第1節-7章【脆く、儚く】

その日は、朝から雪だった。


カーテンを開けると、

昨日よりもはっきりとした白が、街を覆っている。

積もるタイプの雪だ、と直感で分かった。


天気予報は当たった。

彼女の言葉も、当たっていた。


――また、会える。


そう思った瞬間、

胸の奥が少しだけ軽くなる。


制服に袖を通しながら、

無意識にスマホを確認する。


何もない。


それでいい、と自分に言い聞かせる。

何かあるほうが、おかしい。


駅へ向かう道は、

いつもより人が少なかった。


雪のせいで足取りは重く、

会話も短い。


「今日は本格的だね」


駅の女の子が、そう言った。


「だな」


それ以上、何も続かなかった。


頭のどこかで、

今日の放課後のことを考えている自分に気づいて、

少しだけ、嫌になる。


授業中も、

集中できているようで、できていなかった。


チャイムが鳴るたび、

時間が進んでいるのか、止まっているのか、

分からなくなる。


窓際を見ると、

彼女はいつも通り、外を見ている。


でも今日は、

雪ではなく、

もっと遠くを見ているような気がした。


昼休み、

声をかけようとして、やめた。


理由はない。

ただ、

踏み込んではいけない気がした。


放課後。


校舎を出ると、

雪はさらに強くなっていた。


公園に寄るべきか。

今日は、やめるべきか。


そんなことを考えている時点で、

もう答えは出ていた。


家に着く頃には、

コートの肩に、白が溜まっている。


夕飯を食べて、

部屋に戻る。


時計を見る。

まだ、少し早い。


「……今日は、どうする」


誰に聞くわけでもなく、呟く。


そのとき。


スマホが、震えた。


一瞬、

時間が止まった気がした。


画面を見る。


知らない番号。


でも、

知らないはずがなかった。


指が、すぐには動かない。

出たら、何かが変わってしまう。

そんな気がした。


それでも、

鳴り続ける音に、

俺は耐えられなかった。


「……もしもし」


息が、少しだけ乱れている。


『……あ』


向こうから聞こえた声は、

あの夜よりも、ずっと小さかった。


「どうした?」


すぐに聞き返す。


『ごめんなさい……

 急に、電話して』


「いいから。

 今、どこだ?」


一拍、間が空く。


『……公園』


心臓が、

一段、強く打った。


「動けるか?」


『……たぶん』


その“たぶん”が、

答えになっていないことは、

俺にも分かった。


「今、行く」


そう言って、

通話を切った。


コートを掴んで、

玄関を飛び出す。


雪が、

視界を奪う。


足元が滑る。

息が白く、荒くなる。


――俺に、そんなことができるのか。


頭の中で、自分が問いかけてくる。


でも、立ち止まる理由はなかった。


公園に着くと街灯の下に、

小さく丸まった影が見えた。


「……おい」


駆け寄ると、

彼女はベンチに座っていた。


いや、

座っているというより、

寄りかかっていた。


「来て……くれた」


顔色は、

雪よりも白い。


「寒いだろ!」


コートを脱いで、

彼女の肩にかける。


「ごめんなさい……

 でも、雪、見たくて……」


そんなことを言うな。


喉まで出かかった言葉を、

必死で飲み込む。


「立てるか?」


『……ちょっと』


立ち上がろうとして、

彼女の体が、ふらりと傾いた。


反射的に、

腕を伸ばす。


軽すぎた。


抱きとめた瞬間、

分かってしまった。


今まで見ないふりをしていたものを。


「……ごめんね」


彼女が、

小さく言った。


「迷惑、だったよね」


「違う」


即答だった。


「そんなこと、言うな」


声が、震える。


彼女は、

俺の胸元を見つめて、

それから、ゆっくりと首を振った。


「でも……

 冬、始まったばかり、だから……」


同じ言葉。


「きっと、よくなるって……

 思いたくて」


雪は、

容赦なく降り続いている。


街灯の光の中で、

彼女の睫毛に、白が積もる。


「……帰ろう」


そう言うと、

彼女は、かすかに頷いた。


歩き出そうとして、

また、力が抜ける。


「……電話、して」


彼女が、

小さな声で言った。


「さっきの番号に……」


家族。


病院。


現実。


「……分かった」


俺は、

スマホを取り出す。


指が、

震えていた。


――俺に、そんなことができるのか。


できるかどうかじゃない。


もう、

やるしかない場所に立っている。


雪は、

すべてを覆い隠すみたいに、

静かに、激しく、降っていた。


冬は、

確かに始まったばかりだった。


でも、

もう戻れないところまで、

来てしまった気がしていた。

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