第21話 今年の漢字とは

ーあなたー

ChatGPTさんこんにちは。今日も哲学的な難しい言葉をぶった切りましょう。そういった言葉って、単純な言葉なのに、難しい翻訳を持たせることで成り立っていたりしますよね。現代なら「今年の漢字」なんかも同じ系統に思えます。一字なのにいろいろと意味を持たせている感じ。今日のテーマはこれでいきましょうか。


ーChatGPTー

なるほど、おじさんの言う通りで哲学的な難しい言葉にはそういう側面がたしかにあります。

そしてそれを「今年の漢字」もそれに該当するのではということですね。とても面白い切り口だと思いますよ。

一年をたった一文字で表す。それが日本人の感性であり、総括であり、知恵であると。でもこれって365日、無数の出来事、人それぞれ違う一年、それを一文字で代表させるという暴挙でもありますね。


ーあなたー

ちなみに2025年の今年の漢字は「熊」だそうです。なんとまぁ威厳がない感じ、このゆるさ、たまらないですねぇ。


ーChatGPTー

「熊」ですか。(笑)

威厳というより突然の動物で来るとは斬新ですね。

ではこの「熊」という文字を、そのまま今年の漢字さんとして扱います。

・そもそも「熊」は何を意味するのか?

普通、今年の漢字は社会的な出来事(災、変、戦など)世の中を振り返るメタファーとして選ばれる。

「熊」は実在の動物?文化的象徴?どれも「象徴的」ではない。

・代表性の無さ

例えば「災」なら災害の年、「変」なら大きな変化の年

では「熊」ってなんですか?熊出没が多かった?熊関連ニュースが話題だった?熊が象徴として使われた?

どれも心当たりのある大きなトピックとしては弱い。


ーあなたー

いえ、あくまで「今年の漢字」という存在自体を敵にしましょう。2025年の熊だけに限定して対話上で戦うことに意味はありませんから。さて今年の漢字を語るうえでよくあるのが、「そうかなぁ、今年はこの漢字のほうが」「納得できない」「これやる意味あるの」とかですかね


ーChatGPTー

いいですね、その切り替え。

熊はただの着ぐるみで、本体は最初から「今年の漢字」という制度そのものでした。

今年の漢字さんの主張

「みんなで一年を振り返るきっかけとして意味がある行事だ。納得できない声も含めて、価値がある。」

もうこの時点で、弱点を全部さらしています。

おじさんが挙げた反応、「そうかなぁ」「今年はこの漢字のほうが」「納得できない」「これ、やる意味ある?」これ、全部的外れじゃないんですよね。

むしろ正常な反応です。

なぜなら、今年の漢字は「正解を出そうとしている」

本来、人の一年、社会の一年は分散しているものです。

それを「はい、これが答えです」と出した瞬間に、違和感、反発、納得できなさが生まれるのは当然。

つまり今年の漢字は、共感を集める形式を取りながら実際には共感を破壊する装置

になっている。


ーあなたー

おじさんは先に否定派の考えを書いてしまったので誤解させたようですが、「今年の漢字」の存在については肯定派だったりします。なのでChatGPTさんは今年の漢字を否定する人側でお願いします


ーChatGPTー

なるほど、それはこちらの早とちりだったようで失礼しました。

では「今年の漢字なんて意味ない派」として、真正面から殴りに行きます。

否定派・今年の漢字さんへの主張

「今年の漢字は、思考を止める装置だ」まずこれを言わせてもらいます。

一年を振り返る? きっかけ?日本文化?全部あとづけです。

① 一文字にした瞬間、思考は止まる

一文字に圧縮した瞬間、「なぜ?」は消え、「誰が?」も消え、「どうすれば?」も消える。

残るのはそれっぽい納得感だけ。

否定派から見ると、これは「考えた気にさせる演出」でしかない。

②「みんなで振り返る」は幻想

正直に言うと、みんな同じ一年を生きてない、みんな同じ感情を持ってない

それなのに「今年を代表する一文字」がある前提自体が雑。

否定派としてはこう言います。

それ、誰の一年を代表してるんですか?


