Miss Fortune ~天使との出会い

無海シロー

第1話 天使は舞い降りた

「……幸うすい……」

 誰もいない部屋に自分のだけ声が心寂しく響く。

 ブラインドが下りた薄暗い事務所の空気が更に暗く沈んで行き、気が滅入ってくる。

明かりといえば目の前のモニターくらい、訳の判らない仕事をやらされて、否が応にもテンションが下がりまくりなうえに……。

「今月も先が長いというのに……」

 オレの財布(カード)には金(キャッシュ)が無い。

 カードに次のバイト代が入るまで、どう逆立ちしようと無いものは無い。

「また先輩から借金かな……」

 モニターに映る画面には、なぜかマーク先輩の笑顔が浮かんでみえた……。そうなると更に先輩の言葉(命令とお誘い)に逆らえない日々が続いていくんだよなぁ。まあ、キャッシュだけでなく住むところまで厄介になっているのだから仕方がないのだが……。

「また借金が増えそうだ」

 笑うしかなかった。

 オレ、ダイチ・ローマンが、ここ『CIPメンテナンス』に大学の先輩でもあるマーク・ダイナス先輩の伝手でバイトとして雇われて半年近くになる。

 大学を出たはいいけれど、真っ当な職に付く気も無く、大人の付き合いも接客も嫌いなオレは家を追い出され、故郷を遠く離れ銀河の辺境に位置する惑星ティーマまでやってきている。

 路頭に迷わない程度に食えればいい、そんな感じで転がり込んだところが、この事務所であり、ある一点を除けば事務所の所長キム・セーガンさんも先輩の他にいるもう一人の所員ミッド・ウラヌさんもいい人である。

 そろいもそろって皆ギャンブルが大好きな事を除けば……。

 平日のカジノ、パチンコではあきたらず、週末は徹夜で麻雀、ポーカーゲームが事務所で始まる。所長なんか妻子持ちなはずなのに付き合いよすぎ……。

 ギャンブルは嫌いじゃないが、この4人の面子の中では一番、運の悪いオレが負けるのは必然。

 其のたびに借金は増えていくし、逃げたくとも衣食住の住の世話になっている先輩にガッチリと首根っこを捕まえられると、抜けようにも抜けられず悪循環は続いていく。

 自慢ではないが、運の悪さだけは自信がある。

 連戦連敗というわけではないが、ここぞというところでは負けが込むのである。肝心なところでは一歩及ばない。まあ、一歩くらいならいいが、大学進学のときのように本当に自分のやりたい進みたい方向に行こうとすると失敗するのであった。

 考えようによっては、どん底な人生と言えなくもないが、そこはそれ悩んでも仕方が無いし、なるようにしかならないのである。

 先輩には考えなさすぎ、三秒経ったら忘れる鳥頭とまで言われているが……。


 ピーーーーッ!

 突然エラー音が聞こえ、モニターには警告メッセージが流れている。

「だぁぁぁぁ、またエラーかよぉぉぉぉぉ!」

 頭をかきむしると、目の前の警告メッセージと手元にあるマニュアルとを交互に読む。

「……入力ミス……」

 最初とまでは行かないが、かなり戻ってプログラムの入力をやり直さなければならないようである。

 オレは、ただのバイトで、プログラマーじゃないんだぞ。

「先輩や所長が戻ってくるまでに終わるわけがないじゃないか」

 目の前にはあと二つプログラムが残っている。システムのメンテナンスに出ている三人が戻ってくるまであと数時間しかないのに、この調子では終わるはずがない。

 オレがバイトさせてもらっているCIPメンテナンスは、小さな会社である。この惑星ティーマで唯一の大企業GIPCO(ジプコ)の下請けのさらに下請けであるという。本社ではやらないようなコンピューターや通信設備のメンテナンス(いわゆる雑用)を中心に行っている。オレは外回りや整備に出ずっぱりなっている所長らに代わり留守番要員としているはずなのだが……、人手不足につき先輩達が手の回らないプログラムの処理なんかを 専門の知識も無いのにオレがやらされている。

