クリスマスイブは恋よりバイトです!
涼月
聖なる光 (尾上璃杏side)
「あ……尾上さん。栗原だけど、突然ごめん」
バイトリーダーの栗原さんから、直接電話が入るなんて、私にとってはそれだけでも奇跡のような出来事。
なんだけど……
「明日の」
「は、はいっ」
明日ってクリスマスイブだわ。
心臓がトクンと跳ねる。
「シフトのことなんだけど、アホ崎がインフルもらったらしくて……遅番、もし入れるようならお願いしたいと思って、いや、無理だよな。わかってはいたんだけど、もし、万が一入れたらとダメ元で掛けただけだから、ごめん」
電話の向こう側で物凄く恐縮してる様子が伝わってくる。
そうだよね~
栗原さん、真面目が服着て歩いているような人だからな。彼女さんにも、きっとこんな風に平身低頭謝り倒して、明日もバイトに行くんだろうな。
私みたいに、見栄!? じゃ無くて、駆け込み彼氏ができる百万分の一の可能性に賭けて休みを入れていた奴と違ってね。
……栗原さん、彼女いるか知らないけど。
「あの、大丈夫です。明日入れます」
「そうだよな、やっぱり無理……えっ!? 本当にいいのか?」
「はい。大丈夫です」
「そっか、ありがとう。じゃあ、明日よろしくな」
心の底からほっとしたような栗原さんの声に、これ以上見栄をはらなくて良かったと思った。
ここ、イル・フォコラーレは裏路地にある隠れた名店。オーナーの笠木さんのお父様が遺されたイタリア料理店だ。
と言っても、笠木さんは料理の腕はからきし駄目と言って、さっさと友人の日比野シェフに任せて自身は経営に徹している。
日比野シェフは本番イタリアで食道楽三昧の日々を過ごしていた時、笠木さんにスカウトされた、と言っている。
とてもユニークな経歴の方だけど、腕は確かでとっても優しい味なの。
お陰で固定客ファンが多くて、お店はいつも満席だ。
あ、ファンと言えば、スタッフにイケメンと美女が多いのも理由かもしれないわね。
シェフの日比野さんはスポーツ選手のような筋肉質な肢体と精悍な顔立ち。真剣な面持ちでリズミカルにフライパンを動かし、満足な仕上がりににこりと笑窪を作るお茶目な方。
助手の金手さんは陽気なムードメーカー。どんなに厨房が忙しくても、鼻歌まじりにくるくると動き回ってさばいていく達人。
バイトリーダーの栗原さんは、面倒見のよい頼れる人。いつもホール全体に目を配り、新人バイトにもわかりやすく指示してくれる眼鏡イケメン。
インフルになっちゃった柿崎さんは、いつもはダイナー系なのに、接客するときは憂いを帯びた色気を放つ大学三年生。
ちなみに、私は栗原さんと柿崎さんと同じ大学の一年生。学部は柿崎さんと一緒の文学部。栗原さんは法学部だ。
もう一人、同じ大学の沙耶香ちゃんは社会福祉学部。くりくりとした瞳が可愛いほんわか系女の子。今日は彼氏とデートで休みだけど。
そして、笠木オーナーの恋人でソムリエの葛城さんは、ワンレングスボブが似合うクール系美女。
ほらね。ざっと挙げただけでもイケメンと美女ばかりでしょ。今は割愛しちゃうけど、他にも社員さんやバイトがいるんだけど、みんな素敵な人達ばかり。
美味しい料理と居心地の良い空間と接客。
それがこのお店の強みなの。
赤、緑に金銀を豊富に使った装飾。レジ横に飾られた大きなツリーにクリスマスソングメドレー。
イブの今日はやっぱり、カップルで来店のお客様が多い。
羨ましくなんか……ないもん!
だって、眼鏡イケメンの栗原さんと一緒にお仕事できるんだから。
それに、今日は特別にクリスマスプレートが用意されていて、ほとんどのお客様がそれを注文するから、いつもより楽な気がする。
新鮮野菜と果物、チーズやスモークサーモンを乗せたブルスケッタの前菜。小ぶりのラザニアとピザと蛸のトマト煮も楽しめて、メインはスズキとズッキーニのソテー。
デザートはパネトーネとティラミスとコーヒー。
ね、完璧でしょ。
少しずつ色々な味わいを楽しんでもらいたいと、日比野シェフと金手さんが、朝早くから準備していた御品ばかり。
その真心が伝わって、食べたお客様の顔が輝く瞬間を見るのが、実は嬉しかったりするのよね。
最後のお客様を見送ったら、もう日付が変わる頃だった。
「遅いから送って行くよ」
「えっ」
栗原さんの言葉にドクンと胸が波打つ。
送っていくって……駅までってことだよね。
危うく都合のよい意味に捉えそうになって、心を落ち着かせるのに必死。
それなのに、爽やかな笑顔を向けられて、頬が一気に熱を持つ。
暗くて良かったぁ。
吐く息が白く色づくほど寒いのに、体の芯は熱くてふわふわしながら隣を歩く。
やっぱり、今日はバイトに来て正解!
