剥きだしの感情


現場が変わってから、

彼のLINEは、露骨に増えた。


『今なにしてる?』

『今日、声出しすぎた』

『そっちは順調?』


語尾がやわらかくて、

少しだけ甘い。


――なのに、私は。


『お疲れさまです』

『無理しないでください』

『確認しておきます』


仕事の文章。

感情の入らない距離。


画面の向こうで、

彼がどんな顔をしているか、

想像できてしまうからこそ、

踏み込めない。


サブマネージャーとして、

彼を守る側でいなければならない。


そう決めたはずなのに。


『……冷たくない?』


その一文で、

胸の奥が、きしんだ。


それでも私は、

返事を変えなかった。


会えない。

だからこそ、

ここで崩れたら終わる。


――そう思っていた。


電話が鳴ったのは、

夜遅くだった。


名前を見ただけで、

指が止まる。


出ない、という選択肢は、

最初からなかった。


「……もしもし」


『やっと出た』


声が、荒れている。


『こっち、最悪』

『現場、空気悪いし』

『なんかもう、全部うまくいかない』


珍しく、愚痴が多い。


『……会いたい』


その一言で、

理性が、音を立てて崩れた。


「……それは、だめです」


絞り出すように言う。


「今は、距離を――」


『なんで』


被せるように。


『LINEではあんなに冷たいのに』

『俺がどれだけ我慢してるか、分かってる?』


分かってる。


分かってるから、

こんな対応しかできなかった。


「……会えなくなって」


声が震える。


「初めて、

自分がどれだけ好きだったか、

分かっちゃったんです」


沈黙。


堪えていたものが、

一気に溢れる。


「毎日、

近づかないようにして」

「好きって顔、隠して」

「それでも一緒にいられたから、

我慢できてたのに……」


涙が落ちる。


止められない。


「離れたら、

何も残らない気がして……」


電話の向こうで、

彼が息を吸う音がした。


『……泣かせるつもりじゃなかった』


声が、低くなる。


『でも、

もう戻れないと思う』


「……私もです」


そう言った瞬間、

覚悟が決まった。


「今夜だけでいいから」

「あなたのわがまま、

聞かせてください」


短い沈黙のあと。


『……じゃあ』


声が、少しだけ笑った。


『会おう』


それは、

仕事じゃない約束。


でも私は、

電話を切ったあとも、

拒まなかった。


近づかないでほしい、と理性は言う。


それでも。


会えなくなって初めて、

私は恋を、

むき出しにしてしまった。


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