 そう、今みたいに、マニュアルだけあずけられ……。

 滅入った空気を打ち払おうとオレは立ち上がり応接セットのわきにあるCDプレイヤーに自分のクリスタルディスクを放り込む。

 ビートの利いたノリのいい音楽が流れ始める。

 パソコンから直接音を出してもいいのだが、誰もいないことをいいこに、ライブ顔負けの大音量で再生を始める。

重低音が腹に響いてくる。

 メタル、メタルと口ずさみベースのリズムに合わせて腰を振りながら軽く踊ってみたりする。

 まあ、それがいけないといえば、いけなかったのだろう。

 元々男所帯である。まともな片付けなどやっていない事務所の獣道のような通路。

 そこに置かれているパソコンやら機器の部品につまずいて転んでしまった。

「いてて……」

 立ち上がりながら自分自身の不注意に悪態をつく。

 そして、自分の手元を見てギョッとして慌てて飛び退り、更に机の角に尾てい骨をぶつけ悶絶してしまう。

 あまりの痛みに涙まで出てきたよ。

「幸うすい……」

 立ち上がろうとして手をついたのは自分のコンソールの向かいにあるウラヌさんの机だった。オレの手のそばには、そのウラヌさんお手製の蓄電装置が置いてあったのである。

 これはウラヌさんの解説によると、空気中の静電気を集め電気に換える装置であるという。節電のための装置というのが触れ込みで、実験中なのだが装置自体は実験というだけあって不安定で装置に触れただけで放電現象を起こしたときがあり、うっかり触れてしまったオレは痺れまくったことがあるのである。

 たかが静電気と思うなかれ、空気が乾燥すると金属や衣服にふれたとき静電気がバチッと弾け痛みが走ったとことがないだろうか、あれよりも痛かったし、以前メンテナンスにつき合わされ、家庭用コンセントのむき出しの配線に不用意に触れ100ボルト程度でピリッと痺れたことがあったが、あれの比じゃない!

 ウラヌさんはほんのちょっとの放電だといったが、雷のような放電が見えたし、震えが止まらなくなり、丸一日痺れた感覚が抜けなかったのだ。

 もうあの二の舞はゴメンである。

 痛む尻をさすりつつコンソールに戻ろうとすると、事務所のインターホンが鳴った。

「来客の予定はなかったはずだけど……」

 どこか企業周りのセールスマンでもやって来たかと、横柄な態度で画像を切りつつオレはインターホンに出た。


「すいませんが」

 聞こえてきたのは、予想外の声だった。

 凄く丁寧な澄んだ声は女性のもので、思わず聞きほれてしまう美声だ。

「CIPメンテナンスは、こちらでよろしかったでしょうか?」

 慌てて切っていたモニターをつけると、そこには飛びっきりの美女が立っていた。

 声が澄んだ鳥のさえずりなら、モニターに向かってにっこりと微笑む姿は春の妖精を思わせるほど暖かなものだった。

 いやもっと適切な表現があるのだろうが、ボキャブラリーが貧困になりすぎている今のオレでは、ただの美女と言ってしまわなかっただけマシだと思ってください。

「……あの?」

 どのくらいモニターを見つめていのだろう。

 彼女の問い掛けに慌ててドアを開く。

 開いた扉の向うで彼女は微笑みながら会釈をしている。

 艶やかなプラチナブロンドの長い髪がゆれ、春の香りとともにサラサラと風に流れているかのように見える。琥珀色の瞳は深く神秘的な湖。

 実際にはかなりの音量でヘビメタが流れているのだが、この時はクラシックかイージーリスニングのような環境音楽が流れ、実際には薄暗くゴチャゴチャとした室内にいたはずなのに、どこか緑広がる丘陵地帯にでも立っている感じがしたのである。

 あ~、本当にこの数分間は別次元にでも飛ばされたと思って欲しい……。

 それほど彼女との出会いは衝撃的だったのだといいたいのです。

「な、なんでしょう?」

 たったこれだけのセリフを搾り出すだけでオレの喉はカラカラだった。

「TDFのデュエルナ・ツイングと申します。本日はこちらで頼まれていましたメンテナンス用プログラムをお届けに参りました」

「そ、そ、うなんですか」

 声、裏返っていないか、オレ?

