ユキの大冒険
彼岸花
前編
むかーしむかしのお話です。
とある世界の、とある地方に、とある小さな村がありました。
村は周りが山に囲まれた、辺鄙な場所にあります。どのぐらい辺鄙かと言えば、隣の村に行くのだって何日も旅しないといけないほどです。国の首都に行こうとしたら、何十日も掛かるでしょう。
おまけに土地は痩せていて、夏でも汗を掻かないぐらい寒い気候です。このため農業はおろか、たくさん草を食べる家畜もあまり育ちません。山では金も銀も採れず、観光になる場所なんて一つもない有り様。冬を迎えた今の時期は、村も山も雪に閉ざされ、麓に下りる事すら叶いません。
とても過酷な土地で、村人達は僅かな作物を育て、少しの山菜を採り、家畜(ボナという毛むくじゃらな動物です。寒さと粗食に強い特性があります)と野生動物の肉を食べ、どうにか生きていました。お金なんて殆どなく、村人同士なら物々交換でやり取りする有り様。
あまりに辺鄙で貧乏なので、国を治めている王様から「あんなところ徴税しなくていいよ。というか徴税官向かわせる費用だけで税収超えるじゃん」という理由から直々に免税されているほどです。国からなんにも期待されない分、なんにも圧力が加わらず、村人達は大変だけどのんびりとした日々を過ごしていました。
そんな村で生まれたのが、このお話の主人公であるユキです。
ユキは小さな女の子。今年五歳になったばかりですが、やんちゃで元気に溢れています。
「とぉー!」
今日も元気が有り余っているので、雪が降り積もった山の斜面を全力疾走していました。何故全力で走るのか? それは楽しくなり過ぎて、とりあえず駆け出しているからです。つまり大した理由はありません。
そのままなんとなくで木に顔面から体当たりするぐらいには、ちょっとアホな子でもありました。
「ぶぎゃ! おのれー!」
アホですが、やたら打たれ強くもあるので泣きはしません。元気いっぱいに立ち上がり、目の前の木に幼い怒りをぶつけます。
……そんな事をしている場合じゃないやと、一呼吸置いてから思い出しましたが。
立ち上がり、パンパンと叩いて分厚い毛皮の服(猟師が仕留めた獣の皮で作られています。もこもこしていてとても温かいです)に付いた雪を落としました。それから腰に装着していたナイフを取り出すと、正面の木にゴリゴリと押し当てます。
ナイフといっても石を削って作ったもの。金属製と比べれば遥かに切れ味では劣りますが、お金のないこの村ではナイフも自作するしかなく、材料も地元で取れるものを使うしかありません。とはいえ木の皮を剥ぐだけならこれで十分。ぺりぺりと剥ぎ、どんどん集めていきました。
「うん。こんだけあれば、よし!」
片手で握り締められる分だけ取ったら、ユキは踵を返し、走る必要なんてないのに駆け出します。さっさと村へ帰るために。
ユキがいた山の斜面から、住んでいる村はすぐそこ。五歳児のユキでも迷う事なく村に戻れました。
村は、しんとしています。
ユキが暮らしているのは、人口百人ぽっちの小さな村。寒くて厳しい気候もあって、普段から賑やかとは縁遠い土地柄ではあります。雪に閉ざされるぐらい寒いとなれば、最早外に出てはしゃぐのはユキぐらい小さな幼子ぐらいでしょう。ですがいくら寒くても、料理や薪割りなどの仕事はあります。そうした生活音すら聞こえない、自然の音しかないのは異様な事です。
おかしな点は他にもあります。そもそも、ユキが一人で木の皮を集めているのが異常事態です。
確かに木の皮集めは、五歳の幼子にも出来る簡単な仕事です。ですが適当にやっていい仕事でもありません。木の皮集めは食べ物採取の一環であり、アマガワと呼ばれる種類だけが対象となります。この木の皮は糖分を多く含み、煮込んだスープはとても甘くて美味しい貴重なエネルギー源。別種の木から採取したり、剥ぎすぎて大切なアマガワを枯らしたりしては大変です。なので普通、子供達を監督する大人が一人ぐらい付き添います。
その大人の姿がなく、ユキが一人で食べ物集めをしているなんて、平時ではあり得ません。言い換えればこの村は今、緊急事態に直面しています。
具体的には、みんな、病気で倒れているのです。
「ユキちゃん……」
