手さえ伸ばせば

西岐 彼野

1.見つめるだけで

「基本、十代ではね、同性に惹かれる傾向があるもんなのよ」

 と飄々と燈(あかり)は言った。

「自我の芽生えとかいうじゃない? 要は自分じゃない誰かという存在を、初めてきちんと認識するようになる時期で、まあ、もちろん、その時点で異性に惹かれる人もいるけど、案外、十代では半々くらいなんじゃないかなあ」

「はあ、」

 学生服の少年は、面食らった顔をする。

「男女の恋愛が漫画とかドラマのテーマになるからマジョリティ扱いされるけど、むしろ同性の友達と過ごすほうが自然で楽しいって子も、本当はすごく多いのよ。で、そんな中でだって、自分じゃない誰かに興味を抱くことには変わりはないから、そうなると、惹かれるのは、まあ同性になるよね」

 燈はあっけらかんと言って、頷いてみせた。

「と、いうわけで、いいんじゃない? キミも堂々と惚れてなさいよ、その子に」

 少年が、さらにびっくりした顔をする。

 そりゃそうか、きっと悩みに悩んで相談に来たんだもんね。来た時は、緊張で脂汗浮かべてたくらいだ。

 少年が目を瞬かせるのを眺めながら、なんだか、六月が来たという感じがするわね、と燈は思った。新学期は四月からだけど、ここが通常稼働し始めるのって、なんだかんだ六月くらいからなのだね。

 新年度が始まって一ヶ月くらいは生徒たちも右往左往、ゴールデンウィーク挟んで、もう一ヶ月が様子見期間、んで、人間関係が明確化し始めるのがこの辺りからだから、悩みもこの辺りでひとまず明確化すんの。

 燈は、ちらっと手元の訪問票を見た。

 高等部1年A組、橋本佑。

 ほほう、文芸部。文学少年か。情報「だけ」過多状態の可能性はあるね。

 目線を少年に戻す。驚いた顔のままだけど、すずしげな目元で、まあ整った顔立ちをしているじゃないの。

「あのね、橋本君。セクシュアリティとかそういうの悩むの、もっと後でもいいから。今は、一生懸命好きでいな。同性でも異性でも、自分じゃない誰かを好きになるって、基本、苦しいものだから。必要以上に苦悩することはない」

「……そんなものですか?」

「うん、そんなもん。苦しいけど、その子見るとすごく嬉しいでしょ」

「……はい」

「考え過ぎずに、今は、ただ好きでいればいいんじゃない? 想っていれば、それが通じることだってある」

 少年はぎこちなく頷いた。

「いっそアプローチもしてみたら? 告白が怖ければ、さりげなく目でも合わせてみる。それで何か感じるものがあれば、君も好かれてるかもしれない。好き同士は、見つめ合うだけでどこか通じるもんなのよ」

 少年の顔が、突然パッと赤くなる。

 あら? と燈は思った。もしかして、本当は脈ありって気がしてるんじゃない? だから余計に悩んでいるのかね?

「気持ちを確かめあうチャンスがくるといいわねえ。ま、覚悟を決めりゃ確実にくるけど」

「え? ……あ、はい」

 少年が一層赤くなる。

 ああ、いじらしい。せっかくこれだけ誰かを好きになったんだ。できるなら、それがもたらす幸せまで、一度はちゃんと味わってほしい、と燈は思った。

 まあ、もちろん、苦しみも、だけど。

「踏み出してなんぼ。ハイ、今日の本」

 燈は一冊を差し出して言った。『愛と青春』。もう王道でいいよね。

「困ったらまたおいで」

「はい!」

 橋本少年は、来た時よりもずっと元気になって出ていった。


 まだ明るいのに、気づけば6時を過ぎている。もう夏至が近いんだった。燈は、立ち上がって扉を開け、外にかけてある札を「開」から「閉」にひっくり返した。


 しかし、いつから司書室は恋愛相談所になったんだっけ、と燈は思った。着任時には想像すらしなかった。なんと言っても、ここは伝統の中高一貫進学校だぞ。ついでに男子校だぞ。

 図書カウンセリングなるものを始めてから数年経つが、そもそものコンセプトは、本離れが叫ばれる昨今、少年たちへの情操教育の一環で、「読むべき本の相談受け付けます」だった。それが、いつからか悩み相談が増え、悩みの特効薬になる本を処方するようになり、気づけば、訪れる生徒の多くが恋愛相談をしていくのである。

 燈は長身で、母親に近いような歳なのに女っぽくない。しかも司書教員だから、先生なのに先生っぽくない。そういう曖昧なところが、少年たちに妙な安心感を与えるのかもしれなかった。

 そういや、埃除けに白衣を着ているが、それがなんか「それっぽいっす」と言われたこともあったっけ。

 まあ、DKというものは、案外JK以上に実直にキャピキャピしている。

 院卒後、司書教員になって十年近く、若者の生態は奥深いと燈はしみじみ思う。

「しかし男の子って、きれいな顔の男の子に異様に弱いよね。知らんかったわ」

 と燈はぶつぶつ呟いた。

 美少年が入学するとざわつくし、一学年に数人は、校内でアイドル的な知名度を誇る子も現れる。橋本少年の思い人、同じく1Aの伊藤君だっけ。あの子もどちらかと言えばそう。大人しいのに色白で目立つのよ。

「女子もかっこいい女子が好きだけど、男子は、基本きれいな男子が目の前にいたらメロメロになるよなあ」

 そういう感覚が、女体に対する関心とは別の区分けで併存している。

 要は、人って本能としてきれいな人が好きだけど、その人が同性だと、気兼ねしなくていいというか、安心感があるというか、美しさにワクワクしながらも気心が知れているというか。そんな感じになるんだね、きっと。

 それが、もう一歩先に進むこともある。きっとある。たとえそれが、一過的な憧れであっても、生涯続く傾向であっても、ね。

 そんなことを考えながら帰り支度をしていると、扉を叩く音がした。おや、迷える子羊がまだいたの、と思いながら

「もう閉室だけど、どうぞ〜」

 と燈は答える。

 ためらいがちに扉が開く音がした。

「……佐々本先生?」

 鈴を転がすような声だ。

 心臓がどきりとする。

 燈が顔を上げると、華奢な女性が立っていた。そういえば、この人に思いを寄せる生徒も少なくない。きれいな女教師に憧れるというのにも、ある種の安心感があるのかね。

「ああ、はい。どうしました、本橋先生」

 女性が、部屋に入ってきて、後ろ手で扉を閉めた。

「あの、私、本橋じゃなくて、小川に戻ることにしました。先生に色々聞いてもらって、私もやっと一歩踏み出せました」

 その報告ですと言って鮮やかに笑う。

 燈は心臓を掴まれたような息苦しさに、咄嗟に目を背けた。

 愛しいという思いは、どうして隠すと痛みになるのか。

 橋本君、誰かを好きになっちまうって、大人になったってこんなもんよ。ただ色々複雑になるだけなのよ。君はまだ、隠さずに見つめていてもいい、取り急ぎ堂々と幸せになっとくれ、と心の中で燈は呟く。

「そうですか」

 職場で、ただ一人の年の近い女性で、おかげで親近感があって、燈と立場も経験も似ている、うつくしい人。色々と相談を受けて、話をして涙を見て、そのうち、この人に惹かれてしまったって、別にいいじゃない。例え想いを隠さなきゃならなくったって。

「それは良かった」

 燈がそう答えて顔を上げた時、二人の目が合った。

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