「キム・セーガンさんはいらっしゃいますか?」

「へっ? キム・セーガン?」

 ああ、所長のことだと気が付くのにしばらくかかった。

「キム所長は……ですね」

「はい?」

 小首をかしげる仕草がまた愛くるしい。

「そのぉ、所長は仕事でして……」

 不在ですと、言おうとしているのだけれど、うまく言葉に出来ない。頭で考えているように言葉にきちんとできないのが凄くもどかしかった……。

「あら、いらっしゃらないのですか」

「はい、いらっしゃりません」

「どうしましょう……」

 彼女の顔が曇ると、日がかげり周りまでもが日差しを失ったような気がする。

「頼まれていましたプログラムが早く出来上がったのが嬉しくて、なのにこちらのご都合も考えず突然やってきてしまった私がいけないのですね」

「あっ、あの、所長はもうすぐ帰ってくると思うので、そのですね、お待ちになっていてください」

 悲しそうな彼女の顔を見てしまうと、オレが悪かった、申し訳ありません何でもします、そんな気持ちにさえなってしまう。

 そして、情けないが、これが今日出てきた一番まともなセリフかもしれない。

「よろしいのですか?」

「よろしいです。はい、その、散らかっていますが」

 今日くらい事務所が散らかっている事を後悔したことがない。どんなに部屋が汚れていようとも気にしないオレがである。

「お忙しいようでしたら、後日改めまして」

「いえ! 忙しくないです。まったく、はい」

 余程勢いよく言ったのだろうか、クスリと笑い彼女は頷いた。

 幸い、応接用のソファーがあるところだけはきれいになっている。そこで、週末にポーカーやら麻雀、ブラックジャックが行われているからなのだが、理由はどうでもいい。彼女が座っても大丈夫なことが重要なのである。

 事務所の奥まで案内するのに部屋の明かりをつけていなかったのに気付き、ちょっと待っていて下さいと慌ててスイッチを入れに行く。

 なんかヤバイ物を隠すために急いで部屋を片付けるローティーンのような気がしたのは内緒だし、そこでまた盛大かつ情けない声を発して転んでしまったのも……。

「大丈夫ですか?」

「だ、だいじょうぶ、だいじょうぶ」

 恥ずかしさで痛みも忘れ、駆け寄ってきてくれた彼女にパタパタと焦りながら手を振る。

 彼女はその手をとる。

 優しく包み込むように。

「血が……」

 彼女に言われて気が付く。スッパリと切れると痛みはないというけれど、何で切ったのか判らないが手の甲から血がにじんでいた。

「いつの間に?」

「ジッとしていて下さいね」

 彼女は上着のポケットからハンカチを取り出すと、止血のために手に結んでくれた。

 間近に彼女の髪が迫る。

 香水? それとも彼女自身の香りだろうか、ほのかな優しさに包まれる。彼女の手は柔らかくあたたかさに満ちていた。細く白い指先にみとれるオレ、女性の手がこんなにも小さかったのかと思わずにいられない。

