仮想恋愛狂騒曲

あやたか

第1話 失恋

「ごめんなさい。あなたとはお砂糖になれないわ…」


それは、俺が最初に受けたVR恋愛の洗礼だった。俺は、仮想空間で恋をしてしまったために、取り返しのつかないことをしてしまった。仮想空間での恋が、俺をあんな風に狂わせたのか。それとも、俺が元々愚かな人間だったのか。それはわからない。ただ、あのときの俺は間違いなくまともではなく、独善的で、愚かな人間であったということだ。




***




ある日、俺はネットやテレビで最近メタバースが流行っていることを知った。そして、VRChatというVRSNSが人気であることを知り、軽い気持ちでVRChatを始めた。予めネットやSNSでVRChatについて調べてみると、どうやら初心者はチュートリアルワールドというところに行けばいいらしい。チュートリアルワールドへ行くと、操作方法やワールド、インスタンスについての説明が書かれていた。説明を見ながらワールドを彷徨っていると、他のユーザーに話しかけられた。どうやらその人は、普段から初心者案内をしているらしい。俺はその人からより詳しい説明を受けた。VRChatには毎日様々なイベントがあり、あまりに数が多すぎて誰も全容を把握している人はいないらしい 。

何人か仲の良いフレンドができてきて、ある日俺はフレンドに誘われあるイベントに参加した。そこはキャバクラのようなイベントで、客がキャストを指名して、約20分ほど一対一で雑談をするといったものだった。俺はふと目に留まった青い長髪に、赤と青のオッドアイのウルフェリアのキャストを指名した。 ボーイにお酒のオーダー聞かれたので、無難にハイボールを注文する。

指名したキャストがやって来た。


「サクヤです。本日はご指名ありがとうございます」


気品のある大人っぽい口調だった。


「お席にご案内します」


その人が隣に付き、二人並んで席へ移動する。席に着くとチンとグラスを鳴らし乾杯した。 サクヤさんとは普段VRCで何をしているのかとか、お酒とかの話をした。アバターも声も美しくて、トーク力もある彼女に魅了され、とても幸せなひと時を過ごした。時間はあっという間に過ぎていき、俺はインスタンスを後にした。何だろう、彼女と話している間、今まで人と会話していて感じたことのないような幸福感に包まれていた。それはフレンドに対して感じるものとは明らかに違った。この感情は何なんだろう。不思議に思った俺はフレンドに聞いてみることにした。ソーシャル欄を開いて、最初に目に留まったまたたびのところにjoinした。そして早速この話を聞いてもらった。


「こんばんはー」


「おっ、アールじゃん。こんばんはー」


「今さっきさー、お前に勧められたイベントに行ってきたんだけどがめっちゃよかったよ!」


「だろー!俺は今日、join戦争負けたから来週は絶対行きたいんよ」


「でさ、接客されててなんか、この人めっちゃいい!みたいな感じになって、ああ、もう、幸せでなんか全部どうでもいいわ~って感じになったんだよね」


うまく言語化できないあのときの感覚をなんとか言葉にして伝えてみる。


「そりゃお前、その人に堕ちたんだよ」


またたびは一笑しながら言う。


「堕ちたってなんだよ」


俺は笑いながら問いかける。


「堕ちたっていうのはなぁ、キャストに魅了されてもうその人に逆らえない状態のことを言うんだよ。で、大体みんな堕とされた相手が推しになるんだよ」


「推しねぇ。俺に推しなんてできるんだろうか。」


「何言ってんだんだよ。お前のさっき言ってたことが大体推しに対する感覚とか感情だぞ」


「そうなのか?へぇー、あれが推しに対する感覚なのかぁ」


俺は生まれて初めての感覚にしみじみとしながら、若干の戸惑いを感じていた。なぜなら、それは恋愛感情とそっくりだったからだ。恋愛も推し活も経験のない俺には、自分の中に芽生えた感情が何であるのかはっきりと判別することができなかった。


