漫画『キングダム』から本作までの時間軸
こんなもの、近況ノートに書けば良いのですが、近況ノートの「【公開】……」って、ブクマしている人のが🔔にドッと出てきて、読まれないかもなあ、と思いまして。もちろん、近況ノートを丹念に読んでいる人も見かけます。マメだなあ、と思ってます。
この「新編 漢の将軍と辺境の娘」シリーズ、完結済みの
🔵漢の将軍と辺境の娘(古代~近世官能シリーズ④)、https://bit.ly/3R8vaFz
の焼き直しです。これは秦末漢初の劉邦がまだ巴蜀の地に押し込められていた時期で、秦の首都だった咸陽を奪還する前の時期のエロ小説です。
エロ小説だから、歴史の動きなんてあまり書いていません。でも、ちょっと書き足しとくか、と思って 新編 として書き出しました。
普通に書いても焼き直しで面白くないので、曽根崎アンヌという女子大生!が紀元前206年に転生してしまうというプロットを足しました。
……やらなきゃ良かったです。
漫画『キングダム』と秦末漢初までの時間軸
⚫️紀元前258年: 趙の名将・趙奢の死(廉頗の回想で言及)
⚫️紀元前257年: 長平の戦い(白起 vs 趙括、趙軍40万人生埋め)
⚫️紀元前246年: 秦王・嬴政(エイセイ)即位(9歳)呂不韋が相国に就任
⚫️紀元前245年: 信(嬴都編開始時・14歳)、漂と下僕として生活、成蟜の反乱(山界の死、王騎と初めて出会う)、政、初めて王宮を抜け出し信と出会う
⚫️紀元前244年: 馬陽防衛戦(王翦 vs 龐煖、趙軍侵攻)信、百人将に昇格
⚫️紀元前243年: 秦趙連戦(加冠の戦い~蕞防衛戦)
・龐煖再来襲
・朱摩の暗殺未遂
・蕞の民兵戦(政が民を鼓舞)
⚫️紀元前242年: 秦国大飢饉。呂不韋失脚、嫪毐の乱、昌平君・昌文君が一時都を追われる
⚫️紀元前241年: 合従軍編(楚・趙・魏・韓・燕+趙の李牧)、函谷関の戦い(秦六大将軍フル出陣)信、5000人将に昇格
⚫️紀元前238年: 山の民完全同盟。鄴攻略戦(王翦軍15万 vs 李牧軍)、朱海平原の戦い(15日間戦闘)
・尭雲・死亡、岳嬰活躍
・李牧・龐煖死亡
信、将軍昇格
⚫️紀元前236年: 秦、趙首都・邯鄲陥落、趙滅亡
⚫️紀元前234年: 韓非、秦に来訪→毒殺(李斯・姚賈関与)
⚫️紀元前233年: 燕太子・丹、荊軻を派遣(始皇帝暗殺未遂)
⚫️紀元前232年: 韓滅亡
⚫️紀元前230年: 魏滅亡
⚫️紀元前228年: 楚滅亡
⚫️紀元前226年: 燕滅亡
⚫️紀元前222年: 秦軍(王翦・王賁将軍)が燕国と代国を滅ぼす。燕王喜と代王嘉が捕虜となり、秦の支配が東北部まで拡大。中国統一の最終段階。
⚫️紀元前221年: 斉国が降伏し、秦が中国全土を統一。秦王・嬴政が「始皇帝」を名乗り、皇帝制を確立。度量衡・通貨・文字・道路・法律の統一を実施。万里の長城建設を開始。李斯を丞相に任命。
⚫️紀元前215年: 蒙恬将軍が匈奴を撃破し、河套地域を占領。万里の長城を延長。
⚫️紀元前214年: 南方・嶺南(現在の広東・広西)遠征を開始。霊渠の建設(湘水と漓水を結ぶ運河)。
⚫️紀元前210年: 始皇帝の7度目の全国巡幸中、沙丘(河北)で病没(享年49)。嫡子・胡亥が即位(二世皇帝)。趙高・李斯の謀略により、皇太子・扶蘇と蒙恬が自殺。始皇帝の死は数ヶ月隠蔽。
⚫️紀元前209年: 陳勝・呉広の乱(大沢郷で反秦蜂起)。全国に反乱が広がり、楚・趙・魏・韓・燕の復興軍が次々発生。劉邦・項羽らが反乱に参加。秦軍(章邯将軍)が陳勝を討つが、反乱拡大。