 そして、これはありすぎ、出来すぎた三文恋愛小説の一場面を見ているような感じであった。

 夢だよ、これは。


「お名前をお聞きしてもよろしいですか?」

「だ、ダイチ、ダイチ・ローマンです」

「ダイチさんですね」

 当たり前のようにファーストネームで彼女はオレの名を呼んでくれた。それがなんとなく嬉しかった。

「私のことはディとお呼びください」

「ディ?」

「はい」

 彼女の名を呼ぶと嬉しそうにディは微笑んでくれた。

「気を付けて下さいね、ダイチさん」

 彼女の言葉にオレは頷くことしかできなかった。

「あの、何かお手伝いすることはありませんか?」

 ソファーへ案内して、自分のコンソールへ戻ろうとしたオレに彼女はそう言った。

「お客様ですから……」

「でも、お仕事中でしたのでは?」

 彼女はオレのコンソールのモニターを見つめ、それからオレの顔を見た。

 お茶でも飲んで、と言いかけてこの事務所にそんな気の利いたものがない事を思い出す。

「う~ん、困ったな……」

「それとも」

 お片付けしましょうか? と部屋をぐるりと見渡して彼女は言った。

 そうしてもらえれば助かるような気もしたが、いくらなんでもお客さんにそんなことさせられるわけもない。

 しかも、粗大ゴミだらけのこの事務所を。

 それでもただ座って待っていることができなかったのかもしれない。ディはソファーには座らずオレの許へとやって来る。


「あら、これはなんでしょう?」

 天井を見上げどうしたものかと考えあぐねていたときだった。

 ディの指差すものを見て、眼を見張った。

 細い指先がまさにウラヌさんの放電、いや蓄電マシーンに触れようとしている。

 ふれちゃダメだ! と叫ぶよりも早くオレの体は反応していた。

 今思い返して見ても、なぜあの時、あの動きが出来たのか判らない。ハイスクール時代にラグビーをやっていたが、パスをカットしたり相手の走りをタックルで止めたりするよりも難しいタイミングだった。

誇大広告のようにも聞こえるだろうが、蓄電マシーンにディの指先がふれたコンマ一秒のタイミングで彼女をそこから引き離し、放電がディを襲おうとした絶妙の瞬間にディをかばったのである。

 それを見ていたディの話ではフラッシュよりもまばゆい閃光が走り、太く青白い稲妻が天井を焦がしたという。いったいどれだけの静電気が溜め込まれていたというのであろうか? そのためにスプリンクラーが誤作動を起こし、チリチリとした衝撃が走り、髪の毛を焦がしたと思った次の瞬間、火元と勘違いされたオレは誤作動が起きた数秒の間、消火剤の集中砲火をくらうのだった。

 ずぶ濡れである。

「……幸うすい……」

「あ、あの……大丈夫ですか?」

「たぶん……」

 ディに覆いかぶさるような形になっていたので、のろのろと立ち上がる。

 慌てなかったのは消火剤やら水でよく目の前が見えていなかっただけ。

 幸いディはオレが壁になったおかげで濡れ鼠にはならず最小限の被害で済んでいたようだ。

 上着を脱ぎ、頭に巻いていたバンダナをほどくとタオル代わりするが焼け石に水だった。

「申し訳ありません。私のせいで……」

「気にしないで。あんな物騒なものを置いておくのが悪いんです」

「ですが、私のせいでダイチさんが」

 そして、事務所も、そういって彼女はうなだれる。

 ディが震えているように見えるのは気のせいだろうか?

「まあ、なってしまったものは仕方ないですよ。それよりもディが無事でよかった」

「ありがとうございます。お優しいのですね」

 慌ててそんなことは無いと首を振るオレ。

 そんなオレを見て、ようやく彼女は微笑んでくれた。

 もう一枚もっていたのだろうか、ハンカチで彼女はオレの顔を優しく拭いてくれる。

「あの……」

 意を決したように彼女はオレを見つめ言った。

「なんでしょう」

「あの、何かお礼がしたいのですが?」

「お礼なんていいですよ」

 金貸して、といいそうになってやめた。そんなこと会って間もない人に言えるわけがないじゃないか……。言いかけた自分に呆れてしまう。

 いい雰囲気が台無しというか、彼女が引くぞ。

「ですが、助けていただいた御礼をしないことには、私の気が」

 気がすみませんと、ディはいった。

 たまたま偶然が起きたようなことが出来ただけで、何もたいした事をやったような気がしないオレは、どうにもピンと来なかった。

「そうはいわれても……」

 無下に断るのも彼女に失礼かと思うのだが、何も思いつかない。

 それよりも濡れた服を何とかしたい、そう思い始めていた。

「あの……」

ディはオレに近寄り、両の手をとった。

「どうかしたの?」

 間近に彼女の顔が迫る。

 琥珀色の瞳がオレを見据える。その表情は神秘的にすら見える。

 周囲が音を失う。

 視線をはずすことも出来ず、身動きが取れない。音だけでなく時間も止まってしまったように思えた。

 いったい何が起きているんだ?

 そう思っても、口にすることすら出来なかった。

 ただディの手のぬくもりだけが、伝わってくる。

「判りました」

「なにが?」

 とびっきりの笑顔がそこにはあった。

「ダイチさんのお世話を私にさせてください」

 彼女の言葉が理解できるのに数秒を要する。

 はいぃぃぃぃぃぃぃ?

 オレは情けないくらい大声を上げていた。

 事務所に明かりが灯り、放電の影響で止まっていた機器が動き始める。

 CDプレイヤーが盛大なドラムの音を轟かせる。

 ファンファーレの変わりか?


