交わることのない二人
透明
第1話 気になる客
カチッカチッと音を立てる、喫茶店内の壁に掛けられた古びた振り子時計は、もう直ぐ朝の10時を指そうとしている。
キッチンの内側でその様子を何処か、落ち着かない様子で、チラチラと見る。
それはもう、乾き切っている皿に気づかず、拭き続けるくらいに。
そんな僕にマスターが「
それと同時に振り子時計は、10時を指し、ボーンボーンッ――と時計の音が店内に鳴り響く。
その音に大きく肩を震わせ驚く僕に、マスターは「驚いたね、大丈夫かい?」と優しく笑いかけてくれる。
「大丈夫です、」と、心臓が凄い勢いで鳴り響いているのを、悟られないように落ち着かせていると、入り口が開きドアベルが鳴る。
革靴の音を鳴り響かせながら、店内に入ってくるその男性に、マスターは「いらっしゃい」と声をかけると、その男性は「おはよう」と笑みを浮かべ、窓際にある二人席に腰をかけた。
きょ、今日も来た……!!
彼を見て、先ほど落ち着いた心臓がまた早く打ち出す。
曜日は不定期だが、週に三回ほど朝10時にやって来るその人は、真っ黒な髪をセンターでかき上げ、目つきの悪い三白眼をしており、恐らく背は180を超えているであろう。
ただでさえ、少し怖い見た目をしていると言うのに、全身黒のスーツに、ガタイのいい体、終いにはシャツの袖からチラリと見えるいかついタトゥー。
それら全てが、恐らく彼は一般の職の人間ではないと言うこを表している。
普通に生きて来たら、絶対に交わる事がないであろう人たち。
もうお分かり頂けただろう。そう、ヤクザだ。
僕が働く喫茶・トミーにはヤクザの常連客がいるのだ。
18の春、大好きなお笑いの聖地である大阪に、単身乗り込んだ。
厳密に言うと、大阪にある大学に通うためだけど、それでも憧れの大阪の街は、あちらこちらから関西弁が聞こえて来て、それが新鮮で日常会話なのに漫才をしているみたいで。
大阪に住みたかったからと言う私欲だけで、大阪の大学を受け、東京から一人暮らしをしに来て良かったと、心の底から思った。
そして大学二回生、19の春、僕は家から少し離れたとある古びた喫茶店で、バイトを始める。
僕が大好きなお笑い芸人、おおきに倶楽部が下積み時代よく訪れては、ネタを書いたり、喫茶店の名物・マスター特製オムライスを食べていた、僕にとっては聖地のその喫茶店で。
時給は、前勤めていた飲食店よりかはやや下がるが、憧れの場所で働けて凄く満足だった。
今流行りのカフェでもなければ、居酒屋でもないのでそこまで忙しくなく、来るお客さんも地元の決まったお客さんしか来ない。
暇な時は本当に暇だが、それでもやはり、憧れの街の憧れの場所で働け、すごく充実した日々を送ろうとしていた。
二週間前の木曜日、その日までは。
二週間前の木曜日、新しくシフトに入り三日目の事だった。
その人は突然、喫茶店にやって来たのだ。
見るからに、普通の人ではないオーラを纏わせ、店にやって来た彼を見て、まず僕が思った事は〝この店借金抱えてるの!?〟だった。
あまりにも、頭の中を大阪の有名喜劇に乗っ取られすぎていると、自分でもおかしくなった。
けれど、僕の考えとは裏腹に、マスターはその人を普通に受け入れ、その人もさぞ当然かのように窓際の二人席に腰を下ろしたもんだから、彼は常連客なのだろうと思ったのと同時に、流石は大阪と言う訳の分からない感動を覚えた。
それから二週間、僕がシフトに入っている日に来たり来なかったりするそのヤクザのお客さんは、もう20年来の常連だと聞き、僕が大好きなおおきに倶楽部よりも前からこの店に通っていた常連も常連だと知った時には驚いた。
曜日は不定期だが、必ず10時ぴったりに来るそのヤクザのお客さんだが、頼むものも毎回同じだった。
「ご注文はお決まりでしょうか」
ここに来て、このヤクザのお客さんと会うのはこれで四回目だが、やはり怖く、注文を取りに行く足は震え、変な汗が背中をつたっていくのが分かる。
注文を取っている今だって怖くて仕方がない。
どうせ、いつもように同じものを頼むのだから、注文なんか取らなくていいんじゃないか。
そのお客さんは、毎回メロンクリームソーダと喫茶トミー特製、ショートケーキを頼む。
失礼だが、その怖い見た目に似つかわしくない、何とも可愛いセレクションに初めは凄く動揺をしたが、今は真顔で注文を受ける事ができる。
「メロンクリームソーダとショートケーキ一つ、お願いします」
彼と会い四回目で思った事は、いつも注文を取る時敬語を使って来るな、だった。