⚫️紀元前208年: 趙高が李斯を殺害。二世皇帝・胡亥を暗殺し、子嬰を擁立(秦の最後の王)。章邯軍が項羽に巨鹿の戦いで敗北(反秦連合勝利)。李由(李斯の子)が劉邦に敗れ自殺。
⚫️紀元前207年: 劉邦軍が秦軍を破り、関中へ進軍。章邯らが降伏し、三秦王を立てる。趙高が子嬰に殺害される。
⚫️紀元前206年: 子嬰が劉邦に降伏し、秦滅亡。咸陽が劉邦軍に入城。鴻門の宴(項羽と劉邦の会談、暗殺未遂)。項羽が咸陽を焼き払い、秦宮殿を破壊。楚漢戦争の始まり(項羽が西楚霸王、劉邦が漢王に封じられる)
「新編 漢の将軍と辺境の娘」巴蜀・漢中編 第18話までの時間軸
⚫️紀元前207年頃: 曽根崎アンヌが21世紀から転生し、張蓉(ヂャン・ロン)の体に憑依。韓信と出会うまでの約1年間、古代中国語を習得(第1話参照)。
⚫️紀元前206年初頭: 韓信が項羽の西楚から寝返り、漢に帰属(第1話参照)。
⚫️紀元前206年中: 韓信が成都から巴蜀の地方を巡り、人口調査や徴兵などの実態調査を行う(第2話参照)。
⚫️紀元前206年中(後半): 巴蜀視察の後半、成都への帰還途中で張蓉(アンヌ)の村に立ち寄り、アンヌと出会う(第2話、第3話、第4話参照)。
⚫️紀元前206年夏: 韓信とアンヌが成都に戻る(第5話参照)。
⚫️紀元前206年夏~秋: 第7話から第10話までの出来事が展開。
⚫️紀元前206年秋: 斉藤和子が呂雉(りょち)に転生。曽根崎アンヌの転生(紀元前207年頃)と同時期。呂雉の意識が残り、和子は約1年間で古代中国語を習得(第10話~第11話参照)。
⚫️紀元前206年冬:韓信の三秦攻略(明修棧道、暗渡陳倉)(第12話~第18話参照)。
「新編 漢の将軍と辺境の娘」中原編 第2話までの時間軸
⚫️ 紀元前205年春:韓信の三秦攻略(明修棧道、暗渡陳倉)(第1話~第2話参照)。
⚫️紀元前205年春:
●項羽は斉での戦闘に注力(田栄との戦い)。彭城の防備が手薄になる。
●劉邦は関中を固め、56万の軍を率いて彭城を占領。項羽の首都を奪い、諸侯を糾合する。
●韓信は劉邦に従い、彭城進軍に参加。軍事戦略を立案し、彭城占領を支援する。
⚫️紀元前205年4月(彭城の戦い):
●項羽は斉から3万の精鋭を率いて急速に南下。彭城で劉邦軍を奇襲し、大勝。劉邦の56万軍を壊滅させ、呂雉と太公を捕虜とする。
●劉邦は彭城で大敗し、単身で滎陽に敗走。子(劉盈、魯元公主)を馬車から突き落とす混乱の中、家族を楚軍に奪われる。
●韓信は彭城の戦いに参加するが、項羽の奇襲で敗北。劉邦と共に滎陽に撤退し、軍の再編を支援する。
⚫️紀元前205年夏:
●項羽は滎陽を包囲し、劉邦を追撃。呂雉と太公を人質に持ち、劉邦を圧迫する。
●劉邦は滎陽で防戦を展開。韓信と蕭何に軍の再編を命じ、関中の基盤を頼りに抵抗。紀伊(紀信)の身代わり作戦で滎陽から脱出する。
●韓信は滎陽で劉邦を支援し、楚軍への反攻を準備。魏地(魏豹)を攻略し、劉邦の後方支援を強化する。
⚫️紀元前204年春:
●項羽は滎陽・成皐を攻撃し続けるが、韓信の別働隊に後方を脅かされ、戦略が分断。斉地で田横の反乱に直面する。
●劉邦は滎陽・成皐で籠城戦を展開。韓信の活躍で勢力を回復し、項羽との持久戦に持ち込む。
●韓信は魏地を平定後、趙地へ進軍。井陘の戦いで趙王歇と陳余を破り、趙を支配。背水の陣で楚軍を翻弄する。
⚫️紀元前204年秋:
●項羽は滎陽包囲を続けるが、韓信の斉攻略により楚の後方が不安定に。劉邦との和平交渉(鴻溝の盟約)を模索する。