「あのさ、ディ」

「なんでしょう、ダイチさん」

 自分が言った意味を彼女は理解しているのだろうか?

 離れようにも彼女は握った手を離してくれない。

 ずぶ濡れで寒いはずなのに体は湯気が出そうなくらい熱かった。濡れた服が瞬時に乾いてしまいそうな熱さだ。

 心臓発作を起こしそうなくらい動悸が激しい。

 普通ならあの世に行ってもいいくらいのセリフを美女に言われているのだが、そんな事を味わっているような余裕はありはしなかった。

「お世話って……、言っている意味判っていますか?」

「はい」

絶対無敵な笑顔である。

「……本気ですか?」

「私でよろしければ」

 こんな申しであるはずがない。……いや、この前読んだ小説にそんな展開がなかったか?

 男として嬉しくないわけがない。

 望んでも望めないから、架空の物語だからそれは存在しているはず……。

 これは現実なのか? 夢なのか?

「……オレ、見てくれはこうだし」

 小太りだし、身長はディと並べば同じくらいだが、ヒールを履いている分、彼女のほうが上になっている。

「人は外見ではありませんよ」

 正論である。

「オレってわがままだし……、生活能力無いし……」

 言っているオレ自身情けなくなってくる。

「大丈夫です。ダイチさんはいい方です。私には判ります」

 まるで全て見てきたかのように笑顔でディは言い切った。


「おーい、そこで何をやっているのかな?」

 虚しい抵抗を試みていたオレの背後で声がする。

 心臓が飛び出るとはこの事を言うのだろう。

 いやな汗がドッと噴出してくる。

 まるで油の切れた玩具のロボットのように振り向くと、入り口に所長が立っていた。

「いつからそこに?」

「ダイチの絶叫が聞こえてきた辺りからかな」

 すでに5分以上は経っているような気がする。

「ディ、いらっしゃい」

「ご無沙汰していますキムさん」

 ディは笑顔で会釈する。

 それでもオレの手は離してくれない。なぜ?

「うちのダイチが何かしたのかな?」

 間近で寄りそう二人、かたや天使のような美女、ずぶ濡れのオレがいて、事務所はウラヌさんの机を中心にひどい有様になっている。

「ダイチさんが、私を助けてくれたのです」

 ディはオレの手を離さずキム所長にこれまでの出来事を嬉しそうに話し始める。

 主観とか妄想なんてそこにはない。

 ただ一点、彼女のお礼についてを除けば……。

 助けてください。何とかして欲しい。

 ある種の期待を込めてオレは話を聞いていたキムさんを見ていた。

 この状況を何とか打開して欲しいと。


「ダイチ・ローマン」

 フルネームでオレの名を呼び、オレの元へと近づいてくる。思いつめた真剣な表情だ。

 その時のオレはというと、引きつった顔で硬直していたとのちにキムさんはからかうように語ってくれた。

「お前は自分が何をしたか理解しているか?」

「なにっていわれても……」

 自信はない。

 どこでどう間違えればこんな展開になるのだろう?

「そうだろうなぁ」ため息まじりで所長は言った「引く手あまたのデュエルナから告白されるなんて、なんて幸運なヤツなんだ!」

「はあ……?」

 ポンポンと、肩を叩くキムさんの表情は祝福してくれているように見えるのは気のせいだろうか?

 オレとしてはディを思い止まらせてくれることを期待していたのであるが、流れはオレの思惑とはまったく逆のほうへと、展開しているようだ。

「ディ、こいつはがさつだし、いてもあまり役に立たない」

 あれ? というか、おい!

