【インタビュー記事】「宇宙一のハガネが作りたい」 既存のルールを乗り越え、技術者たちが見出した地平とは
城井映
本編
ビルの構造材、トンネルや地下構造物の補強、送電塔・通信塔、鉄道のレール、自動車の骨格、船舶の船体、発電所のタービン、石油ガスプラントの配管・耐圧容器、上下水道管、貯水タンク、工場の基礎設備。
社会の基盤を物理的に支えている「鋼鉄」が、今、更なる次元へと静かに足を踏み入れようとしている。あまりにも関心を持たれることのない大革新、その全容を
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──平峰製鉄が生み出した新技術とは、一体どういったものなのでしょうか。
ものすごく簡単に言えば、とても軽量で丈夫な金属結晶構造です。少なくとも、地球重力下の自然現象によって、この結合が変化する可能性は限りなくゼロに近いという試算が出ています。例え地球が爆発を起こそうと、その金属構造体──iSteelは一切の傷なく、形状を保つということです。
──凄まじいスペックですね。つまり、そのiSteelという素材を使って宇宙船を作れば、われわれの子孫はいつか来る太陽系の破滅を生き延びることができる。最もわかりやすい形で全人類の生命を救う技術なのですから、これほど決定的なイノベーションはそうありません。では、一体どのようなインスピレーションをもとに、平峰製鉄の技術者たちはiSteelという世紀の発明に至ったのでしょうか。
よくある話で恐縮ですが、切欠はちょっとした気づきでした。当時、私の読んでいた小説に「二角形」が登場したのです。
──二角形ですか?
はい。二角形です。……今、具体的に想像しようとして、失敗したのではないでしょうか。二角形とは、二本の線分が端点で連結してできる閉じた平面図形を意味しますが、二本の線をどう用いても閉じた平面は形成できません。そのため、古典幾何学の時代から多角形の線分はn≧3であることが条件とされてきた。ユークリッド幾何的にも、ベクトル的にも、トポロジー的にも、二角形は存在し得ないのです。
──二角形は存在しない。その気付きが、どのように強靭な鋼材開発につながったのでしょうか?
いいえ、その時の私はまだ気付きに至っていません。二角形に出会っただけです。そう、二角形に出会ったのです。どうして私は、二角形に出会えたのでしょうか? 私は少し考え、ひとつの結論を得ました。それは、小説がそれ自体では空間を持たないということです。例えば、今皆さんに読んでいただいているこの文章自体に私たちは存在せず、これを読んだあなたの意識の中に、私たちの声が、居住まいが、身体が、再現されているにすぎない。いわばそうした文学的な空間を生み出すために、言語には文法というものがあり、その法則内ではあらゆるものが存在を許されるわけです。摂氏百度のしたアイスクリーム。老後の青春。生きる屍。輝かしい暗闇。二角形──いかがでしょう、こうして語ってみると、われわれは途端に二角形の存在を許容できるのです。
──なるほど。定義を拡張し続ける数学と、自由闊達な文学との、決定的な違いということでしょうか。では、その気付きがどのようにインスピレーションへつながったのでしょう?
いいえ、私は数学と文学の差異を見出そうとしたわけではないし、また、この事実自体は気付きではありません。しかし、既に材料は出揃っています。今のあなたにだって、もう気付くことができるはずです。私たちは二角形を見ることができる、と。
──(間)すみません、考えてみたのですが、私にはとてもわかりません。どう想像を巡らせても、二角形は不可能としか思えません。
そうですか。しかし、それが普通なのだと思います。そうと気づけたのは私が職業柄、日々金属結晶の分布と格闘し、
──一体、何に気がついたのですか?
私たちは小説の中にいるということです。
──(間)ああ、なるほど。確かに、この文章が掲載されているのは……(間)いえ、申し訳ありません、動揺してしまいました。ただ、ええと、私たちが小説の中にいるのであれば、一体、どういうことになるのでしょうか?
そうですね。ペンはありますか? ……ありがとうございます。
(猪山さんはスタッフからペンを借り、企画書の端に何かを書く)
──こ、これは……二角形、ですか?
はい、二角形を書きました。書き方は簡単です。三角形からひとつ辺を減らせばいい。一度これを見たなら、あなたにも書けますよ。
──(二角形を書く)た、確かに……しかし、どうして? 今まで一度も見たことがなかったのに、私はなぜ、これが二角形だとわかったのでしょうか?
