インテルレグナム ―虚構の力と選ばれなかった者たち―
@kairo_arche
第1話――止まったままの世界
この街は、眠らない。
歪んだ高層建築、
途中で投げ出されたような空中通路、
完成しているはずなのに、
どこか“終わっていない”街。
ネオンが壁面を走り、
空には無音のドローンが巡回している。
人々は前だけを見る。
立ち止まらない。
考えない。
ノア・グレイは、その中を歩いていた。
目立たない服装。
色の抜けたジャケット。
どこか噛み合っていないシルエット。
彼は昔から、こうだった。
優柔不断ではない。
恐怖症でもない。
ただ――
選ばないことが、自然だった。
大きな交差点に差しかかり、
ノアは足を止めた。
理由はない。
信号でもない。
ただ、止まった。
顔を上げる。
ビルの間を、数羽の鳥が飛んでいた。
――次の瞬間。
鳥たちは、空中で静止した。
羽ばたきもせず、
落ちることもなく。
まるで、
「飛ぶ」という結果だけが
保留されたように。
周囲の人間も気づき始める。
「上昇気流だろ」
「錯覚じゃないか?」
そう言いながら、
誰も深く考えない。
ノアは感じていた。
風は、吹いていない。
違和感を抱えたまま、
彼は歩き出した。
数ブロック先で、
空気が張り詰める。
音はない。
だが、空間が悲鳴を上げている。
一人の男が、宙に浮かんでいた。
身体は不自然に硬直し、
目は見開かれ、
口元は歪んでいる。
周囲では、
瓦礫や標識、車の部品が
ゆっくりと回転していた。
「……ヴェールドだ」
誰かの声。
男は叫んだ。
言葉ではない。
長年押し殺してきた感情が、
そのまま溢れ出たような声だった。
次の瞬間、
浮かび上がった車が
群衆へ向かって飛ぶ。
ノアは考える前に動いていた。
近くにいた少女を突き飛ばす。
車は彼らのすぐ横を通過し、
建物に激突する。
悲鳴。
混乱。
空から、部隊が降下する。
黒いスーツ。
白い直線。
顔の見えないヘルメット。
――《レジスター》。
「対象確認。距離を保て」
拡声された声が響く。
ノアは、戦闘を見ていなかった。
人を見ていた。
部隊の中の一人が、
ほんの一瞬、動きを止める。
武器を下げる。
ヴェールドと目が合う。
恐怖と、迷い。
次の瞬間、
別の方向から放たれた一撃が
男の胸を貫いた。
浮遊は止まり、
瓦礫は一斉に落下する。
静寂。
人々は口々に言う。
「危険だった」
「正しい判断だ」
「これでいい」
ノアは、
動けずにいた隊員から
目を離せなかった。
「君」
腕を掴まれる。
「近くにいたな。見ていただろう」
レジスターの職員だった。
「証言が必要だ。
あのヴェールドは、最初に攻撃したか?」
ノアは口を開き――
閉じた。
昔から、そうしてきた。
選ばない。
決めない。
沈黙する。
真実を言えば、誰かが壊れる。
黙れば、世界は続く。
「……分かりません」
その瞬間、
胸の奥に、安堵が広がった。
不気味なほど、心地よかった。
「了解した」
職員は去る。
だが、
何かが終わっていない。
ノアは空を見上げた。
鳥たちは、まだそこにいる。
止まったまま。
「……いつからだ」
彼は呟いた。
「世界が、
こんなふうに止まるようになったのは」
「――ずっと前からだよ」
振り向くと、
一人の男が立っていた。
明るい色のスーツ。
作られたような笑顔。
「ノア・グレイ。
君は、何もしなかった」
「……何もしてません」
男は頷く。
「だからこそだ」
「今日、初めて――
世界が君を選んだ」
空で、
一羽の鳥が、わずかに震えた。
まるで、
答えを待っているかのように。
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