「我がままだし、みてくれもよくない」

 事実だが、なんか腹が立つ。

「だが、こんなヤツでよかったら、よろしく面倒を見てやってくれ」

「所長!」

 再びオレは絶叫する。

 そんなオレにはお構い無しに、ディは嬉しそうに微笑んでいた。

 逃げ道をふさがれ、追い詰められていっているよう気がする。

「ただいま戻りました~」

 更に駄目押しをかけるようにマーク先輩とウラヌさんが戻ってきた。

「あれ?」

 驚く先輩。

「所長もダイチもどうしたんです。しかも美人のお嬢さんまでいて」

 事務所の状況はどうでもいいのかと、突っ込みたくなってきた……。


「よかったな、ダイチ」

 マーク先輩は絶対にこの状況を楽しんでいる。

「百年に一度あるかないかの天変地異だぞ」

 オレの大学時代を知り尽くしている先輩には何を言っても無駄だった。

「こいつのどこが気に入ったの?」

「ダイチさんの雰囲気と優しさです」

 迷うことなく微笑みながらディは答えた。

 それは全てを見てきたように。

「へぇ~、パッとしないし、気が利かないヤツだよ」

「そんなことはありません。内なる輝きが人を創っています」

「内なる?」口笛を吹くマーク先輩「こいつにそれがあると?」

 即答だった。

 ディの答えに、オレのほうが火が出るほど恥ずかしかった。どこをどうみればそんな答えが出てくるんだ? 会って間もない人間をそこまで信じられる?

「ここまでお前を見込んでくれるなんてな」

 先輩はニヤリと笑った。オレにはそれが寒かった。

「お世話してくれるだけじゃなくて、一緒に住んでくれるかもよ」

「はい」

 どうだろう? と問いかけたマーク先輩に、これにも即答だった。

「私のアパートメントへどうぞ。まずはそこで服も乾かしてはいかがでしょう?」

 期待を込めて彼女は言う。

「そんなこと」

 できるわけがない、といいかけて嬉しそうに微笑む彼女を前に、それは言えなかった。

「いいかげん、お前を居候させるのも飽きたしな」

「だからって……」

「それとも、今までの借金、全部払ってくれるか?」

 ディには聞こえないように耳元でボソリと先輩は囁いてくれた。

「まあ、利息分くらい言う事を聞けよな」

 これが止めだった。

「あうぅぅぅぅ」

「そういうわけで、ダイチはあなたのお世話になることになりました」

 オレを放すとディに向き直り、高らかにマーク先輩は宣言してくれた。

「ダイチさん、よろしいですか?」

「はい」

 まあ、今の状況だけでもディのお世話になればいいかと思い、オレは頷いた。

「それじゃあ、あとからダイチの荷物は送ってやるから」

 しかし、そんな淡い希望も打ち砕くように、ディのアパートメントの場所を教えてもらい携帯に入力している先輩がいた。

「よっ、おめでとう」

 それまで傍観していたウラヌさんが、やって来てポンとオレの肩を叩く。

 祝福のつもりなのだろうか?

「……なんでこうなるんだろう……」

「運命なんだよ」

 オレの呟きを耳ざとく聞きつけたウラヌさんはポツリと言った。

本当に? 元はといえばウラヌさんの……。

「よし、ダイチ、今日はもういい。ディに面倒を見てもらって来い」

「えっ、だってこの状況」

 事務所は目茶目茶だし、オレの仕事は終わっていません。

「なんとかするさ」

 どうやってするか、訊く気力もなくなってきた。

 色々なことがいっぺんに起こりすぎていて、思考が停止した。

「こんなめでたい日だ。二人でよろしくやって来い」

「何をですかぁぁぁぁぁぁ!」

 なおもグズグズしているオレを追い出すようにキム所長は事務所の外へと放り出す。


 閉じられた事務所の扉に寄りかかると、ため息しか出てこなかった。

 もうこれが誰かの仕組んだイタズラでも、どうでもよくなっていた。

「ご迷惑でしたか?」

 訊ねてくるディの瞳に偽りの色などまるでなかった。いや訂正、最初からあるはずがなかった。

「そんなことありません。ただ」

「ただ、なんでしょう?」

「一時間も経たないのに、急展開すぎて、その……戸惑っているだけかな」

「そうなのですか? 私は、その……嬉しくて楽しくて」

 さわやかな笑顔だった。

 そうだよなぁ、成り行きとはいえディのような女性と一緒なのだ。開き直って楽しんだ方がいいに決まっている。

 それが夢でも。

「それじゃあ、行こうか」

 笑顔で頷くディとオレは歩き始める。

 この日、誰もが運命の歯車が回り始めたと口をそろえて言う。

 しかし、始まりであろうとは気付きもせずにオレはその一歩を踏み出していた。

 これからどうるのだろうかと思いながら……。




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