ep14 あかい気持ち(2)
食事を終えると、セリアスはまた忙しなく政務へ向かった。
見送ったあと、さて――なにをしようかと迷う。
ミレナ曰く、浄化に成功したという噂で今城内がてんやわんやらしい。
セリアスもルーエンも、こちらに余波がこないように頑張ってくれているらしかった。
それは感謝しかないが、そうなると主に二人と関わってきていた自分はやることがない。
本当は大人しくしていたほうがいいのだろうが、ここ暫く碌に身体を動かしていなかったので、ずっと部屋にこもっていると、息が詰まりそうだった。
できれば散歩程度に身体を動かしたいとミレナにお伺いを立ててみる。
「大丈夫でございますよ。ただ、お髪がどうしても目立ってしまいますので、こちらのヴェールをお召しになってください。」
差し出されたヴェールは、見たことのあるような色合いだ。
夜明け色を帯びた生地に、灰と紫の模様が差しこまれていた。
「セリアス様が、お洋服と合わせて一式ご用意なさったのですよ。ぜひそれをお召しになられてくださいませ。」
ミレナが悪戯っぽく笑って妙に照れた。
妙にひらひらした衣装で戸惑ったが、拒否する理由もなくそれを着て庭園に出る。
「良い天気だね。」
「ほんとうに。最近はほどよい気候でございますね。風が気持ちようございます。」
ほのぼのとした空気がありがたい。
色とりどりの花々と、みずみずしい木々に囲まれた庭園に、先ほどまでパンクしそうだった頭がほどけていく。
――まさか、急に結婚なんて。
いや“誓約”か。結果内容は変わらなそうだから、どちらでもいい。
まさかの急展開だ。
気持ちを受け入れたのだから、文句はない。
文句はひとつもないが、気恥ずかしさと落ち着かない気持ちは、いまだ落とし所がつかない。
どこか雲の上を歩くような心地だ。
「いや、嬉しいんだけどさ……。」
そう独りごちて、照れ隠しに花壇の花を弄んでいた時だった。
「おまえが神子か。」
不意に、不遜な声が降ってきた。
振り返った先、若草色の髪をした少年が立っていた。
年は同じくらいか、少し下に見える。
ミレナがすっと下がって礼をする。少し表情が固いのが気に掛かる。身分の高い少年なのかもしれない。
「……そうだけど。」
面倒そうな雰囲気を感じて、特に名乗りはしなかった。相手がそれを求めているようにも感じない。
確実に初対面だが、相手が誰であろうと礼儀正しい言葉を使用してはならない、とはルーエンの言葉だ。
王族に敬語を使っていない時点で、誰にも敬語を使えなくなったという逆現象のような事が起きてしまっていた。
きっとそういう肝は太い方だ、と思う。要は開き直っていた。
「おまえがセリアス様を誑かしたやつか。
セリアス様はお優しいから、おまえのような者を遠ざけることができないんだろう。大人しく身をひけ。」
少年は偉そうにふん、と鼻を鳴らした。
――あ。こいつ気遣わなくていいやつだ。
思考を切り替えた。その言葉を言ったのが王様でなくてよかったと心底思う。
「なんで?」
ストレートな疑問をぶつけると、思ったより相手は動揺した。
「なんでって――それは、身の丈とか。」
「神子って、すごい影響力あるんだろ。」
悪意を感じて、つい口にしてしまった。
こんな言い方はしたくなかったが、聞いた話では事実だ。
「そんなものを傘に着るなど。やっぱり、おまえはセリアス様の側にいるべきではない!」
「だって、セリアスは神子付きの神官なんだろ?無理じゃない?」
「それは、そうでも!」
どうやら言葉より気持ちが先に出るタイプだ。
こういうやりとりは、気やすくてちょっと楽しい。
「それに、なんで俺がお前の言う事聞く必要があるんだよ。」
聞くと、少年はふんぞりかえった。
「俺は神官長の息子だ!」
「だから?」
だから何だと言うのか。首を捻る。
「無知なやつだな。神殿じゃ、父上の言葉ひとつでおまえなんか――どうとでもなるんだぞ!」
「そうなの?」
ミレナに視線をやると、彼女は小さく首を振る。
