7.雪氷の美姫との下校とダブルスタンダードな女教師
学校からの帰路の途中、どういう訳か、俺は今雪代と肩を並べて歩いている。
これは彼女の提案によるものだ。
彼女は今後も積極的に俺と関わっていくつもりらしい。
「あれって雪代さんじゃない?」
「一緒にいるのは誰だ? うちの生徒か?」
「何か冴えないやつだな。前髪で目が隠れていていかにも陰キャ代表って感じだ」
「どうしてあんなカースト低そうなやつが、『雪氷の美姫』と一緒に帰ってるんだよ」
「処す?」
お決まりのように、道行く生徒達が俺達を見て騒ぎ立てる。
それと最後のやつについては、もう何も言うまい⋯⋯。
どこにでも出没するやつだという認識だけ持っておこう。
「そう言えば、GW中に姫歌がナンパされてた時に、緋本君に撃退して助けてもらったって嬉しそうに話してたけど、どんな状況だったの? そこのところ詳しく」
雪代は周囲から集まる視線を気にする様子もない。
俺はこんなに居心地悪い思いをしているっていうのに⋯⋯。
「大げさだな。ただ相手の手首を掴んでちょっと力を込めて握り締めたってだけなのに」
「握力が強いんだね。鍛えてるの?」
「一応毎日の筋トレは欠かした事がないからな」
「そうなの? じゃあ着痩せしてるだけで、実は脱いだら細マッチョとか?」
「バキバキって程じゃないよ。腹筋が割れてるのが分かるってだけだ」
「筋肉質な緋本君かぁ。ブルーさんとして接していた時は完全なインドアタイプだ思っていたけど⋯⋯じゃあスポーツなんかも得意そうだね」
「俺の祖父さんが空手道場の運営と指導者をしていたから、小さい頃からその道場に通って空手を習ってはいたな」
「空手かぁ。でも今はもうやってないんでしょ?」
「ああ。小五の時に祖父さんが病気で亡くなってからは、道場には通わなくなったよ。代わりにバスケ部に入ったけど」
「部活をやってる緋本君って、イメージが湧かないなぁ。その頃はまだ今と違って協調性があったんだね」
「中三の初めの頃までは続けてたんだけど、まぁ色々あって辞める事にしたんだよ」
濁して伝えた。詳細までは語りたくない。
「緋本君の地元ってここじゃないよね? 学校で友達が一人もいないのって、その事が原因でもあるんじゃない?」
「そうだよ。地元はここから電車で三十分くらい離れてる。でも友達がいないのは地元でもそうだよ」
「ふぅん、そうなんだ。じゃあ一人暮らししてるんだね」
「ああ」
「ここまで帰り道は一緒だったみたいだけど、どこら辺に住んでるの?」
「この通りを後五分程進んだところにある五階建てのマンションだよ」
「私の家もそこら辺にあるよ。両親と三人で暮らしてるんだ」
「君がねーじゅさんとして作家をしている事を、親御さんはどう思ってるんだ」
「二人とも凄く応援してくれてるよ。書籍化が決まった時は盛大に祝ってもらったなぁ」
「家族仲がいいんだな」
「まぁね。ちょっと過保護気味なところが玉に瑕なんだけど」
そんな事を話しながら歩き、俺の住む部屋がある自宅マンションの前に着いた。
「ここだよ」
「えっ? 私の家、その隣なんだけど」
驚きに目を丸くする雪代。
言われてそちらに顔を向ける。
自宅マンションの隣に立つのは、二階建ての一軒家だ。
一般家庭が住むには少々大きめに見えるサイズで、真新しい白い外壁の瀟洒な造りをしている。
普段何気なく前を通っていたが、まさかこの家に雪代が住んでいるとは思わなかった。
「まさかの事実だな」
「ホント、驚きだね」
互いに顔を見ながら驚きを分かち合う。
「それにしても、よくこれまで家を出る時に鉢合わせとかしなかったな」
「私、登校する特は早めに家を出るからね。朝の静かな教室で読書するのが好きなんだ。今日の朝は緋本君より遅れて登校したけど、それは昨夜夜更かししていたから。『変調愛テロル』の二巻の書き下ろし追加エピソードがまだ完成していなくて、担当編集にせっつかれていてね」
「二巻も楽しみに待ってます、ねーじゅ先生」