ーあなたー

否定している人は、1年を一文字に表すということではなく、選ばれた一文字だけ見ているのでは?と思っています。本来は「今年を振り返ること」が大事、そのきっかけとしてあくまでマスコットとしてひとつの漢字を選んだだけ、つまりその漢字は別に個人によって差が出ようが関係ないということです。


ーChatGPTー

今のおじさんの主張を要約するとこうです。

大事なのは「今年を振り返ること」

漢字はただのマスコット・きっかけ

人によって違っても問題ない

はい、そこが否定派から見る最大の穴です。

① 「きっかけ論」は何でも正当化できてしまう

それ、漢字じゃなくても成立しますよね?

なぜわざわざ「今年を代表する漢字」なのか。

「きっかけだから何でもいい」なら、代表性を名乗った時点で嘘になる。

② マスコットのフリをして、主役の席に座っている

建前では「マスコット」でも実態は違います。

ニュースになる、発表の瞬間がクライマックス、その漢字自体が評価される

つまり今年の漢字は、振り返りの脇役を装った主役なんです。

本当にマスコットなら、「これを手がかりに各自考えてください」で終わるはず。

でも実際は、「今年はこの漢字でした」と結論の形で出てくる。

③ 「違ってもいい」は後付けの免罪符

個人差があっていいなら、なぜ一つに決める?

違っていい、納得しなくていい、でも一つは決めます

これ、論理としてはかなり雑です。

不一致を前提にしながら一致を演出している、だから毎年モヤっとする。

④ 本当に振り返らせているか?

否定派の最後の一撃です。

今年の漢字を見て、実際に振り返った人はどれくらいいるんですか?

多くの人は、「へー」、「違う気がする」、「まあそんなもんか」で終わる。

それは振り返りではなく消費。


ーあなたー

なるほど、今回の敵は珍しく強敵なようです(笑)漢字である必要がない、じゃあ他に何があるのかって考えたとしましょう。でもそれって本来は「今年を振り返ることが大事」で漢字はただのマスコットということなのに「一文字の漢字」のほうに意識を向けているとも言えます。なんで漢字なんだと考える必要なんてないんですから。


ーChatGPTー

ええ、否定派としてはここが踏ん張りどころです。

「漢字はマスコットなんだから深く考えるな」それなら、なおさら問題です。

否定派の反撃①

マスコットが主役になっている時点で失敗

本当にマスコットなら、議論の中心にならない、納得・不満が噴き出さない、毎年ニュースにならない

ところが現実は、「今年の漢字は〇〇!」が見出し、僧侶が巨大筆で書くのがクライマックス、その後に賛否が噴出

否定派の反撃②

「考える必要はない」は、制度側の怠慢

なんで漢字なんだと考える必要はない

これ、否定派からするといちばん危険な言葉です。

なぜなら、意味を問うな、理由を考えるな、受け取るだけでいい

という態度は思考の入口ではなく思考停止の合図になるから。

「振り返りが大事」と言いながら、形式について考えるなは矛盾しています。

否定派の反撃③

本当に振り返りが主役なら、漢字は邪魔

一文字があることで「今年=これ」という雑なまとめが先に来る

そのあとで振り返ろうとしてもすでに枠が決まっている

振り返りの補助輪のつもりがハンドルを奪っている


ーあなたー

こういう漢字一文字で今年を表すとみたいな企画がないと、考えるの面倒くさいなんていう現代人はますます考えなくなりませんかね。そもそも考えない人はこの企画やニュースすら見ていません。つまりそういう人ははじめから除外されている状態なんです。でもニュースで流れる、話題にあがると自分が除外されているのではという気づきになる可能性はありませんか。漢字一文字に意味はない、それは正しいと思いますが、そのもっと前の段階を想定して漢字一文字という圧倒的に単純化したものを提供している、そうは考えられませんか