だが声を出さないところを見るに、少年の立場が高いことは間違いないようだった。許可がなければ喋ることを許されないのだと態度が語っていた。
「違うみたいだから、それは置いといて。」
「置くな!」
「いや、置いて。」
「おまえ、僕を誰だと」
「『そんなものを傘に着るなど』――だっけ?」
話が進まなそうなのでわざと嫌味に被せた。
少年の眉間がぴくりと動く。気が強いくせに、正面から言い返せないあたりが不器用だ。
「何でセリアスのそばに居るのが気に食わないわけ?」
「くそ――まあ、いい。セリアス様は尊きお方だ。いつでも優しいからと甘えるな。」
「甘える……」
たしかに、甘えてはいる。そこを突っ込むのはよそう。
「俺と一緒にいるか、いないかを決めるのは、俺とセリアスの話だろ?何でお前が出てくる。」
「それが甘えだと言っている!おまえにだけではない。誰にでも慈悲をくださるだけだ。」
思わずぱちぱちと瞬きをした。
……いまいち、何を言いたいか分からない。
「お前、セリアスのことが好きなの?」
途端、少年の頬に朱がさした。
なるほど、なるほど……。こいつはさしずめ恋敵ってやつだ。目的が分かって、ちょっと面白くなった。
「でも、俺も好きだから無理だなあ。」
わざとのんびり言うと、少年の赤い顔が青く変わる。
「調子に乗るな!」
「確かに調子に乗ってるかも――うん。いい奴だし、格好いいし、惚れるのは分かる。
けど、俺に言っても仕方ないじゃん。全部セリアスが決めることだろ?
俺はセリアスが好きだから一緒に居るけど、流石に拒否されたら一緒にいないよ。」
割とまっとうなことを言ったと思うのに、少年はぷるぷると震えた。チワワみたいだ。
思わず苦笑がこぼれる。
因縁をつけられてるのは自分なのに、ずるい愛らしさだった。
「だから、お前も気持ちを伝えて、俺に近づかないように本人に言えばいい。
それでお前に気持ちが傾くなら、それで仕方ないと思う。」
少年はばっと顔を上げてこちらを睨め付けた。目に涙が溜まっていてちょっと焦る。
「そんな、そんなに簡単にっ……言えるはずないだろっ!」
声が裏返っていた。顔が真っ赤だ。ああ、拗らせてるんだな、と気がついた。
一呼吸おいて、わんわん泣き始めた少年に、困り果てて頭をなでた。
意地悪がすぎてしまった。胸に小さな罪悪感が生まれる。
「まあ、そうだよな……勇気いるよな。悪かったよ。
泣かせたい訳じゃなかったんだ。
ちょっとムキになって、意地悪言っちゃった。ごめん。」
近場の長椅子に誘導して、隣り合わせに座る。
しばらくぽん、ぽん、と頭や肩を撫でて、涙が落ち着いた頃にふと尋ねた。
「なあ、セリアスのどこが好きなの?」
「……おまえって、無神経だって言われない?」
「よく言われる。」
即答すると、少年は呆れたような息を吐いた。暫く無言で地面を見つめたあと、ぼそぼそと話しだす。
「――小さい頃から、神殿での行事で見かけていて」
それは自分のまだ見たことのないセリアスの姿だ。ちょっと妬ける。
「いつも優しく微笑んでおられるけど……だれも話しかけられないくらい、神々しいんだ。あのお姿を見れば、誰だって、彼の方にこちらを見てほしいと思う。」
「こうごうしい。」
それは、今頭に浮かんでいる神系のそれで間違い無いだろうか。
大型犬の様子が頭をよぎる。
でも確かに黙っていれば美貌の王子だ。ありえない内容では無い。
「俺からしたら、ただの一人の人間だけどな。」
何とはなしに言えば少年が鼻を鳴らす。
「……そんなこと、分かってる。でも、神官なら、僕にもチャンスがあったはずなのに!おまえが!」
「分かってるなら、俺に言ってもしょうがないだろ。」
わざと口を挟んだ。
「――分かってるなら、俺に言わず本人へ言わないとだろ。
思わず俺に言っちゃうくらい大切にしてるなら、尚更だ。」
つい先ほど、“誓約”どうのという話をしたばかりだと伝えるべきか迷った。
伝えない事も公平じゃ無いと思ったが、むやみやたらに人に言えない内容だという自覚はある。