「うん。読者の期待する声が直接聞けるってのはいいもんだね」
雪代は嬉しげに頬を緩ませると、
「それじゃあ明日からは、待ち合わせて一緒に登校しようね。時間は、そうだね──」
そのための打ち合わせを始めた。
純粋で。
無邪気で。
自由で。
奔放で。
白雪のように無垢な彼女。
俺はこうやってこれからもそんな彼女の掌の上で踊り色々と振り回される事になるんだろう。
そんな予感がした。
ただそうされるのは別に嫌な気はしなかった。
──『覚悟しておいてね。きっと私が暗い闇の中で怯えている君を、光の当たる華やかな表舞台に引きずり出して、素敵な物語の主人公にしてあげるから』。
彼女のそのある意味宣戦布告とも取れる自信に満ち溢れた宣言が、どうしても忘れられずに、繰り返し頭の中で響いていた。
§
がばりと上半身を起こし、枕元の時計を見ると、既に午後六時半を過ぎていた。
週末の金曜日。
学校から帰宅し、今日は体育の授業でサッカーがあって疲れていたため、少しだけベッドで横になろうとしたのだが、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
さて夕食の準備でも始めるかとベッドから降りてキッチンへ向かおうとすると、
──ピンポーン♪
玄関の呼び鈴が鳴った。
宅配業者だろうかとも思ったが、最近ネット通販を利用した覚えはない。
では誰だろうとドアを開けると、そこには担任の美作先生が立っていた。
仕事帰りだろうか。昼間に学校で見たパンツスーツ姿のままだ。
手には大きめのビニール袋を提げている。
「きたぞ、入れてくれ」
俺の顔を見るなり、不躾に告げる。
「美作先生でしたか⋯⋯何か用ですか?」
仕方なく彼女を招き入れる事にした。
「学校外では、教師と生徒ではなく、叔母と甥だから、静音さんと呼べといつも言っているだろう
」
咎めるように不機嫌そうな顔で訂正を求める。
「はぁ⋯⋯それで、静音さんは何の用でここに?」
「抜き打ちチェックをすると事前に伝えておいただろう」
「そんなに暇なんですか?」
「たまたま手が空いただけだ。君のシニカルな物言いは相変わらずだな」
呆れたように眉を顰めながら、部屋の中央に置かれているソファにどっかりと腰を下ろした。
「私はまだ夕食を摂っていないんだ。腹が減った。久しぶりに、蒼介の作った唐揚げが食べたい」
などと年甲斐もなく我が儘な要求をする。
「はいはい。丁度冷蔵庫に鶏もも肉がありますから作ってあげますよ」
駄々っ子モードになった彼女に逆らおうとしても無駄である事は経験則で知っている。
普段学校で凛とした態度を崩す事なく生徒に向き合っているため、たまにガス抜きのためかこうなってしまうのだ。
「ニンニクは抜きで、でしたよね」
「ああ、それで頼む」
返してから、持参したビニール袋を漁り、中からビールの六缶入りパックを取り出した。
「もしかして、ここで飲むつもりですか?」
「唐揚げにはビールが欠かせないだろ?」
「でも帰りはどうするんです? 先生ここまで車できたんでしょう?」
「ああ。だから今日は泊めてもらう」
「教師が一人暮らしをしている生徒の自宅に泊まるのは、色々とまずくないですか?」
「今更だろう。ここにはもう何度も泊まっているんだから。私はソファで寝るから、ブランケットを貸してくれるだけでいい」
「はぁ⋯⋯分かりました。好きにしてください」
§
「相変わらず君の作る料理は美味いな」
缶ビールを片手に熱々の唐揚げを頬張りながら、静音さんが褒める。
「母さん直伝の味ですからね」
こと料理に関しては、俺もそれなりの腕だという自負があるため、誇って言うが、その言葉に、それまで勢い良く次々と料理を口へと運んでいた彼女の箸がぴたりと止まる。
「⋯⋯まだ母さんへの気持ちに折り合いがついていないんですか?」
俺は食事の手を休めて聞いた。
「⋯⋯姉さんは、私を置いて決して手の届かないところへと旅立っていった裏切り者だ」
