春日狂想

雨宮汐

第1話

 蝉の声が五月蠅い、八月某日。

 空の青さが鼻について、苛立ちを隠せずにいた。差し出されたアイスコーヒーの氷がスプーンにかき混ぜられ、カランと軽い音を立てる。

 汗をかいたグラスに口をつけると、静かに怒って見せた。

「もう一度、言ってもらえますか?」

「ですから、あなたには亡くなった恋人の霊がとりついているのです」

 静まり返る薄暗い喫茶店の店内で、僕はたばこの火を灰皿で押し消した。店内BGMが少し遠ざかって聞こえる。

 友人に霊能者と紹介されたおばさんは、日傘をさして歩いていそうな品の良い女性。派手ではない化粧、控えめなレースのブラウスを着て、少し汗ばんでいるのか、おしぼりで汗を抑えていた。

 軽くおばさんを眺める。

 嘘を見抜く時の手段の一つ。後ろめたいことがある人ほど、視線をそらさない。まじまじと視線を合わせる。

 その黒目がわずかにぶれて見えた。後ろをみていると不意に気づく。なるほど、と一人納得する。

僕の後ろにいる存在を見ているのだ。この朝日に煌めく海のような青い存在を。

 ルーズリーフに青い線を引くような、直線。それらは永遠を知るように。はたまた否定するように、僕の周りを蛍光灯のように光ってはスッとは消え、光っては消える。海を覗きこんだ時の、魚の銀皮が反射するような輝きを見せながら。

 それが亡くなった僕の恋人の魂だと彼女は言った。 

 笑わせる。亡くなったのは、恋人ではなく、男。それも友人だと言うのに。何を吹き込まれたというのか、この人は。

「ふうん。それで、あなたはそれをどうしたいと?」

 喫茶の中の客は物珍しそうに、聞き耳を立てている。こそばゆい、その青い線が僕に耳打ちする。

「口車に乗ったらあかんよ」

 それだけ言うと、その青い線は、光の残滓を残して消えた。まるでそれは宙に切れ目が入って、その切れ目の中に潜り込んだように思われた。

「幽霊なんて信じられないと思いますが」

 叔母さんは必死に話を膨らませようとするが、僕はそっと右手を挙げてそれを制止する。

「信じないわけちゃいますよ。いますよね。あなたの言う通り、青い線、僕にも見えてますから」

 僕はそういうと、叔母さんは立ち上がって「やったら、わかりますよね? このままでは危ないって」と矢継ぎ早に話を進めようとしてきた。

「危ない……ねぇ」

 僕はアイスコーヒーに再び口をつけ、聞こえないように無神経な人だとぼやいた。

「なにか? いいましたか」

 おばさんは少し眉をひそめて、怪訝そうな表情を浮かべる。僕は態度を変えることはなく、おばさんに顔を近づけて口にする。

「えっ? いやぁ、あなたよくこんなことできるなって」

「疑う気持ちはわかりま」

 彼女の言葉をさえぎっていった。

「あなたの子供さん死んでますよね? 夫はギャンブル中毒。霊視ができるようになったんわ、娘さん死んでから、でしたよね?」

「な、なにを」

 明らかに動揺した姿に、確信を抱いた。

「娘さん、ゆうてましたわ。お母さんは私を殺したんです。変な宗教にハマって、その教祖の言うとおりに、私を殺害しましたって。簡単な話です。あなた、娘さんが持ち歩いているエピペン」

 そう告げた瞬間、叔母さんは顔を青くし「わかりましたから!」と叫んだ。

「関わりません。お金もたかりません。もう言わんといてください」

 息を荒げているのに、彼女の血の気の失せた表情は、真に迫っていた。それが事実だと誰もが悟るぐらいには。

「帰ります。もう連絡しませんので」

 叔母さんは荷物をまとめると足早に、その喫茶店を出て行った。

「マスター、レイコ変えてもらえる? ぬるなったから」

 そういうと、僕はセブンスターを取り出し、ジッポライターで火をつけた。金具が回り、ライターの火がジリジリ煙草に火をつけ、煙が肺を満たした。

 マスターは水出しコーヒーをグラスに注ぐと、急いで俺のテーブルまで運んできた。息をのむように、野次馬根性を出していたマスターも気になるらしい。ためらうように声を変えてきた。

「よう、わかりましたね。あの人の家の事情とか。殺人とかはほんまか、知りませんけど。霊感ってやつですか?」

 マスターが興味本位で聞いてくるので、俺は灰皿に煙草を置いて腹を抱えて笑った。

「あんなの、当てずっぽうですよ。マスターも人がいい。たまたま適当ゆうたんが、当たっただけですよ」

 僕がそうごまかしても、マスターは何となく察しが付くようで「そうですか」としか言わなかった。

 この古臭い喫茶店の、古びた鳩時計が十二時を告げる。懐かしくもあり、五月蠅くもあるこの時計が、僕は嫌いだ。

「あの叔母さんね。知り合いの子が、紹介してくれたんですよ。簡単なことです。その子が、少しだけ叔母さんの家の事情を話してくれて、察しがついた。それだけですよ」

「なんだ……。それだけですか」

「それだけです。ほかに何だっていうんです」

 そういうと、明らかに落胆したマスターが肩を落とした。

「そもそも、なんであの人を紹介されたんです? 変な宗教の勧誘?」

 そう、話を深堀しようとするマスターに僕は少しあきれて。

「まぁ、傷心の人間には、取り入る隙があるとちゃうからですかね?」と僕は困ったようにおどけて見せた。

「傷心?」

「春日狂想って知ってます?」

「えっ? 急に話変わりましたね。確か有名な詩人の詩、でしたっけ?」

 マスターが僕の空いたグラスに、水を注ぎ入れていう。

「大切な人が死んだら、自殺しなければいけません」

 そういった瞬間、その場が凍った。押し黙り、空気がよどんだ気がした。

「それでも生きてしまったら、奉仕の心になること、なんですって。その詩の内容です。さっきの人みたいですよね。大事な人が死んだから、誰かに尽くしたがる。本当、いい迷惑や」

「……何かあったんですか?」

マスターが手を止める。

「僕の親友が死んだんですよ」


***







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