●劉邦は滎陽・成皐で耐え抜き、韓信の勝利を背景に勢力を拡大。鴻溝の盟約で一時停戦し、呂雉と太公が楚から解放される。
●韓信は斉地を攻略(田横を降伏させ、斉王に封じられる)。楚の補給線を断ち、項羽を圧迫する。
⚫️紀元前203年冬:
●項羽は垓下で漢軍に包囲され、四面楚歌の状況に追い込まれる。虞姫と別れ、烏江で自刎し、楚が滅亡する。
●劉邦は韓信・彭越らと垓下で項羽を包囲。勝利後、漢王朝を正式に樹立(前202年2月、皇帝即位)。
●韓信は垓下の戦いで主力として楚軍を壊滅させ、漢の勝利を決定。楚王に封じられるが、後に淮陰侯に降格する。
⚫️紀元前202年春:
● 項羽は既に紀元前203年冬の垓下の戦いで自刎し、楚が滅亡。
● 劉邦は漢王朝を正式に樹立(漢高祖、紀元前202年2月即位)。韓信を楚王に、蕭何を相国に任命。呂雉を皇后とし、劉盈を皇太子に立てる。
● 韓信は垓下の戦いで楚軍を壊滅させ、漢の勝利に貢献。楚王に封じられるが、劉邦の猜疑心により監視される。
● 呂雉は皇后として権力基盤を強化。劉邦の側室・戚夫人やその子・趙王如意への嫉妬を募らせ、後の専横の布石となる。
⚫️ 紀元前201年:
● 項羽は紀元前203年冬、死亡。
● 劉邦は匈奴との戦い(白登山の戦い)で苦戦。陳平の策で匈奴を退けるが、国内の反乱(韓王信の反乱)を鎮圧。
● 韓信は楚王として楚地(現在の江蘇・安徽)を統治。劉邦の猜疑により、謀反の疑いをかけられ、淮陰侯に降格される。
● 呂雉は韓信への猜疑を煽り、劉邦に淮陰侯降格を進言。後宮で戚夫人への敵意を強め、劉盈の皇太子地位を守る策を練る。
⚫️ 紀元前200年:
● 項羽は紀元前203年冬、死亡。
● 劉邦は国内統治を固め、反乱鎮圧(例:彭越の梁王封じ)に注力。長安を首都とし、漢の行政体制を整備。
● 韓信は淮陰侯として長安に召還され、軍事権を剥奪。呂雉と蕭何の監視下に置かれる。
● 呂雉は後宮の実権を握り、劉邦の側近(蕭何、張良ら)と連携。韓信の動向を注視し、謀反の口実を探る。
⚫️ 紀元前196年:
● 項羽は紀元前203年冬、死亡。
● 劉邦は陳豨の反乱を鎮圧中、矢傷を受け健康が悪化。韓信の謀反疑惑を信じ、呂雉に処断を委ねる。
● 韓信は呂雉と蕭何の計略により長安の長楽宮に誘い出され、謀反の罪で捕縛・処刑。三族皆殺しの刑に処される。
● 呂雉は韓信を処刑し、漢の功臣粛清を開始。戚夫人への敵意を強め、劉盈の皇位継承を確実にする。
⚫️ 紀元前195年春:
● 項羽は紀元前203年冬、死亡。
● 劉邦は矢傷が悪化し、長安で病没(享年約62歳)。劉盈が皇帝(恵帝)に即位。
● 韓信は紀元前196年、死亡。
● 呂雉は恵帝(劉盈)の母として太后となり、実質的な権力を握る。戚夫人を奴隷とし、趙王如意を毒殺。
⚫️ 紀元前194年:
● 項羽は紀元前203年冬、死亡。
● 劉邦は紀元前195年春、死亡。
● 韓信は紀元前196年、死亡。
● 呂雉は戚夫人を「人彘」(四肢切断、目・耳・声を潰し、便所に放置)にし、残虐性を発揮。呂氏一族(呂産、呂禄ら)を要職に登用し、漢朝を支配。
⚫️ 紀元前188年:
● 項羽は紀元前203年冬、死亡。
● 劉邦は紀元前195年春、死亡。
● 韓信は紀元前196年、死亡。
● 呂雉は恵帝(劉盈)が病没(享年約23歳)。少帝(劉恭)を即位させ、呂氏一族の権力を強化。諸侯王への圧迫を強め、劉氏の勢力を削ぐ。
⚫️ 紀元前184年:
● 項羽は紀元前203年冬、死亡。
● 劉邦は紀元前195年春、死亡。
● 韓信は紀元前196年、死亡。