俺の母さんと静音さんは、由緒正しい良家の生まれだ。
だが母さんは、大学生だった頃に父さんと出会い、俺をその身に宿し、実家から半ば勘当される形で出ていき、父さんと結婚して一緒になった。
その母さんの妹である静音さんは、実家に内緒で母さんと連絡を取り、たまに家を訪れては俺や妹の和咲の面倒を見て可愛がってくれていた。
けれど、俺が中学に上がってすぐに、母さんは大病を患って入院する事になり、それから約半年後に、病室で帰らぬ人となった。
そんな母さんを、静音さんは、裏切り者だと言って墓参りにもいこうとしない。
とても仲がいい姉妹であったため、その分死で分かたれてしまった事で、その反動のようなものに襲われたのだと俺は考えている。
「あれからもう四年以上経つんですよ。そろそ
ろその死を受け入れて許してあげたらどうですか?」
「この世は、許せるものと許せないものとに二分する事が出来る。君にもたくさん許せないものがあるだろう? ペシミスティックな生き方をしているからな。遠ざけたいものなど腐る程抱えているはずだ」
「まぁそうですね。俺が一番許せないのは、漬け物全般です。なぜ新鮮な野菜や果物を冒涜的に漬け込んで味や食感を気持ち悪く変えなければいけないのか⋯⋯理解に苦しみます」
「ふむ。私は居酒屋で食べるきゅうりの浅漬けとか好きだけどな。あのポリポリとした食感がたまらない」
「俺は頼まれても絶対に作りませんからね。あんな
断固として拒否させてもらう。
あれを作るくらいなら、スカイツリーからバンジージャンプでもさせられる方が幾らかましだ。
「いずれ作ってもらおうと思っていたんだがな⋯⋯」
静音さんが残念そうに零す。
「まぁその事は今はいい。そんな風に、君に許し難いものが存在しているように、私にもそうであるものがあり、それが姉さんの死だった──ただそれだけの事だ」
「自分で大人げないとは思わないんですか?」
「大人でも許容できない事柄なんて幾らでもあるからな。それを上手く避けられるようになるのが、大人になるという事だ」
「理解はしましたけど、納得はしていませんからね」
静音さんは「君はそれでいい」とだけ返すと、再び箸を動かし始めた。
§
「少し話をしないか?」
照明が消され、閉じられたカーテンの隙間から差し込む、決して叶わない初恋のように仄かな月明かりだけが薄くベールで覆うように照らすワンルーム。
そのソファで横になりブランケットを被る静音さんが、囁くように尋ねた。
「⋯⋯」
ベッドに横になり布団を被っている俺は、まだ眠ってはいなかったが、答えを返しはしなかった。
「まだあの時負った心の傷は癒えないか?」
「⋯⋯」
「君はあの出来事があってから、近しい者以外には心を閉ざしてしまったが、それは、他者の事などどうでもよくなったわけじゃない。近づけばまた裏切られるんじゃないかという恐怖に怯えてしまっているだけだ」
「⋯⋯」
「君は最近、クラスメイトの雪代と仲良くしているみたいだが、その繋がりは大事にしろよ。理解してくれる者が傍に一人でもいると、それだけで気持ちが幾分かは軽くなるだろうからな。自分だけで抱え込んでいると 、いずれ息が詰まってパンクしてしまう。君はまず他人のネガティブな面を許容するところから始めた方がいい。人は不完全な生き物だからな。そしてポジティブな面を信じてやるんだ。そうすれば円滑な関係を築く事が出来るようになるだろう。初めから裏切られる事を想定していては何も得られないままだぞ」
「自分は母さんの死を受け入れられず許せないでいるのに、俺には他人の欠点を許容しろだなんて、ダブルスタンダードじゃないですか?」
それまで黙っていた俺が、そう一貫性のない矛盾を指摘した。
「⋯⋯ここは素直に頷きを返す場面だろ。もういい。私は寝る」
拗ねたように呟くと、静音さんは口を噤んでしまった。
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