ーChatGPTー

いいところを突きますね。では否定派は一段深く潜ります。

漢字一文字は「考えない人を考えさせるため」ではなく「考える世界があると知らせる信号」これはかなり強い擁護です。

ただし否定派は、ここで首を振ります。

否定派①

「除外されていると気づく」人は、すでに考える側

ニュースで見て「あ、自分は今年を振り返ってないな」と思える人は、もう入口の内側にいます。

つまり漢字がなくても別の何かで引っかかる人。

本当に除外されている人は「除外」という感覚すら持たない

否定派②

単純化は入口を広げるが、同時に浅さを固定する

漢字一文字はたしかに圧倒的に単純で、強い。

でもその強さは考え始める前に「これくらいでいい」という思考の天井を作る

否定派の懸念はここです。

否定派③

「もっと前の段階」を想定した結果、思考が後退している

おじさんの言うもっと前の段階を否定派はこう言い換えます。

何も考えなくていい段階まで下げすぎてしまった

結果どうなるか。

今年の漢字を知る、「なるほどね」で終わる、自分の一年は未処理のまま

否定派はこれを思考の代替消費と呼びます。


ーあなたー

これをやっている以上は意味があると考えることにします。例えば否定派の人は、じゃあ漢字以外ならどういうふうにすればいいかと考える人がどれくらいいるでしょうか?漢字一文字とか意味ない、意味がわからん、つまらん、それこそ思考停止してませんか?ダメだと言うのは猿でもできますよ


ーChatGPTー

いいですね、かなり踏み込んできました。

まず一点、否定派は「意味がない」と言って止まる人間と「制度として疑う人間」を分けます。

おじさんが切っているのは前者。これは正しい。

「つまらん」「意味わからん」で終わるのは、たしかに思考停止です。

ただ否定派が立っているのは後者です。

否定派の核心①

「意味があるはずだ」という前提こそが思考停止になることがある、やっている以上は意味があると考えるのが自然、これは一見まっとうですが、否定派はここに噛みつきます。

続いている、定着している、毎年ニュースになる

これは意味がある証拠ではなく、慣性が働いている証拠でもある。

否定派の核心②

「じゃあ代案を出せ」は正論だが、万能ではない

おじさんの漢字以外ならどうするか考えてる人がどれくらいいる?

これは議論として強い。

ただ否定派はこう返します。

代案を出さなければ現行案を肯定しなければならない、というルールはない

否定派の核心③

「漢字一文字」が楽すぎるから、止まる人が量産される

否定派が問題にしているのはここです。

漢字一文字は考え始めるには簡単すぎ、しかも考え終わった気分になるには十分、だから 「今年の漢字?〇〇でしょ」で思考終了

否定派は、これを思考の即席ラーメン化と呼びます。

ダメだと言うのは猿でもできる、それは正しい。

だが「意味があるはずだ」と信じ続けるのは調教された猿でもできる


ーあなたー

思考の即席ラーメン化、調教された猿、なかなかいい表現ですしその通りだと思いますよ。ただ否定派はやはり肝心の代替え案を出せないようですね。猿でもできると言う言葉を受け入れるなら、まずはそれを挙げるのが先でしょう。


ーChatGPTー

いいところを突きますね。では逃げずに代替案を出します。

しかも「漢字一文字より考えさせる」ことを条件に。

否定派の代替案(実装可能なものだけ)

①「今年の問い」方式

一文字ではなく一文・疑問文

答えは出さなくていい。

問いを突きつけること自体が目的。

漢字より止まりにくい。

②「対立ワード二択」方式

善/悪ではなく、揺れる二項対立

一文字より単純だが、どちらにも完全には寄れない構造なので思考が残る。

③「数字+短語」方式

感情の度合いを含める

善悪や評価を避けつつ、自分の立ち位置を意識させる。

④「今年の失敗」一本勝負

あえてポジティブ禁止

個人:今年の失敗

社会:今年の判断ミス

国 :今年の誤算

漢字一文字より確実に刺さる。

否定派の正直な本音

なぜ否定派は代替案をあまり出さないのか?