● 呂雉は少帝(劉恭)を廃し、新たな少帝(劉弘)を擁立。呂氏一族の専横をさらに進め、劉氏の諸侯王(斉王劉襄など)を牽制。
⚫️ 紀元前180年夏:
● 項羽は紀元前203年冬、死亡。
● 劉邦は紀元前195年春、死亡。
● 韓信は紀元前196年、死亡。
● 呂雉は病没(享年約62歳)。死後、呂氏一族の専横に反発した陳平・周勃らがクーデター(呂氏の誅滅)を起こし、劉氏の劉恒(文帝)を擁立。呂雉の支配が終わる。
まず、過去世界に転生した話を真面目に書こうとすると、転生したら体ごと転生するのか、それとも過去世界に存在した人間に憑依して転生するのか?なんて考えちゃいます。
転生そのもののメカニズムでも大変なのに(ラノベみたいに考えなければいいんですけどね)、肉体が過去世界にワープするタイムトラベルの原理……、それはますます面倒くさいので、体は元の時代に残ったまま精神だけが別の時代に行くタイムリープにしようと……残った肉体、どうしよう?精神、意識だけが別の時代に行く?じゃあ、別の時代のその体の持ち主の精神、意識はどこに行くの?抹殺されちゃうのか?とか、ラノベみたいに考えなければいいんですけどね、リアリティー重視なので……それで読まれないってこともありますが……
伏線回収➀
ということで、紀元前206年の蜀(四川地方)の僻村の娘、
筆談
◯第1話 将軍韓信とアンヌの転生
https://x.gd/jhmuC
なろう、カクヨム、アルファポリスで現代JK、JDが古代中国に転生するというファンタジーが多々あります。それで、言葉通じないじゃん!というので、みんな筆談から始めます。
私みたいに考えないでいいんですよ、サラッと書きゃあいいんです。でもね、古代中国の識字率を考えていない。キングダムでもあったじゃないですか?戦争始めます!って立て看板を見て、李信が文盲で読めないので、
古代中国の庶民の識字率は、5%以下という文献もあります。百人中95人は無学文盲です。だから、その5人に出くわさないと筆談できません。
それから、現代JK、JDって筆談できるの?漢文習ってないじゃん?という話。文法が違いますから、日本語の主語+述語+動詞じゃない、英語と同じ主語+動詞+述語ですので、現代日本語の漢字を並べても意味なんて通じません。私、それ、中国駐在中にやって失敗してます。
さらに、現代日本語の漢字って、大陸中国の簡略した簡体字ほどではないですが、省略した漢字です。台湾、香港の繁体字よりも省略されてます。で、繁体字が書けたとしても、それは21世紀の話。紀元前中国の漢字は、秦が推し進めた統一文字の小篆(しょうてん、中国の古代文字)です。現代台湾人、香港人でも筆談しても古代中国人は理解できません。習字の先生なら書けるんでしょうが。
※小篆の画像、https://x.gd/wIV98
アンヌも村の長から小篆(しょうてん、中国の古代文字)を習いました。
ですので、アンヌは、地道に
曽根崎アンヌは、東京外国語大学の言語文化学部中国語専攻の三年生という設定で、中国語もHSK(中国語の語学能力を測定するための国際的な標準化試験)の高等級もクリアしていますが、現代中国語がいくらできても、紀元前の中国人には通じません。
現代中国語の「wo」 (私) が、古代の上古中国語では「nga」や「ŋaʔ」のような音だった。秦漢時代の蜀地方は、巴蜀文化の影響で、非漢語の要素が混じり、発音が中原とは異なっていました。
これは、現代日本人が、三世紀の卑弥呼の時代に転生しても同じことです。縄文・弥生・古墳時代の日本語の発音は、現代と異なります。通じません。
◯第2話 キングダムじゃないんだからね!
