第五章 「空へと昇る涙」その3

「ヒノ、デ……?」

 ツミキが戦場に舞い降りると、目の前でミゾレがそう口にした。言った直後、彼女は自分の言葉を恥じるように表情を暗くした。

 一方のツミキも、ミゾレの姿を見て表情を暗くした。彼女が、血と涙の湖の中で絶望したように崩れ落ちていたから。その服は擦り切れ、血に染まっている。大きな外傷が見当たらなかったのが、不幸中の幸いだと言えた。

 ツミキは戦場に張り巡らせた木の根を使い、状況の把握に努めた。木の根は、伝わる空気の振動をセンサーのように感じ取り、その付近の状況を把握することができた。

「この力は! ……生きていたのですか、驚きですね」

 遠くで仮面の男がそう呟くのが聞こえた。ツミキは同時にハナコやカイザーの位置を把握し、他の戦士達の状況把握に努める。

「どう、して……?」

 ふいに、ミゾレがそうつぶやいた。その言葉で、ツミキはゆっくりミゾレに歩み寄った。

「ミゾレ……。僕、いっぱい考えたんだ。僕はずっと、君に笑顔でいて欲しかった。でも、君と過ごしていて気づいたんだ。僕は、君にこれ以上泣いてほしくない。これ以上、悲しい思いをさせたくない。だから……、君の大切なものは、僕が守るよ!」

 ツミキが言うと、ミゾレは「ハハッ……」と乾いた笑い声を漏らし、それから再び涙を流し始めた。

「遅いよ……、もう遅い。神域は、終わってしまった……。クリスタルは、破壊されてしまったの……」

 ミゾレがそう言うと、その背後——神域の中央部から大きな火柱が上がった。ツミキには、それがあの亀の炎だと分かった。

 心の中で、ツミキ到着が遅れてしまったことを悔いた。しかし、決してそれを口には出さなかった。ツミキは黙って、目の前の少女を見つめていた。

 そんなツミキの服の裾を——ツルを編み込んで作られた衣服の裾を、ミゾレが強く握りしめた。

「……もうこれ以上、血を流してほしくない! こんな……、意味もない戦いでもう誰も死んでほしくないっ‼︎」

 ミゾレはすがるようにツミキに膝立ちでもたれかかり、額をツミキの腹に押し当てながら絞り出すようにそう口にした。肩は呼吸に揺れ、流した涙が血と混じりツミキの服を染める。

「わかったの……。私、大切になってた……。ここにいる人達のことが、ヒノデやシオンの皆んなと同じくらい、大切になってたの……!」

 そう言うと、ミゾレは顔を上げ、今度はツミキの顔をしっかり見ながら口を開いた。

「神域の皆んなを守りたい! 彼を失って初めて出会った、私の、家族をっ……! だからお願い! どうか、どうか……っ」

「——わかった。全部守る」

「っ! ふぐっ、うぅぅ……」

 ミゾレの言葉に、ツミキは迷うことなく答えた。何にかえても、成し遂げると決めた。

 そんなツミキの言葉に、ミゾレはまた、崩れるように泣き始めた。

「どうすればいい? どうすれば、ミゾレの家族を守れる?」

「っ! ぐすっ、ごめん……。敵は大きく分けて二つ。王都兵と、解き放たれてしまった亀の神獣。——王都兵の方は、あの四頭の魔獣を倒すことが必須条件。あれがある限り、王都軍の有利は変わらない。逆にあの魔獣を倒せば、私たちにも交渉の余地が生まれる。本当はっ、もう戦う理由なんてないんだから……!」

 ミゾレはそう言うと、悔しそうに顔をゆがめた。

「——わかった。あの魔獣は僕が一人で倒す。神域の人達にはこれ以上戦わせない。それで、亀の方は?」

「え? でもそれは——」

「——大丈夫。それで、亀の方は?」

 ツミキの言葉に疑惑半分、期待半分の態度を見せるミゾレ。しかし、ツミキの揺らぐことのないその振る舞いを見て、希望にかけるようにミゾレはうなずいた。

「神獣については……、ひとまず放棄する。あの神獣の強さは尋常じゃない。あの神獣が解放されてしまった以上、この土地は……、一度放棄するしかない」

 ミゾレは拳を握り、悔しそうにうつむいた。けれどすぐさま顔を上げると、ここでようやく立ち上がり、膝についた土を払った。

「私はこれから馬で神域を駆けまわって、人々に避難を呼びかける! 私がいる場所は、魔獣が近づかないセーフティーエリアになる。だから、どこに行くことになっても大丈夫。それに……、人々がいれば、そこが神域になると、今はそう信じたい……! だから神獣は、放っておいて」