相手が年下だろうが他人には敬語は当たり前だが、その、職業的にもっと威圧的な態度を取ってくるものだと思っていたから、少し驚いた。
僕は「かしこまりました」と注文を取り終えると、キッチンに注文の内容を伝えるも、キッチン担当の中野さんは「もう出来る」とメロンソーダにアイスを乗せていた。
まぁ、いつも同じだしなと思いながら、出来上がったメロンクリームソーダとショートケーキを、彼の元に届ける。
「ご注文の、メロンクリームソーダとショートケーキです」
喫茶店に置かれている新聞を読んでいた彼に声をかけると、読んでいた新聞を畳み「ありがとうございます」と白い歯を見せ笑う。
ごゆっくりどうぞと、お決まりのセリフを告げキッチンに戻り、チラリと彼を見る。
もう一つ、意外だなと思った事がある。
それは、食べる前に必ず手を合わせて頂きますと言ってから食べると言う事だ。
こんな事を言ったら大阪湾に沈められそうだが、手を合わせるどころか、頂きますと言わなさそうなイメージが勝手にあったのだ。
店内にはヤクザのお客さん以外に、五人ほどお客さんが居るが、彼が目に入る。
それは、彼への恐怖からか、はたまた厳つい見た目に似つかわないショートケーキを食べているからか。
まぁ、前者だな。
毎度、そのヤクザのお客さんが来るたびに僕は、いきなり敵の組みが喫茶店にやって来て殺し合いにならないかとか、そうなったら、この心優しいマスターを守らなければとか、色々頭で想像しては、もしものために気を張っているのだ。
そして毎度、何事もなくメロンクリームソーダとショートケーキを食べ終え、帰って行くそのヤクザのお客さんを見ては一人、ほっと胸を撫で下ろしていた。
今日も、ものの数分で召し上がったヤクザのお客さんは、休む暇も無く帰って行ったのだった。
そんなお客さんに、今日も勝手に張っていた気を緩め、ほっと胸を撫で下ろすその時の僕は、まだ、そのヤクザのお客さんと出会った事により、穏やかで何気ない日々が変わると言う事は知らなかったのだった。
◇
純喫茶トミーで働き始め、三週間が経った。
ヤクザのお客さんは、あの後、二日連続でお店にやって来たらしい。
僕は、土曜日しかシフトに入っていなかったから知らなかったけど、同じくバイトの男の子が教えてくれたのだ。
その男の子は、僕よりも前からトミーで働いており、ヤクザのお客さんには慣れているようで、むしろ凄く興味があるそうで、必ず僕がシフトに入ってない日に、来ていたら教えてくれる。
別に教えてくれなくてもいいのだけど、と思いながらも、あまりにも楽しそうに話して来るもんだから、黙っていつも話を聞くのだ。
そして、最後にヤクザのお客さんが来た日から三日経った火曜日。
まだ、その週はヤクザのお客さんは来ていない。
まぁ、まだ火曜日だからな。なんて思いながら、その日のシフトを終え、友人の誕生日だったので、大学に行く前にケーキでも買って行くかと、トミーの近くにあるケーキ屋さんへと向かう事に。
僕は別に甘党ではないと思う。
むしろ辛い食べ物の方が好きだし、だからと言って甘いものを食べれないわけでもない。
人並みに食べる方だけど、ここのこのスイーツが好きと言うこだわりはない。
けれど、そのケーキ屋だけは特別に好きで、ケーキを食べるならここのケーキか、トミーのケーキじゃなきゃ嫌だとこだわりが出てくるほど、僕はそのケーキ屋がお気に入りだった。
家からは少し離れているが、バイト先に行くまでの通り道にあるので、よく僕はバイト終わりとかに買って帰っていた。
友人はチョコケーキが好きって言ってたな。なんて考えているうちに、ケーキ屋へと着いており、店内に入る。
僕はそのまま店から出ようと思った。
何故なら僕の目の前に、あの例のヤクザのお客さんが、真剣な表情を浮かべショーケースを見ていたからだ。
まるで睨みつけているようなその表情に、カウンターの内側にいる店員さんは、今にも泣き出しそうな表情を浮かべている。
そりゃ、ヤクザに睨まれれば誰でもああなる。
なんて考えながら、そのまま後退りをし何事もなかったかのように、ケーキ屋から出ようとした時だった。
ヤクザのお客さんは、僕の方に視線を向けて来たかと思えば、ハッとしたかのような表情を浮かべたのだ。
まずい。そう本能的に思ったのも束の間「ちょっと自分こっち来て!」と物凄い圧で声をかけられた。
それはもう、はい。と言いざる終えないほどの圧だ。
恐る恐る近づき、少し距離を空けヤクザのお客さんの隣に立つ僕に「ちょっと聞きたい事あんねんやけど」と迫力のある声で言う。