その事はユキ自身も知っているので、村の中を進んでいる時に声を掛けられるとは思っていませんでした。
声を掛けてきたのは、三十代の女性。平均寿命が短く、十代で結婚して子供を産むのが当たり前なこの世界では、『優しいおばさん』に該当する人です。子供達から人気で、ユキにとっても大好きな大人の一人。ユキはぱっと笑顔を浮かべ、女性に駆け寄ります。
「ミサさんだー! げんきになったー?」
「元気……では、ないかな。でも、水を、運ばないと、だからね……」
でも仕方ありません。村の殆どの人が病気になって、未だ誰も治っていないのですから。
――――その病気は山が雪に覆われ、本格的に冬が始まった三週間ほど前から見られるようになりました。
最初はただの風邪ぐらいの、大した事のない病気でした。ただの風邪でも自給自足生活をしているこの村では大変な事ですが、此処の住民は助け合いが基本。一人が風邪を引いたらみんなが助けてくれるので、しっかり寝て食べて治せます。
ところがこの病気は一週間経っても、二週間経っても、全然治りません。治らないどころか少しずつ症状が悪化していきました。
おまけに病気は少しずつ周りの人に移っていきます。
人に移る事は、普通の風邪でもある事。その時は元気な人、そして治った人が助ければよいのです。ところがこの病気は全く治りません。一人、また一人、病気になる人は増えていくばかり。慌てて村人同士の接触を減らしても感染拡大は止まらず。
今では村人の殆どが病気になってしまいました。掛かっていないのは、ユキ含めた数人だけ。この数人だけで何十もの村人全員の面倒を見るなんて出来る訳もないので、今では病気の村人も可能ならば寝ずに働く有り様となっています。
当然、病人の仕事の効率はとても悪いです。今日の分の食事なんてまず用意出来ません。一応、秋までに保存食を作っていますが、その量は少なく、冬もせっせと食べ物を探さなければあっという間に枯渇します。現に、今この村にある食べ物の残りはごく僅か。もう一月も持たない状況です。他には薪や水も不足してきています。
本来なら国に助けてほしいところですが……この村はあまりに辺鄙で、税金すら取れない土地。なくなっても何一つ困りません。しかも治らない伝染病に村中が汚染されています。国に助けを求めたところで、やってくるのは医者ではなく焼き討ちするための部隊でしょう。
最早出来る事はなく、村はゆっくりと滅びに向かっていました。
「ユキちゃんの、とこの、お母さんは?」
「ずっとねてるー。ごほごほせきしてて、ねてないといけないから、わたしががんばるの!」
「……そっか。頑張ってね」
ミサはそう言って、この場を後にします。彼女も家族のため、水を汲まねばならないのです。例え、あらゆる状況が手遅れだと示していても。
そんな村の運命など全く察していないユキは元気よく手を振り、ミサに別れを伝えてから再び家へと向かいます。
子供の姿も、大人の姿もない、寂しい雪道を歩く事数分。ユキは自分の家に辿り着きました。隙間風が厳しそうな木製掘っ立て小屋ですが、この世界の技術水準で言えば普通の建物です。五歳児には少々重たい木の扉を頑張って開け、ユキは家の中へと入ります。
「ただいまー!」
元気よく帰宅を伝えたら、バタバタと走って向かうは寝室。手洗いなんてしません。まだこの世界では細菌もウイルスも発見されていないので、感染症予防の概念も未熟なのです。そもそもこの村は手洗い出来るほど水が豊富ではありません。
着ていた上着はそこらに脱ぎ捨て、足早に寝室へと行けば、一人の女性がベッドの上で寝ていました。
ユキの母親です。村でも評判の美人ですが、病気の所為ですっかりやつれてしまいました。症状も日に日に悪化していて、今や意識は朦朧、息は絶え絶えとなっています。
幼いユキがお世話をしなければ、既に死んでいたかも知れません。そのぐらい体調は悪いまま。ちなみにユキの父親は二年前、獣にやられて亡くなっています。だからこの家には、ユキしか母親のお世話が出来る人はいません。
「ママー、ごはんだよっ!」
……意識朦朧とした母親の口に甘い木の皮をずぼっと差し込むのは、お世話と拷問の境目ぐらいでしょうか。
甘味と苦痛で目覚めた母親は、咳き込みながら身体を起こします。
「ああ、ユキ……ごはん、取ってきて、くれたのね。偉いわ」