 ミゾレの言葉に、ツミキはうなずいた。

「わかった」

「…………」

 しかしツミキは、ミゾレの表情に違和感を覚えた。力強い言葉を放った彼女だが、その表情はまだどこか元気がなく、不安そうだ。何かがスッキリしないような、そんな迷いが見えた。

 ふと、ツミキはある言葉を思い出した。それは、かつてツミキも何度か口にした言葉。けれど、真似事でしか言ったことのない言葉。

 ツミキは初めて自分の意思として、その言葉を口にした。

「運命に、抗え……!」

 ツミキはそう言って、ミゾレの前に右拳を突き出した。

 その瞬間、彼女の瞳が揺れた。その目は見開かれ、何かハッとしたような表情が彼女の顔面を満たした。やがてその表情は、一つの決意に収束し、彼女の目に力強い炎が宿った。

 ツミキはそれを見て、もう大丈夫だと思った。ツミキは踵を返し、王都軍の方を向——

「——待って!」

 その瞬間、ミゾレに呼び止められた。振り返ると、ミゾレはおもむろに剣を抜き、その刃を使って自身の左の前髪——左目を隠すその前髪を、勢いよく切り払った。

 突然の行動に驚きを隠せない木。そんなツミキを、二色の瞳が見つめた。

「一つ、訂正する……」

 ツミキの両目と同じ色をしたミゾレの左目。強い決意が宿ったその瞳が、木をまっすぐに捉えていた。そして彼女は、決断する。

「亀の神獣は、私が倒す……‼︎」

 そう言い放つと、ミゾレはツミキの反応を待たずに駆け出した。ツミキはそれをどこか不思議な、よくわからないという気持ちで見届けると、「ふぅ」と息を吐いて踵を返した。

 ——一頭の使役魔獣が、ツミキに迫っていた。

 ツミキのバリケードはいまだ健在で、人間同士の接触は阻まれたまま。状況に応じていくらでも変化する木の根のバリケードを、兵士達は乗り越えることもできない。そんな停戦状態に嫌気が差した、あの仮面の男の判断だろう。本当はあの男が直接戦った方が強いだろうに、立場がそれを阻むのだろう。ご苦労なことだ。

 ——その苦労は、想像がつく。僕も、同じような苦労を「していた」からだ。

「パオォォォンッ‼︎」

 迫るゾウに似た姿をした黒い魔獣。ツミキはバリケードの上に立ち、拳を力強く握りしめると、肩まで引いたそれを勢いよく前へと突き出した。

 ——ゴォッ‼︎

 同時に拳から伸びる数本の木の枝。それらはより合うようにしてねじれ、一本の木の枝として、凄まじいスピードで空気を切り裂く。

 ——そしてその一撃は、迫る魔獣の身体をまっすぐに貫いた。

 次の瞬間、木の枝はほどけ、魔獣は内側から引き裂かれるように弾け、戦場に散った。

「「「なっ⁈」」」

「嘘だろ……‼︎」

 どよめく兵士たち。神域の戦士達も、同じように驚きにざわめいていた。

「困りましたね……、昨晩とはまるで別人だ。……ん? 待てよ、昨晩? ……そうか、弱点は夜でしたか。だとすると、困ったことになりますねぇ……」

 仮面の男のつぶやきで、ツミキはその位置を知る。ツミキはその方向を一瞥すると、迫る残り三頭の魔獣達に目をやった。

「ミゾレの敵は、僕が倒す……! 全力でいくよ!」

 ツミキの腕から、無数の枝が展開した。


     *     *     *


 亀の神獣のもとへは、迷わず辿り着くことができた。

 これだけ炎を撒き散らしてたら、誰にだってここに亀がいるとわかる。ゆえに、神域の人々が偶然亀に遭遇してしまう、ということは起こらずに済むだろう。その点に関して、私は軽く胸を撫で下ろす。

 私は少し離れたところで馬から降り、口と甲羅から炎を撒き散らす巨大な亀の正面、その進行方向の先に立った。

「……ちゃんと闘うのは、これが初めてだね」

 親しみを込めて、私はそう口にする。

 あたりには火の手がまわり、けれどそこまで燃え広がってはいない。神域の木々は、特別なエネルギーを帯びている。その供給元が絶たれたからといって、すぐに普通の木々になったりしない。炎が燃え広がっていないのは、そのためだろう。