店で聞き慣れているつもりだったが、低く良く響く声は、圧を感じ、恐怖を覚える。
喫茶店の外で話しかけられた事への、恐怖と戸惑いから「な、何でしょうか……」と聞き返す声は、震え細かった。
けれどそれに気づいているのかいないのか、ヤクザのお客さんは全く気にする事なく聞いて来る。
「自分、この店よく来んの?」
「は、はい……よく来ます……」
何故、今僕はヤクザのお客さんに、ケーキ屋に来たことあるかの有無を聞かれているのか。
全く訳がわからない状況に戸惑いながらも、口は勝手に動いてしまう。
僕の返答を聞き、ヤクザのお客さんは「やったら、おすすめのケーキ教えてくれへん?」と、ガッと肩を掴んで来るのだった。
顔が近づいた事に、更に圧が強くなり怖い。
て言うか、おすすめのケーキ教えてって、どうして僕に……。
「お、おすすめだったら、店員さんに聞けばいいんじゃないですか……?」
目の前に、僕なんかよりこのケーキに詳しい人物がいるのに、何故僕に聞いて来たのか。
その疑問に、恐怖心は薄れて行く。
僕の問いにヤクザのお客さんは言うのだった。
「店員さんには聞いたよ。けど、客側の意見も聞きたい思ってん」
「そしたらめっちゃいい所に自分が来るもんやから、これはもう聞かな思って!」
そう急にご機嫌に話し始めるヤクザのお客さんに、僕は「えぇ……」と返すも、ヤクザのお客さんは「今な、このケーキとこのケーキとこのケーキで迷ってんねん」とショーケースに入っているケーキを指差す。
「あ、因みにショートケーキとチョコケーキは買うって決まってるから」
とても良い笑顔でどうでも良い情報を付け加えて来ると「けど、後一個が決まらんねん」と言うのだった。
「どれが良いと思う?」
知りませんよ。と言う言葉を飲み込み「そんなに迷うなら、全部買えば良いんじゃないですか?」と言うと、ヤクザのお客さんはとても悲しそうな表情を浮かべる。
かと思えば「ケーキは一日三個までって決められてるねん……」と言うのだ。
あまりにも悲しそうな姿を浮かべる彼に「それはどうして……」と理由を問う。
すると「俺こう見えてめっちゃ甘いの好きやねん」と言い出すので、思わず「知ってます」とつっこんでしまう。
「当時めっちゃハマったケーキがあって、ホールのやつな。六号のやつを毎日食べてたんやけど、それ見た親父が糖尿病なるで!! って怒って来てな。初めはしばらく甘いもの食べたらあかんでって言われてたんやけど、我慢できんくって」
「夜中コソコソ食べてたら、親父にバレて、夜中にコソコソ食べるくらいやったら、個数決めて食べ言われて三個までになってん」
「その時、親父につけられたあだ名なんやと思う?」
色々と突っ込みたい事がある中、突如投げかけられた質問に「知りません」と返すと帰って来たのは「ハムスター」だった。
「こんなデカいやつにハムスターってウケるやろ?」
そう一人で楽しそうに笑う彼に、僕はもう、恐怖心なんて無くなっていたのだった。
「やからな。一日三個までって言う貴重なケーキを選ぶのに失敗したくないねん。だから、おすすめ教えて」
貴重なケーキならば、人に聞かないで自分で選んだ方がいいのでは?
この店のケーキはどれも美味しい。
けれど人には好みってものがある。
もし好みに合わない物を勧めた暁には、それこそ大阪湾に沈められかねない。
だからと言って断っても面倒そうなので「僕はよく、これを食べます」と、僕の一番のお気に入りの苺のミルフィーユを指差す。
ヤクザのお客さんは「ミルフィーユか、あんま普段選ばんな」と言うので、選択を間違えたかと内心、ヒヤッとするも「ミルフィーユ買って帰るわ」と最後のケーキをあっさりと決めたのだった。
やっと解放されると、僕も友人用のケーキを選ぶ頃には、ヤクザのお客さんはお店から出ていた。
まさか、プライベートであの人に会うとは、なんて思いながらケーキ屋を出ると「あ、来た来た」と言う声がする。
そちらに顔を向けると、ヤクザのお客さんが立っていた。
先に店から出たのに、何故か店の前にいる事に驚いていると「さっきはいきなりごめんな。これお礼」と言って、可愛らしく包装された、ケーキ屋のクッキーを渡して来たのだ。
「え、」と驚く僕に、ヤクザのお客さんは「ほなまたね」と手をひらひらとさせ歩いて行く。
突如、クッキーをプレゼントされ驚く僕を残し、歩いて行くその後ろ姿を僕はしばらく、見つめていた。
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