「ふはははー。えらいでしょー」
「でも、木の皮を、そのまま口に入れるのは、止めてね?」
「はーい!」
母親の言いつけに、元気よくユキは返事をします。ちなみに先週も同じ事を言われていました。
「まって、ね。いま。ごはん、つく、る、から」
ユキの取ってきた木の皮を持ち、母親は立ち上がろうとします。
が、そこでふらりと身体が揺れ……どうにかベッド側に傾けた身体は、ばたりと倒れてしまいました。息はしていますが、目は半開き。身体はぴくりとも動きません。
ユキはぺちぺちと、小さな手で母親の顔を叩きます。幼女の弱々しい手とはいえ、叩かれても母親はうんともすんとも言いません。すっかり気絶しています。
「ママ、ねちゃった」
ユキは困ってしまいます。
ユキはまだ五歳の女の子。食べられる木の皮ぐらいは教わっていますが、料理や裁縫など、生きていくための術は殆ど身に付いていません。母親に食事を作ってもらえなければ、ユキはおなかを満たす事さえ出来ないのです。
しかし起きない以上どうしようもないので、ユキは寝てしまった母親に毛布を(雑に)掛けて寝室から出ます。
「うーん。ママのびょうき、ぜんぜんよくならない」
ここに来て、ようやくユキは事の深刻さをほんのちょっと理解しました。
家の中に、食べられるものはまだあります。ですが量は僅かで、算数が出来ないユキでも冬越しには到底足りないと分かります。どうにか食べ物を集めないと、とは思いますが、木の皮以外の集め方はまだ分かりません。
このままだとお腹ぺこぺこで死んでしまうでしょう。これも全部病気の所為だ――――ユキにもそれぐらいは分かります。
では、どうすればいいのでしょうか? 薬草など試せるものは全部試しています。簡単に思い付く方法なんてなく、ユキはうーんうーんと数分悩みました。
それから、ぽんっ、と手を叩きます。
「そうだ! かみさまにおねがいしよう!」
閃いたのは神頼みでした。
この時代の、この世界において、信仰は一般的なものです。この村の人々も山の恵みに感謝し、山には神聖な存在がいると信じていました。冬が明けた時には『春祭り』を行い、料理を
五歳であるユキはそうしたお祭りを何度も経験し、山に神様がいると信じていました。そして大人達は祭りの時、お供え物をしながら「今年の冬も食べ物に困りませんように」とお願いしている姿を思い出します。
幼いユキはこの光景から、神様はお供え物をすると願いを叶えてくれると考えたのです。大人が聞いたら「いやそれはちょっと違うよ?」と訂正されたでしょうが、生憎大人達は病気で全滅中。ユキを止める人はいません。
「よし!」
『名案』が閃いたら即行動。幼いユキは計画なんてろくに考えず、即断即決で準備を始めます。
小さな自宅の食糧庫へと向かったユキ。神様に捧げるお供え物を選ぶためです。母親が寝込んでいる間ずっと此処にあるものを食べていたので、中身は大分すっからかんですが……それでもまだ一つだけ食べ物が残っていました。
干しベリィです。アマサという木の
「あまいものはおいしいから、かみさまもよろこぶよね!」
ユキは保存食を持ち、服の腰部分の紐に結び付けます。落とさないよう、ぎゅっと縛りました。
それから水筒(筒状の植物で作ったもの)を取って、外に出ます。地面に降り積もった雪の、汚れていない表層部分を掬って水筒に詰め込みました。水筒の中が雪でぱんぱんになったら家へと戻ります。
水筒をどんっと床に置いて、しばし待機。室温でゆっくりと雪は溶け、揺するとちゃぷちゃぷ音が鳴るようになったらこれで良しと、ユキは水筒も腰に装着。
最後に温かな上着を着たら準備完了です。
「よーし! かみさまのとこにいくぞー!」
幼く元気なユキは、たった一人で冬の山へと向かいます。
過酷な雪山。いくらこの地で生まれ育ったユキでも、奥へと進むのは簡単ではありません。大人の手助けなしともなれば、無謀と言うしかないでしょう。
何より問題は、信仰対象である『神様』を見た事なんて、ユキ自身一度もない事。
ありとあらゆる点で問題だらけな、ユキの大冒険が始まってしまいました。
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