 もっとも、そんな状況もこの神獣が暴れ続ける限り持たないだろう。

 ——私は剣を抜いて、亀の神獣に向かって駆け出した。

 闘いの内容は、それはもうひどいものだった。元々、クリスタルという限られた空間、かつ亀の神獣の力を制御していたあの空間ですら、力を使い切らせるだけで精一杯だったのだ。これまで一度だって、この亀を倒そうと思ったことはないし、倒せると思ったこともない。

 倒すと宣言したものはいいものの、実際には逃げ惑うだけで精一杯だった。

「っ……! これでいい……。なるべく被害範囲を広げずに、ここでエネルギーを消費させるんだ!」

 私はそう言って、再び駆け出した。攻撃は注意を引く程度にとどめ、あとは回避に専念、亀をこの場に留まらせることに専念する。

 ——孤独の闘い。誰も見ていないし、誰も助けてくれない。ただ、守りたいものだけが——闘うと決めた理由だけが、胸の中でハッキリと形をなしている。

 そんな風にして、どこか突き放して自分自身を観察している自分がいることに、私は気がついた。

 ——そうして認識した自分の姿が、奇しくも、いつかの彼に重なった。

「あなたも、そうだったの……? 何か大切なものを守るために、こうして一人で闘うことを選んだの? ……運命に抗って、戦うことを選んだの?」

 そう口にした直後、亀が突然動きを止めた。吹き出し続けていた甲羅からの炎が止まり、その口は息を整えるようにして荒い呼吸を繰り返している。

「今だ……‼︎」

 私はそう判断し、亀の背後に迂回する。近くの木々を使い亀の甲羅に飛び乗ると、そのまま頭の方へ駆け抜け、その首筋に刃を突き下ろした。

「——グギャオォォォ‼︎」

 その瞬間、亀が大きな鳴き声と共に暴れ出す。その衝撃で、私は剣を亀の首筋に残したまま、空中へと放り出されてしまった。

「しまった……!」

 見える地上は、はるか下方。体勢は乱れたままで、このままでは受け身も間に合わない。しかし、それが分かったところでできることもほとんどない。

 私が落下による死をも覚悟した瞬間——

「——ミゾレ様っ‼︎」

 木々の中から飛び出してきたハナコが、私の身体を抱き抱え、そのまま枝の中へと突っ込んだ。

「ハナコ⁈ どうしてここに——」

「——っ! まずい!」

 息つく暇もなく、亀の神獣がこちらに向かって炎を放とうと口を開く。

 するとその瞬間、小さなリスが亀の顔に飛びつき、その目に飛び蹴りを放った。

 亀はたまらず顔を逸らし、炎はどこかそっぽへ放たれる。その時間を使って、私は無事地上に降り立った。

「カイザーまで⁈ あなた達、どうしてここに!」

 そう尋ねた私に答えるより先に、ハナコは剣を握り走り出した。放たれた亀の攻撃をハナコは紙一重でかわし、亀の足へと斬りかかった。しかし、その刃は亀の肌には通らず、足払いによってハナコは地面を転がってしまう。

「ハナコ‼︎ だめ、逃げ——」

「——私にも、背負わせてください! ミゾレ様っ‼︎」

 そう叫び、ハナコは笑った。

 その直後、カイザーが近くの枝から亀の甲羅に飛び乗り、首に突き刺さったままの剣に向かって走っていくのが見えた。

「おりゃあ〜っ! 根性見せてやるぜっ!」

 カイザーが突き刺さった剣を押し込むと、亀は再度鳴き声をあげて暴れ出した。

「効いてる! 勝機が見えましたよ、ミゾレ様! 三人で協力して、あの剣を根元まで押し込むんです!」

「しゃっ! わかりやすくていい! やってやるぜっ‼︎」

 そう言って闘志を燃やす二人。一気に好転した雰囲気。そんな状況を見て、

 ——私は気づけば笑っていた。

 希望が見えたことへの喜び、二人が駆けつけてきてくれたことへの嬉しさ。その中に、どこか寂しさにも似た感情が混じった。

「私も、あなたのそばにいたかったな……」

 そう呟いて、私は駆け出した。三人で息を合わせ、首元の剣を突き刺すために走り出した。


 ——私も、あなたのもとに駆けつけたかった。あなたと共に、行きたかった。

 ヒノデ……、私は、私たちは……、

 ——あなたを一人で行かせてしまったことを、ずっと悔やんでいるんだよ?


 三人の連携によって、私は再び亀の甲羅の上に飛び乗ることに成功する。

「ミゾレ様っ‼︎」

「行け! ミゾレ・シオン‼︎」

 そして私は、首に刺さった剣に手をかける。

 一人では、決して届かなかったこの場所。

 どこかほろ苦い想いも抱いて、私はそれを勢いよく根元まで押し込んだ。

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