「でもな」


黙り込んでいるとまたたびが口を開いた。


「推しとの距離感は気を付けろよ。ここは相手と距離が近いから、調子に乗ると敬遠されたり、最悪嫌われたりすることもあるからな」


たまにタイムラインにそういう反面教師の話が流れてくるが、まさかこの俺がそんなことするわけない。


「そうだなー、おれも依存しないように気を付けないとな。フレンドやお砂糖に依存しておかしくなるやつは少なくないらしいし」


「そうそう、それで自分のコミュニティにいられなくなったら最後、病んで寂しさを紛らわすためにjustに走って、バーチャルなれ果ての完成ってわけ」


justとはバーチャルセックスのことを指すこの世界でのスラングだ。この世界の男女比的に基本的に男同士でやる訳だが……おれは遠慮しておく!いくら見た目が美少女だからって中身がチラついてそんなことできない…

それより、良く分からない単語が聞こえた。


「バーチャルなれ果てって、なんだよそれ。」


「ああ、そりゃもうあれだ、バーチャルの深淵に落ちて行って恥も外聞も無くした人ならざるものだよ」


嘲りながらそう言う。

ほんとこいつの発言には冷や冷やさせられる。いつか絶対炎上するだろうな。もし炎上したらそのときは他人のふりをしよう。




***




この日以来、俺は彼女に逢いたい一心で、毎週join戦争を勝ち抜いてイベントに参加していた。すると、ある時彼女からフレンド申請を貰った。どこの接客イベントでもそうだが、客側からキャストにフレンド申請を送るのは禁止されているので、客がイベント外でキャストと会うことは難しい。そして、客がキャストにフレンド申請を送って貰おうと思ったら、そのイベントのリピーターになって、キャストから顔と名前を憶えてもらい、ある程度気を許して貰わないといけない。そして俺は今、その念願のフレンド申請を彼女から貰った。


「そろそろ時間ですね。本日も楽しい時間をありがとうございました」


彼女が俺に礼を言う。それに伴って彼女のアバターが笑みを浮かべるが、HMDの向こう側の彼女がどんな表情をしているかはわからない。


「こちらこそ今日もありがとうございました!サクヤさんは改変もロールプレイもかわいくて、毎週この日のために生きてるようなもんですよ!」


所詮はロールプレイイベント、彼女の本心なんて知る由もない。ならば割り切って素直にこの時間を楽しもうと思った。名残惜しさを感じながら席を立とうとすると、視界の左下に青いアイコンが表示される。


「あ、うそ…フレンドありがとうごさいます…」


内心舞い上がっていたが、それを悟られるのがなんだか恥ずかしくて、照れ隠しでよそよそしくなってしまった。


「あれ?もしかして迷惑だった?もしそうだったらごめんなさい」


「そ、そんなことないです!めちゃくちゃ嬉しいです!まさか貰えると思ってなかったのでびっくりしただけです!」


彼女にいらぬ罪悪感を与えてしまったかもしれない…

こういう時に素直に反応できないから好きな人と距離を縮められない…


「そう、ならよかった!これからもよろしくね!」


俺の推しは喜悦の色を浮かべていた。ああ…そうだ、この顔だ。俺はこの顔を見たくてここに来ているのだ。この人を楽しませたい。この人を喜ばせたい。俺の手でこの人を笑顔にしたい。この瞬間こそが俺の求めていたものだ。推しが俺に向かって微笑むと有頂天になって頭が真っ白になってしまう。自分がドロドロに溶け出して、この二人っきりの空間のなかで彼女と一体化したような感覚に包まれる…


「はっ…いつのまに…」


気が付くと違うワールドにいた。認知のタイムラグが収まると、今自分がホームワールドにいることを脳が認識する。

いつまでもホームワールドにいても仕方が無いのでフレンドのところに行く。


「おれさっき帰り際にサクヤさんにフレンド送って貰えたんだけど!」


フレンドに自慢しに行くと、みんな一緒に喜んだり羨ましがっていたりした。これでイベント以外でも会える。しかし嬉しい反面、会いに行ってもいいのか不安だった。だが、そんなこと気にしても仕方が無いと自分に言い聞かせ、その不安を無かったことにした。




***




いつものようにソーシャル欄を開き、join先を探していた。すると、サクヤさんの名前が目に留まった。サクヤさんのいるインスタンスにはサクヤさん以外にフレンドはいない。いざjoinしようと思うと不安と緊張で躊躇いが生じる。しかし思い切ってjoinボタンを押す。インスタンスに着くと、そこは何というか煌びやかな雰囲気のあるインスタンスだった。


