂は人の足元を奪い、
家を呑み、名を覆い、声を埋めた。
人は叫んだが、その声も砂に吸われた。
……最後に残ったのは、掌にこびりついた一粒だけ。
すべては、一握の砂を求めたことから始まったというのに。」
金吾「なんだ、これは……どういう意味だ?」
メディアリア「……わかりません」
さらに頁を繰る。
そこにもまた、事実ではなく、祈りとも懺悔ともつかぬ文章が続いていた。
「 女は守らんとて、身を海へ投げた。
海は静かに受け入れ、静かに告げた。
『捧げ物は受け取ろう。だが罪は沈まぬ』
愛は深く、盲きゆえに深く、
深さはそのまま呪いとなった。
波が引いたあとに残ったのは、
女の影と、託された重さだけ。
影は子の足元に落ち、
重さは子の背に宿り、
その名も知らぬ呪いは、長き時を歩み続ける。
果たして子は、その重さに耐えられるのか――」
金吾「……」
それが最後だった。
その先は、白紙だった。
唐突な空白だった。
頁の端はわずかに波打っている。それが年月の湿気によるものなのか、それとも書いていた人間の手の震えによるものなのか、もうわからない。
だが、ひとつだけ確かなことがあった。
――ガロンは、自分の栄達のためだけに動いた男ではない。
その断章には、欲に濁った臭いがない。むしろ、もっと重く、もっと暗く、何かに呑まれてゆく人間の気配があった。
けれど。
証拠にはならない。
日記は日記でしかない。帳簿でもなければ契約書でもない。裁判に出せるようなものでは到底なかった。
金吾はしばらく黙り込んでから、日記の表紙を指でなぞった。
革の感触は妙に冷たかった。持ち主の体温だけが、先にこの世から失われたようだった。
金吾「……これは、お前が持ってるべきだろうな」
そう言って、日記をメディアリアへ差し出す。
メディアリアはそれを両手で受け取った。
その指先は、かすかに震えていた。
金吾「詩の意味も含めて、いずれ直接問いただしてやるさ。お前の知りたいことは、結局そこなんだろ」
メディアリア「……はい」
声は小さかった。だが、その小ささの中に、揺れがあった。
書斎の静けさが、二人のあいだに落ちた影を、いっそう濃くしていた。
その時だった。
ボイテク「ありましたぞ!! これが怪しい!!」
ボイテクが声を張り上げる。
そこにあったのは、筒状に巻かれた書類だった。封には、グリフォンと司教杖の紋章が刻まれている。
その瞬間、金吾の胸に、一抹の不安が過った。
金吾はそれを強引に奪い取り、すぐに目を通した。
金吾「……司教がガロンに要求した選挙資金だな。ムルアーンとかいう知らねえ土地の司教領の話だ。金貨百枚……とんでもねえ額だ」
金吾はその書類をメディアリアへ渡した。
金吾「もっとあるんじゃないか?」
ボイテク「へっ? は、はい。こんなものも見つけましたよ!」
ボイテクが差し出したのは、二つの帳簿だった。
金吾はそれを受け取り、ぱらぱらと頁をめくる。
数字の並び。売買の流れ。ずらし方。隠し方。ごまかしの美しさ。
金吾「……裏帳簿、ってやつか」
声が、少し低くなる。
金吾「内容も、完璧だ。美しいと言っていい。俺も作ってたからわかるよ。こんなに……こんなに上手く作れるやつもいるんだな」
金吾は帳簿を閉じた。
そして、ゆっくりとボイテクへ向き直る。
金吾「……なあ、ボイテクさん?」
ボイテク「は、はい?」
金吾「うますぎるんだよ。あまりにもな」
一歩、近づく。
金吾「俺たちを馬鹿にするのもいい加減にしろよ? 次から次へと、都合よくフルコースみたいに出してきやがって……夜逃げしたやつが、こんなもん置いていくわけねえだろ」
刃が閃いたのは、その直後だった。
金吾は一切のためらいなく、ボイテクの太腿を刺し貫いた。
ボイテク「あがああああっ!!」
悲鳴が書斎に響く。
だが、その声が広がる前に、金吾は素早く口を塞いだ。
金吾「うるせえ」
刃を引き抜きながら、低く言う。
メディアリア「金吾さんっ!?」
金吾「お前が知ってることを、全部話せよ」