「でも俺も譲れないしなあ――ごめんな。俺も本当に大事なんだ、あいつのこと。」
「僕の方が、ずっと前から知ってたのに。」
「それを言われるとつらい。」
ぐうの音も出ない。所詮急に異世界から来た新参者だ。
「……“誓約”を結ぶって、ほんと?」
頼りない声に心が痛む。知っていたのなら、嘘はつけない。
「本当。」
短く答えた。
「なんで!」
「お互い大切だから。」
「僕の方が好きに決まってる!」
決めつけて言う少年に少しいらっとする。
これはいただけない。いただけないが、怒ってはいけない。
……そう思ったのに、口が先に動いた。
「――それをお前が決めるな。」
おまけに思ったより低い声が出て、自分でも驚いた。
案の定、少年がびくりと肩を震わした。
「ああ、ごめん、驚かせようと言ったんじゃなくて――あのさ。恋とか、愛とか、俺もまだよく分かんないけど。
もっと人間の根っこの部分……たぶん信頼とか、尊敬とか。
もう、繋がっちゃっててさ。俺からはとても切れない。
お前の好きな気持ちを軽く扱ってる訳じゃないよ。ほんとうに。どう言っても納得しないだろうけど。」
しばらくの沈黙が落ちて、風で花がゆらぐのをただ見つめた。
言葉を急かすのも違う気がして、ただ言葉を待った。
何分くらい経ったのだろうか、少年が問いかけてきた。
耳を傾けていなければ聞こえないほどの、どこまでも小さな声だった。
「……ヒナタから見たセリアス様って、どんな人?」
名前を呼ばれたことに少し驚く。さっきまで、親の仇のような顔をしていたのに。
「んー……大型犬。」
正直に答えれば、「はあっ?」という大きな声が上がった。
「でかくて、人に懐いて、放っとくと突進してくるやつ。」
何も言わないところを見ると、意味合いは伝わったらしい。
「大きい犬みたいだろ、セリアスって。たまに尻尾があるような気がする。」
笑って言えば、少年は信じられないような目でこちらを見てきた。
「……帰る。」
しばらくして、そう呟いた彼を止める理由はなかった。
「おー、気をつけてな。」
そう言って、だが、とぼとぼと歩を進める少年の背が離れていくのを見て、思わず声をかけた。
「――なあ!お前名前なんていうの?俺はヒナタソラネ!」
ぴたりと足を止めた少年は、数拍佇んだあと、肩を怒らせながら勢いよくこちらに戻ってきた。
「君はほんとうに繊細さがない!」
あきらかに憤慨しているわりに、今度はおまえ、とは言わなかった。
「よく言われる。あと、情緒がないとか。」
「セリアス様には不釣り合いだ。」
「たしかに。あいつほんと王子様って感じだもんな。」
少年は呆れ顔だ。この顔か怒った顔か泣き顔しか見てない気がする。――いや。むしろこの短時間でよくそんなに見れたな。表情が素直なたちなんだろうか。
「――エルミト。」
ぼそりと呟いた声は小さかったが、ヒナタの耳には届いた。
「そっか、エルミト。よろしくな。」
「今までの話聞いてた?よろしくなんてしない。」
「ごめん。俺、この世界にきてから、そうやって対等に話してくれる人、今まで一人もいなかったんだ。嬉しくて。」
本心だった。
初めから神子としてではなくヒナタへ真正面から声をかけてくれる人なんて、今までいなかった。
突っかかってきた内容を思えば、今後話しかけてくれるとは思えなくても、掛け値のないやり取りが嬉しかったのは本当だ。経緯は微妙でも、それはそれだ。
「君、言葉通じてる?」
「通じてないかもしれない。」
笑顔で返すと、エルミトは何とも言えないような顔をして踵を返した。今度こそ去るつもりらしい。
「またな!」
気にしてないように見えて、かけた声に一瞬立ち止まるのだから、生真面目な性格なのかもしれない。
いいやつそうだなあ、と笑いながら見送った。
春の風が庭を抜けて、彼の若草色の髪が舞う花びらに映えていた。
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