都市伝説ギャル柚希無双
木本雅彦
イントロダクション
導入: 語りに落ちる前に
私がこの案件に関わるようになった時点で、物語は既に動いていた。
私の名前は霧島梨央(きりしま りお)、内閣官房特別怪異対策室所属の監督官である。
内閣官房の構成員の多くがそうであるように、私もまた他の組織からの出向組であるが、それについてはまずは語らなくてもいいだろう。この案件の主役は私ではないのだから。
本当の主役は、ひとりの少女である。──いや、少女という表現は、そう書くのが一般的であるからだけで、彼女自身はそう呼ばれることを忌避するであろう。
彼女が求める彼女自身のアイデンティに従って、あえて文書には不適切な表現を使うとすれば、彼女は「ギャル」である。
ギャルについて解説する能力を、私は持たない。それは私が生まれ育ち、現在の立場につく人生の過程の中で、ギャルという少女たちとはあまりにも接点を持たずに過ごしてきたからに他ならない。
もし、ギャルという存在について知識を得たいのであれば、読み手各位が自力で調査願いたい。
そのギャルの名前は、蒼木柚希(あおき ゆずき)という。年齢は20歳前後のはずで、その点については、元ギャルと呼ぶのが正しいのかもしれない。しかし、彼女の矜恃としてなのか、あるいは慕ってくる後輩のためなのか、彼女はギャル的スタイルを固持している。
初めて彼女と会ったのは、内幸町の地下の古い喫茶店だった。
銀色のラメ入りマニキュアが午後の光を跳ね返し、深紅の唇が「超〜マジ最悪なんだけど」と呟いていた。
報告書によれば二十歳前後、だが肩まである黒髪の先端だけを燃えるようなオレンジに染め、耳たぶには無数のピアス痕が連なる。テーブルには溶けかけた氷の浮くコーラと、開いたままのスマートフォン。画面には『失踪者』の文字列が並んでいた。
隣席の、いかにも官僚然とした老紳士が咳払いをする。
彼女は気にせずストローを噛み潰し、「マジでヤバくね?」と虚空へ語りかける。
──その声に、背筋が粟立った。人間の鼓膜に届く音域の奥底で、別の何かが蠢いている気がしたのだ。窓の外の桜並木が風もないのにざわめき、通行人の影が一瞬だけ歪む。
これが「蒼木柚希」という現象との邂逅だった。
私は彼女の真正面に座り、政府の人間として最低限の敬意を払いつつ自己紹介を行った。しかし彼女は一度も私の目を見ようとしない。代わりに、空になったグラスの底に残る氷片を指先で撫で回しながら、
「あんたさぁ、なんか変なモン憑いてない?」
と唐突に尋ねてきた。
心臓が嫌な音を立てた。確かに私は三日前から原因不明の頭痛に悩まされており、同僚からは「顔色が悪い」と何度も忠告されていたのだ。
「……どういう意味ですか?」
彼女はようやく私を直視した。瞳孔が異様に大きく見えるのはメイクのせいなのか、それとも──。
「ウチらの調査対象リストに載ってる子の家族が同じ症状訴えててさ。まさか霞ヶ関のお偉いさんまで巻き込まれてるとは思わなかったわ」
彼女の笑みは獲物を見つけた肉食獣のように鋭く、同時にどうしようもなく悲哀に満ちていた。喫茶店の照明がふっと暗くなり、壁に掛かった昭和レトロな時計の針が止まる。
そして蒼木柚希は囁いた。
「霧島センセ、あんたもう戻れないよ。ウチと一緒に地獄へドン!って感じで付き合うしかなくなっちゃったからさ」
その言葉と同時に、遠くで鈴の音が聞こえたような気がした。
胸に冷たい鉱石でも埋め込まれたような違和感。表向きは平然を装うが、胃袋は氷水を流し込まれたように縮む。
官僚としての矜持で理性を繋ぎ止めながらも、「憑き物」の一言が脳裏で反響し、全身に鳥肌が立つ。仮にもキャリア官僚として、いくつもの試験や難題を解きほぐしてきた身ではあるが、理屈が通用しない相手を前にしなければならないらしいとなると、これからの戦略の見通しが立てられない。
そうだ、私は怯えているのだ。
あの娘の瞳に映る私の姿は、無意識に震えているだろうか。
不可抗力で深淵へ足を踏み入れた焦燥が募る。それでも任務は果たさなければならない──否応なく。
蒼木柚希の瞳は暗紫色のルビーのように妖しく煌めき、私の内奥を見透かすかのごとき洞察力を湛えていた。睫毛の奥には幾重にも折り畳まれた過去の苦渋が滲み出ていて、表面的な派手さの下に深い闇を抱え込んでいることを物語っている。
その視線に晒されると、自分自身の中にある穢れや弱さが露呈されるようで、思わず目を逸らしたい衝動に駆られた。
しかし、柚希は私を見下すでもなく、かといって年上への敬意を表すでもなく、ただ、ふっと笑って目を逸らした──逸らしてくれた。
彼女なりに、私を新しい仲間として受け入れてくれた合図だったのか、一種の諦観なのかは分からない。ただ私は、一連の彼女の所作を見て、一緒にやっていけるかもしれないという可能性を感じ取れたのだ。
最初はそれで十分だった。時間をかければ、報告書に出てこないような種類の、それでいて人間性の多くの土台になっている部分を、互いに共有することもできるだろう。
──その後、自分が放り込まれた世界が予想よりも過酷であることを、嫌というほど知るのだが。
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