第5話 休み明けの書類の山

 休日明け、いつもより遅い歩調で歩き、欠伸をして職場の自室に入った。

 

 早々、机に積まれた書類の山が視界に入る。

 深いため息が出た。

 休み前より増えているのは覚悟していた。

 でも、想定より山が高い。

 

 廊下を歩き、ここのドアを捻るまでぼんやりとしていた気持ちが一気に陰鬱になり、ここが家ではないのだと痛感する。

 私は気を引き締め、眉を寄せた。

 

「レイヴァー……私は有給休暇を申請した3日前、言ったよな?代理承認しておいてくれと!!」

 

「そうとも、私は確かに聞いた」


 部屋の奥で机に肘をついて新聞を見ていた男は、こちらを見て新聞を無造作に置く。

 

「そして、超緊急、緊急の5件にじっくり目を通して4件の承認、1件の書類ミスに対する指摘と差し戻しをしておいたぞ」


 右手で白い紙をつまんで振るレイヴァーは、薄く笑って肩にかかった長い黒髪を左手で払った。

 私はレイヴァーの机まで大股で歩み寄り、両手を机に付くと、身を乗り出してレイヴァーを詰めた。

 

「残りのそこそこ緊急とかは?」

「今日がギリギリ回答のものは残している」


 ああ……頭が痛い。

 私が額に頭を添える奥で、レイヴァーは再び新聞を見始めている。

 忙しい中でやってもらったのはありがたいとは思うが。

 時間がないものばかりだと、承認メインになって確認に時間が取れない。

 担当者の調整も時間がかかるだろうから、本当なら確認もきちんとしてあげたいところだ。

 

「すまないな、昨日は私は『迷える男のためのゼロから始める女体学』の第5回講義資料を作るのに忙しくて、手が回らなかったんだ」

「そうか、忙しい中ですまな……にょた?」


 私はレイヴァーが掲げた新聞を掴んで下ろした。

 レイヴァーはこちらに顔も目も向けず、無表情で記事を読み続けている。

 

「お前も来るか?私の講座では、いつ来てもその講義が分かるように心掛けているから、お前でも理解はできるだろう」

「レイヴァー……まーた!また私の居ない間に部下達に変なこと吹き込んでいるのか!第5回ってなんだ!!」

 

 私は今、こうして頭を抱えている時間も、本当なら資料を見なければいけないはずだ。

 しかし、嘆く時間が欲しい。

 これが私の未来を預けている男なのだ。

 

 私の未来は実は真っ暗か?


 レイヴァーは新聞から目を離し、畳んでゴミ箱に放り投げて立ち上がった。

 ……まだ読んでいないのに。

 いや、今日は読む時間はないか。

 

「さて、私は私の部隊の体力訓練の時間だからそろそろ出るが。ケティスは、この休日はセナさんとイイコトちゃんとできたか?」

「イイコトってなんだ!私の弟子で変なこと考えるんじゃない!」

 

 反射的に返すと、レイヴァーは細目をさらに細くする。

 邪推されている気がする。

 非常に、不快だ。

 訂正する必要がある。


「何もない!皿洗ってボードゲームしたくらいだ!」

 

 そういうと、レイヴァーは軽く頷いて、笑いながらドアに手をかけた。

 

「腰へのボディタッチくらいはしておくと、親密性とお前の満足感が上がるぞ」

「満足感ってなんだ!行くならさっさと行け!仕事でプライベートの話をさせるな!」

 

 くっくと笑い、まだ語りたそうなレイヴァーは髪を翻し、ようやくドアを閉じて仕事に向かっていった。

「はぁ――」

 溜め息が止まらない。

 私はもう一度短いため息を付くと、自席の椅子に重い腰を乗せて、書類に向き合った。


 

 書類に目を通しながら報告日、提出期限に鉛筆で丸をつけていく。

 

 中央の式典への参加者か……最低限上の者が出席すればいいとも思うが、うちの東部は中央部への関係を持ちたい者が多くいるし、今年は異動が多かったからな、衝突がなるべく起きないような人選か。

 

「リチェルカルド中将」

 

 モリドル執行官は執拗に行きたいと言っているようだが、4年前に中央軍にいた時にトラブルを起こしていると聞いているし、優先度は低い。

 

「リチェルカルド中将、聞こえておられますでしょうか」

 

 なんなら、上層部は人間関係でトラブルが起こりすぎていて、うまくまとめろというのが無茶なんじゃないのか。

 

「リチェルカルド中将!!」

「うわぁ!!?」


 耳元で爆音で名前を呼ばれ、座ったまま椅子から3センチは宙に飛び上がった。

 驚いて顔をあげると、知らない青年の部下が困惑したように書類を抱えている。

 一拍置いて、状況を理解した私は口元に手を当てて咳をする。

 

「ごほん。えー、ノックをしてから来たまえ」

 

 じゃなければ、毎回飛び上がる様を部下達に目撃されることになる。

 

「5分くらいノックしたのですが、緊急の資料を預かっており、在席表示されていたため、やむなく入室いたしました。失礼いたしました」

 

 ……申し訳ないことをした。

 私はもう一度咳をして、手を伸ばして書類を受け取る。

 

「そうか。分かった、預かる。これは今日中か?夕方か?君に返せばいいか。君の所属先と名前を」

「午後4時までに、私、グラットル部隊のウェンスにお返しください」

 

 了承し、彼が自室から出てから書類の表題を見る。


 “隣国との貿易交渉決裂と軍備拡張の検討における各地方の追加予算希望の確認――総統 ドイゾン=E=リチェルカルド“


 ……嫌な名前を見たな。

 見たくなくなった気持ちを押し殺し、ざっと資料に目を通す。

 

 中央から予算が欲しいかという期限の短い希望調査が出たため、『一旦会議で話し合うから各々案を考えておいてくれ』、ということらしい。

 

 現場の人間としては、兵器の更新よりも宿舎等の建替え等の設備更新に予算を充ててほしいのだが……そういった資産より、兵器等の方が予算がつきやすいから、ずっと後回しにされている。

 賃料が個人負担ではなく各地方軍負担ということ自体は魅力ではあると思う。

 そのため、節約のために頑張って住んでいる若者もいる。

 だが、私は幽霊が出るとまで言われるほど汚い、4人1部屋のオンボロ宿舎には住む気はない。

 学生の頃の宿舎の方がまだ清潔感はあった。

 若い世代の離職率を下げろと言うくせに、実態がまるで見えていない。

 

 ……まぁいい。大体は見えている。

 くれるならくれ、で大体はまとまるだろう。

 通らないものに資料を作り、熱く語る必要もない。

 

 一通りざっと書類に目を通してから、急ぎかどうか、見るだけで良いか、判断が必要かで山を分けて未着手をなくしていく。

 時折、水筒に入れたぬるい水に口をつける。

 暖かいお茶にすればよかった、と毎日のように思うが、お茶だと一息ついてしまう。

 仕方ない。諦めて水を喉に流し込んだ。

 

 今日は残業かもしれない。

 

 そうなったら、息抜き代わりにレイヴァーの講義でも潰しにいこう。

 私は今日、何度目かの深い溜め息をついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る