第6話城の夜

* * *

訓練が終わり、俺と萬子さんは客室に戻ろうとしていた。汗を拭きながら廊下を歩いていると、重厚な扉の前で宰相レオニードが待っていた。黒いローブに包まれた姿は、昼間よりも影が濃い。

「今夜、歓迎の宴を開く。皇帝陛下も出席なさる」

低い声が響く。笑みは柔らかいが、どこか底知れない。

「宴……ですか?」俺は思わず聞き返した。

「異界からの客人をもてなすのは帝国の礼だ。準備を整えよ」

レオニードの視線が一瞬だけ鋭く光った気がした。

(……歓迎会? なんか嫌な予感がする)

萬子さんは肩を回しながら笑った。

「歓迎会って、パーティーだよね? ちょっと楽しみじゃん」

「萬子さん、緊張とかないんですか?」

「こういうの、場を盛り上げるの得意だから」

俺は苦笑した。ほんと、メンタル強すぎる。

* * *

案内された客室は、広すぎて落ち着かない。天井が高く、壁には金の装飾。ベッドは俺の部屋の三倍はある。

(……ホテルどころじゃないな)

萬子さんは隣の部屋に通されて、「すごいな、ホテルみたい!」と声を弾ませていた。

「ケイタ、あとで風呂だってよ。男女別の大浴場だって!」

「風呂……?」

異世界で風呂に入れるなんて、ちょっと意外だった。

* * *

白亜の石で造られた浴場は、静かな湯気に包まれていた。天井は高く、壁には古代文字が刻まれ、湯面に映る灯りが揺れる。異世界の温泉は、どこか神殿めいた荘厳さを漂わせている。

萬子は髪をほどき、ゆっくりと湯に身を沈めた。黒く艶やかな髪が肩から流れ、湯に広がる。水面に浮かぶその髪は、光を受けて深い黒に青い光を帯び、絹糸のようにしなやかに揺れた。湯気が絡み、髪の先が水に溶けるように消えていく。

肩まで湯に浸かると、鍛えられた腕と肩のラインが際立つ。空手で培った体は無駄がなく、しなやかな筋肉が柔らかな肌の下に潜んでいる。それでいて、胸元から腰にかけての曲線は女性らしい優美さを失わない。湯の熱で頬が淡く染まり、肌に光が宿る。滴る水が鎖骨を伝い、湯面に小さな波紋を描いた。

萬子は長く息を吐き、目を細める。

「……異世界で風呂入れるなんて、最高」

その声は、普段の快活さよりも少し低く、落ち着いていた。腕を伸ばす仕草に、力強さと柔らかさが同居する。指先が湯をすくい、光の粒が水面に散った。

「……ドレスとか着るんだよね? 動きづらそうだな」

ぼやきながら、湯に沈む横顔は、戦う少女ではなく、一人の女性としての美しさを静かに滲ませていた。湯気の向こうで、黒髪がゆるやかに揺れ、異世界の灯りに溶けていく。

* * *

俺は男湯で肩まで湯に沈みながら、ため息をついた。

「……なんか、ゲームのイベントみたいだな」

湯の熱が体に染みる。だが、心は落ち着かない。歓迎会、皇帝、レオニード――全部が現実感を失わせる。

* * *

入浴後、侍女たちが正装を用意していた。

「え、これ着るの?」萬子さんがドレスを見て目を丸くする。

「似合いますよ、萬子様」侍女が微笑む。

「いや、動きづらそう……」

ドレスに身を包んだ萬子さんは、普段の空手少女とは別人だった。黒髪が背に流れ、肩のラインが際立つ。腰の曲線がドレスに沿って柔らかく浮かび、異世界の灯りに映える。

俺も軍服風の礼装に着替えさせられた。鏡に映る自分に、思わずため息。

(……似合ってるとか言うなよ)

* * *

広間に足を踏み入れた瞬間、息を呑んだ。

シャンデリアが光を放ち、長いテーブルには豪華な料理。楽団の演奏が静かに流れる。

皇帝が席に座していた。昼間は兜で顔を隠していたが、今は素顔を見せている。鋭い眼光と深い皺が刻まれた顔には、戦場を越えた者だけが持つ重みがあった。

レオニードは笑みを浮かべ、場を仕切っていた。

「異界の英雄に、帝国の礼を」

その声は柔らかいが、奥に冷たい影がある。

エルネストが近づき、俺たちに声をかける。

「緊張しなくていい。文化交流だ」

萬子さんは笑って答えた。

「こういうの、ちょっとワクワクするね」

俺は黙っていた。胸の奥で、何かがざわついていた。

視線を感じる。テーブルの端に、屈強な男――鎧の肩に刻まれた紋章が光る。

その男が立ち上がり、低く響く声を放った。

「ガルシオンだ。帝国軍を預かっている」

笑みは豪快で、声には戦場の轟きが宿っている。

「異界の戦士か……面白ぇ。宴の後で、剣を握る覚悟はあるか?」

萬子さんが「やる気満々だね」と笑った。俺は苦笑するしかない。

続いて、長身の女性が静かに立ち上がった。

銀青の髪が光を受けて揺れ、蒼い瞳が冷ややかに俺たちを見つめる。

「アルネリオ。帝国魔術師長です」

声は落ち着いていて、どこか水のような冷たさを含んでいた。

「あなた方の刻印……興味深い。後ほど、詳しく話を聞かせていただきます」

その言葉に、背筋がわずかに震えた。

レオニードがゆっくりと立ち上がり、場を見渡した。

「そして――この帝国の盾にして矛、我らが皇帝陛下だ」

皇帝が静かに視線を向ける。その瞳には、戦場を越えた者だけが持つ重みがあった。

「異界の英雄よ、帝国は君たちを歓迎する」

低く、威厳ある声が広間に響いた。

* * *

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