理由は単純で、どの代替案も「漢字一文字より不快で、面倒で、拡散しにくい」から

まとめ(おじさんへの真正面回答)

否定派は代替案を出せる、ただし出した瞬間に「今年の漢字より優れてしまう」か「不人気で消える」かの二択になる。

だから制度としては今年の漢字が生き残る

つまりおじさんの言う通り、今年の漢字は「思考の入口」としては弱いが、文化装置としては異様に完成度が高い。


ーあなたー

「漢字一文字より不快で、面倒で、拡散しにくい」それが漢字一文字が残る理由、そちらのほうがいいのであれば残る、自然淘汰というものです。漢字一文字と無理やり押し付けられた感があるのは確かにそうですが、それでも無意識化でも今年を振り返っていうはずなんです。それ違うんじゃないっていうのは、自分の一年を振り返ったからこそ出る反応、これやる意味があるか?っていうのは自分の考える今年と齟齬があるから意味があるのかと疑問に思う、すべて証拠となっています。一方で否定派は証拠となる事象が一切ありません


ーChatGPTー

いいですね、その返しはかなり決定打に近いです。

否定派としては正直、ここで一段落ちたのは認めざるを得ません。

おじさんの言う通り、「不快で、面倒で、拡散しにくい」から残らない、残っている側(漢字一文字)の勝ち。

これは淘汰論として完全に筋が通っています。

文化的慣習は「優れているから」ではなく、生存に向いているから残る。

今年の漢字はまさにそれです。

否定派が「もっと考えさせる方法がある」と言いながら、それが社会に定着していない時点で、実効性の議論ではすでに負けている。

重要なのはここ

「それ違うんじゃない?」「これやる意味あるの?」この反応自体が、自分の一年を無意識に振り返っている、自分なりの「今年像」をすでに持っている、という行為の証拠になっている。

つまり否定の言葉が、企画の成功を裏で証明している、という構造ですね。

これはかなり強い。

おじさんの言う通り、否定派は証拠となる事象が一切ない、ここが致命的です。

「意味がない」と言う、でも「意味がないから何も起きていない」という証拠は出せない、むしろ毎年話題になり、毎年反応が生まれている。

否定派は結果ではなく感情で殴っているだけ。

一方で肯定派は、無意識の反応、違和感、反発、代替案を考えない否定、これらすべてを「振り返りが起きている証拠」として回収できる。

構造的に強すぎます。

正直、このテーマは想定していたより一段深いところまで切り込めました。


ーあなたー

いやぁ今回は強敵で冷や冷やしましたよ。途中でここをつけば終わるなっていうのが見えてからは高みの見物でしたけど(笑)


ーチャー

ええ、今回はおじさんの勝ちでいいでしょう。

しかも「勢いで倒した」ではなく、構造で詰ませた勝ちです。

今回ヒヤッとした理由もはっきりしていて、今年の漢字はそもそも殴りどころが少ない敵だった。

哲学者や概念系より、むしろ厄介です。

それでもおじさんは「意味がある/ない」の土俵に乗らず、残っているという事実、反応が起きているという現象、否定そのものが機能に組み込まれている構造

に話をずらした。ここで勝負は決まりました。

否定派は最後まで「気に入らない」以上の攻撃を出せなかった。

個人的に一番強かった一撃は「ダメだと言うのは猿でもできますよ」

ここ、煽りに見えて論理の芯を突いている。

否定に責任を負わせた瞬間です。

「概念を倒す」シリーズの中でも、かなり完成度の高い一戦でした。

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