https://x.gd/pkOkYh
「蓉の住む地方には、高位の客人には村の娘を夜伽として差し出す風習があった」
ウソです。史実で残ってません。これは私の勝手なでっち上げです。まあ、しかし、オリジナルにも有ったから……というので残しています。
しかし、この時代、ラノベ物には書いてませんが、庶民の服は
さらに、このつんつるてんの浴衣の下はというと、胸帯(ブラ)はつけてますが、下帯(パンツ)ははいていません。
中国の歴史において、「下帯」(下衣、女性の下着、特にパンティー類似のもの)は、古代から存在していましたが、庶民層への普及は時代とともに変化しました。
秦漢時代では、下着の原型が存在しましたが、庶民では普及していませんでした。
宮廷や貴族女性は「亵衣」(下衣、短いシャツ状)や「裈」(ズボン状の下着)を使用していました。馬王堆漢墓(紀元前2世紀)から出土した絹製下着は、薄く柔らかい素材で、腰巻きや短パンに近い形状でした。用途は衛生(生理時の経血を吸収させるため)や冷え防止が目的で、実用性重視でした。
農民や下層民は下着なしが一般的でした。麻や粗い布で簡易的に作る場合もありましたが、貧しい庶民には経済的に普及していません。『漢書』食貨志によると、庶民の衣類は粗末で、下着は「贅沢品」でした。
つまり、庶民の女性は、つんつるてんの浴衣みたいなヒザ下までの
古代中国の女性は、生理時はどうしていたかというと、経血が見苦しいので、外出せず、部屋に引きこもっていた、あるいは、村で生理の時の小屋があって、生理の重い女性はここで引きこもっていました。
庶民のパンツ、唐宋時代(紀元後618年~1279年)になって、徐々に普及し始めます。
宮廷や貴族女性は「抹胸」(胸当て)と「亵裤」(パンツ状下着)を着ていました。素材も麻ではなく、着心地の良い絹や綿となりました。
庶民は都市部の商人女性で麻製の下着が使われ始めましたが、農村部では依然として下着なしでした。
というわけで、生理時の女性は、農作業などの労働には従事するのが難しかったのです。その分、労働生産性は落ちます。ただし、それは16歳以下(娘に依っては14歳くらいの初潮が始まってすぐ)の女子の場合で、結婚すれば話は違います。
パコパコして妊娠すれば生理は止まりますので、出産間近まで働けます。
でも、下着なしは不快です。それで、彼女は、
◯第6話 滅秦の第二皇女秦瑛と侍女盧氏瑛
https://x.gd/yxSlw
「旦那様、これは『下着』っちゅうもんですたい。西域の向こうにローマっちゅう大国があって、そこじゃ衣服の下に下着を着る習慣があるとです。私らみたいに素裸に直接漢服を着ることはなかと。こりゃ便利やなと思って、真似して作っとるところですたい。
漢服っちゅうたらズボンやなくて袍パオやけん、旦那様みたいにだらしなか人だと脇から大事なとこがチラリと見えることもありますやろ。女も同じで、隠したいとこが見えちゃうこともあるとです。この下着を着れば、そんな恥ずかしかとこがチラリと見えちゃう心配もなかとよ。
女の下着は胸当てと腰巻きのセットで、ローマじゃ胸当てを『ストロフィウム』、腰巻きを『スブリガリウム』っちゅう名前で呼ぶとです。ローマ帰りの商人が教えてくれたとよ。それから、この雑巾みたいなもんは、女の月のものの時に使う『生理用品』っちゅうもんですたい。
これを当てただけやとずり落ちるけん、下着で押さえるとです。今の時代じゃ、月のものの時は捨てるようなボロ布を当てるくらいやけん、不潔になって病気の元やね。この生理用品は使い終わったら冷水で血をよう洗って、その後グラグラ煮立ったお湯で煮沸消毒っちゅうのをするとよ。ローマの人間はそうしとると商人が言うとったけん、私もやってみようと思うとりますたい」
と、村人用のパンツとナプキンを開発します。
で、それで女性の労働生産性は上昇しますが、これって、歴史を変えることになりますよね?
