姉はVtuber
からし
第一話 姉が、死んだ
姉が亡くなったと聞かされたのは、夜だった。
スマートフォンの画面に表示された事務所の番号を見た瞬間、胸の奥が嫌な音を立てた。
理由は分からない。ただ、出る前から分かっていた。
良くない知らせだと。
「落ち着いて聞いてください」
電話口の声は、ひどく丁寧だった。
感情を削ぎ落としたような、整った声。
その声が続けた言葉を、私はすぐには理解できなかった。
事故。
急な体調不良。
救急搬送。
そして——死亡。
一つ一つの単語は知っているのに、並べられると意味を拒絶した。
私は何度も聞き返した。
本当に、姉なのか。
名前を間違えていないか。
冗談ではないのか。
「……詳細は、明日改めてご説明します」
そう言って、電話は切れた。
切れたあともしばらく、私は暗い部屋でスマートフォンを握りしめたまま動けなかった。
姉は、Vtuberを仕事にしていた。
人気があった。
笑顔で、元気で、配信ではいつも「大丈夫だよ」と言っていた。
だから、死ぬはずがなかった。
翌日、家族だけの小さな葬儀が行われた。
参列者は最低限。
事務所の人間も数人来ていたが、誰も声を荒げなかった。
不自然なほど、静かだった。
親は泣いていた。
泣いてはいたが、どこか焦っているようにも見えた。
「これからどうなるの?」
そんな言葉を、誰かに小さく聞いていたのを私は聞き逃さなかった。
葬儀が終わったあと、私は姉の部屋に入った。
机の上には、配信で使っていたメモ。
台本。
キャラクターの口調が、几帳面な文字で書き込まれている。
私はそれを見て、初めて実感した。
姉は本当に本当に、本気で仕事をしていたのだと。
笑っているだけじゃなかった。
演じ続けていた。
その夜、再び事務所から連絡が来た。
今度は電話ではなく、直接会いたいという。
場所は、事務所。
時間は、今すぐ。
断る理由はなかった。
行かなければ、何かが取り残される気がした。
応接室に通されて、少し待つ。
やがて、スーツ姿の男が入ってきた。
この事務所の社長だった。
「突然で、申し訳ありません」
彼はそう言って、深く頭を下げた。
表情は沈んでいる。
だが、目は冷静だった。
「あなたにお願いがあります」
私は何も答えられず、ただ彼を見た。
「お姉さんの件は、まだ公表していません」
「ファンへの影響が大きすぎる」
「今は混乱を避けたい」
一つ一つ、正論だった。
だからこそ、嫌な予感が強くなった。
「少しの間でいいんです」
社長は続けた。
「あなたに、お姉さんの活動を引き継いでほしい」
その瞬間、頭の中が真っ白になった。
意味が、すぐには繋がらなかった。
「……代役、ということですか」
ようやく絞り出した私の声に、社長はゆっくり頷いた。
「声が似ている」
「身内だからこそ、できる」
「ファンのためにも、お姉さんのためにも」
その言葉を聞きながら、私は思った。
——この人は、姉が死んだその日から、もう次の話をしている。
「無理です」
そう言ったはずだった。
けれど社長は、困ったように微笑んだだけだった。
「もちろん、強制ではありません」
「ただ……お姉さんも、望んでいたはずです」
その言葉が、胸に刺さった。
本当に?
姉は、そんなことを?
帰り際、私はふと気づいた。
応接室の机の上に置かれていた資料。
表紙に書かれた文字。
——「継承プロジェクト(仮)」
その時は、意味が分からなかった。
分からないままの方が、幸せだったのかもしれない。
この日から、私の中で
「姉の死」は、まだ終わっていなかった。
配信は、終わらせてもらえなかったのだから。
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