まさか栗原さんとこんな風に二人っきりで歩けるなんて。すっごくラッキー!
これぞクリスマスの奇跡だわ。
何を隠そう、私の秘め恋は栗原さんだから。
眼鏡の奥の眼差しがとても優しいことも、いつも誰かのために駆けずり回っている損な性分なことも知っている。
だから今だって、こんな風に私に優しいんだよね……
「尾上さん、急に悪かったね。今日は助かったよ」
「それ、栗原さんが謝ることじゃ無いですよ」
「あ、まあ、そうか。そうだな。でも、せっかく休みを取っていたのに……本当はどこかに……誰かと出かけるんじゃなかったの?」
もう、ほんっとうに真面目なんだから。
これだから、嘘がつけなくなっちゃうんだよね。
私は覚悟を決めて真実を明かすことにした。
「栗原さん、本当に気にしないでください。別に予定は無かったんです。いえ、本当は天文学的確率をぶち破って彼氏ができて、デートイベントが発生することを願って休みを確保していただけです」
「えっ、天文学的確率って!?」
あ~あ、やっぱり引かれちゃったわよね。自分で言っていても痛い子だってわかっているわよ。
「気を悪くしたらごめん。尾上さんって……付き合ってる人いなかったんだね」
「……はい」
「そうか……そうだったんだ」
「すみません、キモい奴で」
「ん? え、別にキモくなんか無いよ。むしろ」
そう言って、栗原さんが眼鏡をかちりと直した。
「もし差し支えなければ、少しだけ遠回りしてもいいかな。それとも疲れちゃったかな」
「別に大丈夫ですよ」
その瞬間の栗原さんの笑顔がすっごく可愛くって、年上相手に可愛いは失礼だってわかっているけど、でも、本当に邪気の無い素敵な笑顔だったから、私もなんだか嬉しくなっちゃったの。
「こっちだよ」
栗原さんが案内してくれた先には、煌めくシャンパンゴールドの並木道。
「うわぁ、綺麗」
思わず零れ出た感嘆の声。
「綺麗だね」
二人で並んで魅入る。
背の高い栗原さんの横に並ぶと、私の顔は彼の肩くらいの位置にあって、こてりと首を傾げたら甘えられる。そんな事を妄想したら、またとくとくと心臓が鳴り始めた。
目の前の光が、瞬き踊り、波打つ。
内なる鼓動が鼓膜を揺らすからくすぐったくて、それをなんとかして逃したくて、私は光へ手を伸ばした。
ふわりと降り立つ白い結晶。
「あ、雪!」
「雪だ」
一緒に呟いて顔を見合わせた。
「寒くないかい」
「大丈夫です。なんか嬉しい。ホワイトクリスマスですね」
光を受けて、キラキラと輝く雪が舞い落ちてくる。
思わず踏み出した私の右手を、ぎゅっと栗原さんが掴んだ。
「好きだ」
「!?」
好きって、栗原さん、そんなに雪が好きだったんだ。
素直にそう思ったの。でも、彼の声が凄く近くで聞こえた。
「尾上さん、俺は君のことが好きだ」
好き!?
栗原さんが私のことを……好きって言った!
「良かったら付き合ってください」
頭の中をリフレインする。
好きと言う言葉が、こんなに甘美な響きだったとは。
「栗原さん」
「ふぇ」
緊張した顔。寒さで青白い肌が目元だけほんのり赤みを帯びた栗原さんを真っ直ぐに見上げる。
これは夢?
無意識にびよんと頬を引っ張った。
「えっ!?」
栗原さんが慌てたように私の指先を頬から引き剥がした。
「痛いだろ」
「ん、痛い」
戸惑ったような栗原さんの瞳に、我に返った。
「痛いから夢じゃないって……確かめてました」
「尾上さん、君って人は」
そう言って、安堵のため息と共にぷっと吹き出した彼の笑顔がやっぱり優しくて可愛くて。
「私もっ」
「ん」
「私も栗原さんが好きです。こんな私で良ければなんですけど、よろしくお願いします」
全ての音が消えて、この世に栗原さんと私だけになったみたい。
煌めくイルミネーションの光が、栗原さんの顔を映し出す。
「良かった」
花開く彼の笑顔は、私にとって最高のクリスマスプレゼント。
私も、自分史上最高の笑顔を浮かべられているといいんだけど……
ううん、きっと大丈夫。
だって私、今ものすごく幸せだから!
メリークリスマス!
聖夜のバイトが告げたのは恋の始まりでした――
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