ボイテクは口を塞がれたまま、意味のない音を漏らした。
金吾は意に介さない。
金吾「止血してやる」
そう言って刀身を赤熱させ、そのまま傷口へ押し当てた。
ボイテク「っっっっっっっっっっっ!!!!!!!!」
声にならない絶叫が、喉の奥で暴れた。
金吾「言わないなら、これを何度でもやる。いいな?」
ボイテクは首を狂ったように上下させた。
金吾が手を離すと、男は床に手をつき、荒い息を吐いた。
その顔には、もう見栄も計算もなかった。あるのは、ただ怯えだけだった。
金吾「……さあ、話せ。お前が知ってることを、全部だ」
ボイテクは喉を鳴らし、何度か言葉にならぬ音を漏らした。
メディアリアは思わず一歩だけ後ずさる。
ボイテク「……し、司教様の……命令で……」
金吾が、赤熱した剣をわずかに持ち上げる。
ボイテク「ひいっ!! レニウス!! レニウスの命令だ!! ガロンを、ミューレの旦那と同じ目に遭わせろって!! 俺が後釜だって!! そういうことだ!!」
金吾「……なら、そのメディアリアの両親が、どうして謀殺されたのか、それも説明しろよ!!」
ボイテク「知らねえよ!! ガロンが旦那をぶっ殺して、司教とつるんで、なかったことにしたくらいしか……! 本当だ!!」
金吾「なら、レニウスの目的はなんだ!! それは知ってるのか!!」
ボイテク「そ、それは……」
――その瞬間だった。
バタン、と扉が勢いよく開かれた。
クロスボウを構えた騎士たちが雪崩れ込み、ためらいなくボイテクの眉間へ矢を放つ。
金吾「――っ!!」
金吾は反射で斬撃を放った。
雷魔法で極限まで切れ味を増した一撃が、先頭の騎士の右腕を斬り落とす。
だが、その騎士は激痛にも動じず、そのまま金吾の腰へタックルをかました。
金吾「メディアリア!! 逃げろ!!!」
メディアリア「いえ……逃げません!!」
メディアリアは即座に入口へヴァトン・ヘッグを放った。
それは突入してくる騎士たちへの牽制であり、同時に、もっと別の意味を持つ一撃だった。
――その本意を察したのは、金吾だけだった。
水の斬撃が入口に触れた、その瞬間。
金吾は氷魔法を重ねた。
水が一気に白く凍りつき、入口を塞ぐ氷壁へと変わる。
外側から鈍い衝撃音が響く。だが、氷壁はびくともしない。
金吾は覆いかぶさってきた手負いの騎士へとどめを刺し、立ち上がった。
この部屋に残っている騎士は、あと二人。
金吾「……二人か。なら、やれるな」
深く息を吸う。
足をわずかに開き、重心を落とす。
雷の気配が刀身へ集まり、空気がぴりつく。
金吾「あの倒れてる騎士、耐冷の鎧だった。たぶん、耐火のやつも混じってる。耐電も……俺の戦いを知ってやがる……」
メディアリア「金吾さん……あの騎士たち、やっぱり……」
金吾「痛みも恐怖も感じてねえみたいだった。だが……生身だ。たしかに人間がそこにいた。精神力だけで耐えていたんだ、あの時も……! そんなことができるとしたら――」
言葉の続きを言い切る前に、二人の騎士が同時に踏み込んできた。
床板が軋む。
書斎の空気が、一瞬で戦場のそれへ変わる。
金吾は一歩踏み込み、雷を纏った斬撃を放つ。
刃が閃き、騎士の動きが一瞬だけ止まる。
金吾「狂信者どもがっ!!」
雷が弾け、金吾の足元から閃光が走った。
その隙を使って距離を取る。
メディアリア「金吾さん、援護します!」
メディアリアは両手に水の魔力を集めた。
金吾は書斎の机――メディアリアの父の形見でもある、その重厚な机へ手をかざす。
そして糸化魔法で、一瞬にして繊維状へと分解した。
そこへ、メディアリアの水が絡みつく。
さらに金吾が雷で急速に冷却する。
――氷壁が生まれた。
書斎を分断するように立ち上がったその壁は硬く、そう易々とは破れそうにない。
金吾「今だ、行くぞ!」
金吾はメディアリアの手を掴み、窓へ駆けた。
ガラスが砕ける。
冷たい外気が流れ込む。
二人は、そのまま外へ飛び出した。
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