「こんばんはー」


恐る恐る挨拶をするとそこにいた人達は各々挨拶を返してくれた。


「アールくんこんばんはー。来てくれてありがとー」


サクヤさんが近づいて来て、顔を撫でてくれた。


「あ、ありがとうございます。うーん、でもなんか緊張してどうしたらいいかわからない…」


「そうなの?とりあえず混ざってみたらいいんじゃない?」


そう言って俺を会話の輪の中に誘ってくれた。

緊張しながら会話を聞いていると、なんか見たことあるような人ばかりだ。

彼女と同じイベントのキャストや他の定期イベントの主催者。SNSでよくバズっている人やVtuberをしている人。このインスタンスにいる人達はみんなVRchatで有名だったり人気のある人ばかりだ。それに気付いてからというもの、何だか居心地が悪くなってきた。こんな人達が集まっているところに自分なんかが居ていいのだろうか。そんな考えが頭の中でぐるぐる回る。ただでさえ初対面だらけのインスタンスは疲れるのにこれはちょっとしんどい。


「僕、リクインが来たので移動しますねー」


適当な理由をでっち上げて移動する。お互いにお疲れ様と挨拶をしてその場から逃げた。

この日以降も、サクヤさんに会うためにイベントに参加し、イベント外でもしばしばjoinを繰り返していた。そのような日々を送っていると、彼女への思いが大きくなっていった。そして俺の疑念が確信へと変わっていった。俺の彼女への思いは推しに対して抱くものではなかった。それを知ってしまってからというもの、毎日彼女に逢いたくて仕方が無い。またたびの忠告が頭によぎる。距離感を間違ってはならない…

しかし、俺にとって彼女はもう、推しという次元を超えてしまっている。理性で抑えたくても抑えられない。今はダメ元で行動を起こすことしか考えられない。この思いをサクヤさんに伝えたい。たとえ結果が分かっていても…  俺はこの苦しみから解放されたい一心で、彼女に連絡する。彼女は快く、俺なんかの為に時間を作ってくれた。

そして運命の日がやって来た。

俺は緊張で手が震え、手汗がびっしょりだった。恐る恐るHMDを被り、VRChatを起動する。少しでも胸の高鳴りを落ち着かせようと必死で深呼吸する。

夜空に星がきらめくロマンチックなワールドを選択し、彼女へSend inviteを送る。彼女がやってくるのを今か今かと待ち望んでいた。すると、ついに待ち人がやって来た。適当な世間話をした後、俺は本題を切り出す。


「サクヤさん、実は、俺…サクヤさんに一目惚れしちゃって…だから、俺とお砂糖してください!」


俺は勇気を振り絞って告白した。俺とこの人が釣り合っていないことはわかっている。でも、優しいこの人なら俺の気持ちを汲んでくれて、もしかして。


「ごめんなさい。あなたとはお砂糖になれないわ…」


意を決して試みた俺の告白は、彼女のその返事であっさりと破綻した。

数秒間の沈黙が続く。無数の星々が輝く美しい夜空が広がるワールドに似合わない緊張感が漂っていた。

俺と彼女の間には、人一人が入れるだけのパーソナルスペースが形成されており、それが俺と彼女の心理的距離でもあるように感じた。結局、俺はこの隔たりを踏み越えることができなかった。俺が俯き沈黙していると、彼女はこちらに近づいて来た。


「ほんとうに、ごめんね…」


そう言って彼女は俺の頭を撫で始めた。普段の俺であれば、素直に喜ぶことができた。しかし今はそうじゃない。彼女の優しさが俺をより惨めな気持ちにさせる。


「そっか…」


俺はこの場をどう切り抜ければいいか分からなかった。

沈黙していると彼女が口を開く。


「私、そろそろ寝るから。またね」


「うん、おやすみなさい」


「うん!またjoinして来てね。おやすみー」


手を振りながら彼女は後ろに後ずさりすると姿を消した。


「おれも寝よう…」


メニューを開いてログアウトし、現実に戻る。

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