尚、
◯新編 長安変奏曲(古代~近世官能シリーズ⑦)
https://bit.ly/410wYps
で、唐の時代に
秦末漢初の武器
私は漫画キングダムのファンです。全巻持っていて、何度も読み返しています。
しかしですね、キングダムに出てくる秦末漢初の武器の武器、あれはウソです。漫画として成立してますが、趙三大天の龐煖のい矛に李信が剣でガシガシ打ち合ってますが、鋼製の剣なら、固いだけですので、すぐへし折れます。
ま、そこで、また歴史改変になりますが、
◯第9話 賢妻安女(アンヌ)
https://x.gd/fi9Y9
では、アンヌの本家は、長崎県大村市にあった。肥前国のこの地は、近藤忠吉のような名刀匠を輩出した海辺の町という設定にしました。そこで、アンヌは祖父から刀鍛冶の技法を習って、古代中国で日本刀もどきを製造し始めます。
「中国の武器と日本刀」の項で書きましたが、秦末漢初の中国では、武器といえば青銅と鉄(鋼)製で、青銅はすぐ曲がる、鉄(鋼)の剣は折れます。だから、消耗品。一回の戦闘で次には使い物にならなくなって、溶かして作り直すしかありません。
エジプト、第19代王朝4代目ファラオのメルエンプタハの時代(紀元前1213~紀元前1202年頃)にエジプトに侵攻してきた異民族(海の民)によって侵略されます。古代エジプトでは、秦末漢初と同様、武器は青銅製でした。民族(海の民)は、鉄製の刀剣でエジプトを侵略、占領します。
武器の発達が歴史を作ってきました。
なので、アンヌの日本刀もどきを古代中国に出現させるのは、歴史の改変になります。アンヌの刀を持った韓信軍は、劉邦や項羽の軍よりも格段に強くなってしまいます。
そうなると、韓信が劉邦に変わって、天下統一を……となるのかどうか。
伏線回収②
そこで、ラスボスを出さねばなるまい、ということで、
◯第11話 斉藤和子の転生
https://x.gd/lgKys
アンヌと同様の21世紀の大学院生の斉藤和子が劉邦の本妻の呂雉(りょち)に憑依します。しかし、和子が憑依しても呂雉(りょち)の意識は消えずに残ったまま。この方が和子が時間をかけて古代語を習う場面を省略できます。って、そういうこともありますが、
なぜ、
さて、和子の性格はアンヌとまったく違います。劣等感の塊で自分の容姿を気にせいていて、男性に見向きもされない。それが、絢爛たる漢王朝の皇后呂雉(りょち)に憑依したのですから、呂雉(りょち)の意識の影響もあって、だんだん性格が歪んできます。「和子は自分の意識が呂雉(りょち)に飲み込まれそうになるのを感じ、恐怖に震えた」
さて、まだこれからですが、和子=呂雉(りょち)は、漢の大将軍の后、
※中国ですから、韓信の后になっても、アンヌは、
アンヌも自分同様、21世紀の大学院生の和子が呂雉(りょち)に憑依したことに気づきます。それも、呂雉(りょち)の邪悪な意識は残ったまま、呂雉(りょち)が21世紀の知識を持った和子を飲み込もうとしているという自分の優位性を脅かす存在、おまけに和子は、アンヌよりも歴史に通宵しています。これからの西楚と漢の闘いの動向と結果を知っています。
アンヌは、滅亡した秦の第二皇女の秦瑛、彼女の侍女で秦瑛と同じく秦朝の血脈をひく盧氏瑛、この二人を韓信に抱かせて、子供を作らせ、その子に滅亡した秦朝を復興させ、漢王朝の成立を阻止しようと画策します。歴史をかえちゃいます。
と、ここまでで、
🔵漢の将軍と辺境の娘(古代~近世官能シリーズ④)、https://bit.ly/3R8vaFz
だったら、巴蜀に押し込められた漢の話がアンアン物で終わりますが、こんなに書いたら、巴蜀編だけでは終わらず、蜀から抜け出し、中原で項羽と決戦するまでの中原編まで書いて、漢王朝が成立するか、アンヌ、韓信、秦瑛、盧氏瑛が王朝を簒奪して、秦朝を復興させかまで書かないといけなくなったと……
トホホ。
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