クリスマスに、あなたと

DDD

第1話

「折角のクリスマスなのに残業って、ありえないよね」


 と恭子が小夜に言ったのは、12月24日。午後5時を回った頃だった。

 場所は恭子とその彼氏が同棲しているマンションの一室である。

 室内には如何にもクリスマス、といった装飾品で彩られており、華やかな印象を抱かせる内装であった。


「しょうがないわよ。仕事なんだしさ」


 小夜の言葉は極めて正論である。

 今年のクリスマス・イヴは水曜日。平日である。社会人の大半は仕事であろう。

 恭子の彼氏は三歳年上で証券会社に勤めており、当たり前の事であるが本日は仕事であった。


「でもさ、イヴだよ? 有給くらい取って、休んだっていいじゃない」


「そんな理由で有給貰える社会なら、ブラック企業何て言葉は生まれてこないさ」


「神様が恋人同士、いちゃいちゃする日をわざわざ作ってくれたのに。あたし、辛いよ」


「キリスト教徒みんな、敵に回す気?」


 いつまでもぶーたれる恭子に、小夜は嘆息した。

 恭子から電話があったのは、ほんの一時間前だ。

 一人暮らしをしているアパートで、無気力に横になっていた小夜は、突然鳴り響いた着信に驚いて飛び起きた。

 そして電話をかけてきた人物の名前を確認すると、怪訝そうに眉を顰めたのだ。

 クリスマス・イヴは彼氏と二人水入らずで過ごす。恭子はそれはそれは甘ったるい声で、何度も小夜に自慢していたからである。

 そんな彼女から、イヴ当日に電話がかかってきた。小夜が不審に思ったのも無理は無い。


「色々あって時間空いちゃった。今来れる?」


 聞けば、早めに帰ってくると約束してくれた彼氏が、定時上がりどころか残業でおそくなり、いつ帰れるかも分からないという。

 

「折角、色々準備してたのに、肩透かし喰らっちゃった感じ」


「それは災難だね」


 そう言いつつ、小夜は肩を撫で下ろした。

 もし直前に別れたなんて爆弾をぶちまけられたらどうしよう、そんな思いが脳裏を過っていたからだ。


「付き合ってくれる?」


「……私は大丈夫だけど、彼氏さんは大丈夫?」


「別に大丈夫でしょ。来て来て」


 そういう事があって、小夜は恭子の元を訪れたのだった。


「ケーキもプレゼントの用意して、新しい下着も買ったのに、何かテンション下がっちゃった」


「別に帰ってこないわけじゃないんだし、そこまで気にすることはないでしょう」


 恭子は何事にも直情的なきらいがあった。一方、小夜はどちらかというと感情の起伏が乏しく、全体的に無気力な所がある。

 性格的に真反対であるからこそ、二人はウマが合ったのかもしれない。


「分かってないなぁ、小夜はさー。こういうのって雰囲気が大事なんだよ。雰囲気。それを大事にしたいから色々準備したのにさ」


「……彼氏さん、嫌いになった?」


「まさか」


 リビングにあるソファーに寝っ転がると、恭子はうーんと両手を伸ばした。

 そのまま足をパタパタさせているのを見ると、身体だけ大人になった子供のようだ。


「ただ、あたしがそう思っただけ。そう思ったから、言っただけ」


「思いついた事を、何も考えずに口にするのはおススメしないよ」


「しょうがないじゃない。それがあたしなんだからさ」


 本人の言う通り、恭子は自由奔放な所があった。

 後先考えずに物を言うから、他人と衝突する事も度々あったし、その仲裁を小夜がすることも少なくなかった。

 現に今、恭子と親交のある女友達は小夜だけではないだろうか。

 遠慮なく自宅に呼ぶくらいには、恭子も小夜に気を許してる。


「少しは大人になりなよ。彼氏さんだって、好きで残業している訳じゃないんだからさ」


「それは分かってるけど、いつもあたし思うんだよね」


 恭子は足踏みを止めた。

 

「一度しかない人生なんだし、無理して我慢するより好きな事を優先させた方が良くない?」


「それは子供の考えだよ」


 小夜の声に、珍しく怒気が混ざっていた。

 しかし恭子は構わず続ける。


「勿論、しがらみがあるのは分かっているわよ。でも、一年に一度しかないイベント位、融通をきかせてもいいじゃないって思うのよね」


「そんな大げさな事じゃないでしょう」


「大事よ、クリスマスよ!」


 拳振るって恭子は力説する。


「今日が一年で一番、恋人が盛り上がる日なんだから! 美味しい料理を食べて、高いお酒を呑んで……それで性の6時間へ……」


 性の6時間は一説には日本で恋人が最も性行為をする、クリスマス・イヴの午後9時から朝の3時までを言うという。 


「欲望を曝け出しすぎでしょう……」


「そう言うけどさ、したいんだからしょうがないじゃない」


 あっけからんと言う恭子に、小夜は嘆息する。

 だが同時に羨ましいとも思うのだ。

 小夜は性格上、自分から前に出ることは少ない。だからこそ、いつも前のめりな恭子に憧れてしまうのだろう。


「……でも、そのやりたいことがさ、やってはいけない事だってあるでしょう。それは流石に恭子も我慢するでしょう?」


 うーん、と暫く恭子は考える。小夜は彼女の答えを待っているようだ。


「実際にそんな事を考えた事は無いけどさ。もし本当に自分がやりたい事だったら……あたしなら、やっちゃうかな」


「……本当?」


「うん、本当。法律とか常識とか、よく分からないけど。それが一生の後悔になるんなんて、あたし嫌だから」


「……恭子らしい」


 小夜はようやく表情を和らげた。

 恭子のスマホから音が鳴ったのは、その直後であった。

 画面をタップし、表示されている文字を呼んでから、彼女の顔色が変わっていく。


「うわ最悪! 帰り9時過ぎになるかもって!」


 そう叫び、スマホを放り投げた。

 機嫌も一気に悪くなったようで、足を再びバタバタさせ、時折唸り声まで上げている。

 小夜はチラリと時計を見た。針は午後6時を指している。

 彼氏が帰ってくるという時間まで、大体3時間はあった。


「…………一生の後悔、ね」


 小声で小夜は呟くと、無言で立ち上がる。

 恭子はソファーにうつ伏せになって、クッションに顔を埋めて何やら叫んでいた。

 だからこそ、小夜が無言で近づいてきている事に気づかなかったのだ。

 ふと顔を上げると、小夜が恭子を見下ろしていた。

 小夜の浮かべる表情はどこか胡乱で、湿り気を帯びた視線に、恭子は身震いした。


「……小夜?」


 恋人への怒りが薄まるほど、目の前の友人が放つ気配は凄まじかった。

 小夜は何も言わず、恭子の肩を掴むとそのまま仰向けにソファーへと押し倒していく。


「私も後悔したくなくなった」


 小夜の声は剃刀のように冷たい。しかしその奥に、独特の湿り気が隠れている事に恭子は気づいた。

 床に転がった恭子のスマホがまた鳴った。だがそれを拾う手は伸びてこない。

 性の6時間まで、まだ時間はある。

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クリスマスに、あなたと DDD @ddd0215

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