ここが小説だからです。小説だから、二角形が存在しうる。恐らく、一瞬後には忍者がこのインタビューを襲撃する可能性だってあるのでしょうね。この小説はお行儀よく進行しているようですから、その心配はないでしょうが。
──はあ。とんでもないことになってしまった、という感覚です。小説の主人公である私たちが、ここが小説であると自覚してしまった以上、ここからのお話は、メタフィクションということになってしまうのでしょうか。
さあ、どうでしょう。私たちに「
──インタビューを続けるのですか?
続けないのですか?
──続ける意味があるでしょうか。ここが小説だというのなら、全てが何でもありということになってしまい、何の面白みもなくなってしまいます。
そうでしょうか。あなたの発言は、小説は何でもありで成立してしまうために、何の面白みのないというように聞こえました。であれば、なぜ小説というものが存在して、これほど多くの書き手が存在しなくてはならないのでしょうか。
──(間)わかりません。急に何もかも自信がなくなってきました。(間)とにかく、続けてみるほかないようです。
ありがとうございます。
──二角形をきっかけに、ここが小説だと気がついた後、あなたはどうしたのですか?
自分の領分、つまり製鉄において同じようなことができるのではないかと考えました。鉄原子は「体心立方格子」と呼ばれる立方体構造で金属結合を行い、金属結晶を作っています。温度が上がると「面心立方格子」と構造が変わりますが、立方体であることは変わりません。あえて簡略化して言えば、金属としての鉄をちぎってちぎって、一番小さな形までちぎりきると、各頂点に一つずつと中央に一つ、計九個の原子を配置したサイコロ形のユニットになるということです。まあ、鋼の場合、ここに炭素原子が入ってきたり、焼入れ方で結晶の分布が変わったりと実際はもっと複雑ですが、今回は一般向けのインタビューということで、このような簡単な整理とさせてください。
──鉄の最小単位は原子九個のサイコロ状ですね。
はい、原子九個で構成された、六つの面からなる六面体です。さて、平面の図形で最小単位は三角形ですが、立体の図形の最小単位は四つの面からなる四面体です。三角錐とも言いますが、四面サイコロという方が想像しやすいでしょうか。1から4までの数字しかないものです。まずは、ここを目指すことにしました。
──ここを目指すとは?
鉄の最小単位を原子九個の六面サイコロから、原子五個の四面サイコロに加工することです。
──ええ? 物理的にそれは不可能なのではないですか?
いえ、技術的には可能です。まさにダイヤモンドなどは炭素原子が正四面体の構造が繰り返された網目状の構造をしていますし、閃亜鉛鉱における亜鉛のように金属中心に四面体配位を取る例もあります。
──なるほど。つまり、四面体の鉄を作ることができれば、ダイヤモンドに匹敵する硬さを持つ金属ということになると?
当然、同じだけの脆さ(打たれ弱さ)になるので、弊社で最も取り扱いの多い鉄鋼材や車のボディ素材には向きません。切削用の工具や研磨剤として使うにも、人工ダイヤモンドの方が良いでしょう。商品価値は未知数です。ただ……私はやってみたかったのです。「二角形」を見た時と同じような衝撃を世界中の人びとに与えたい。その一心で研究費を申請しました。取締会は反対が過半数のようでしたが、技術者上がりの社長はこの研究の意義を理解して、ほとんど独断でゴーサインを出してくれました。私の周りでも疑問視する声が多かったため、あの時の判断には本当に勇気づけられました。
──チームの中でも意見が割れていたんですね。
そうですね。ただ、結局、彼らも技術者ですから、社長がOKというのであればとことんやってやろう、と腹を括ってくれました。このような技術的な転換は他の日本の大きな企業では難しかったと思います。ロマンを追い求めるような方策ですからね。
──四面サイコロでできた鋼鉄を作ろう、という前人未到の発想と決断……その結節点として「ダイヤスチール(DS)」として商品化に至るわけですが、この開発で最も苦労した点は何でしょうか。
全ての研究に言える話かも知れませんが、限られた開発設備の中で実現することです。四面体化の手法自体、いくつも候補があがっていく中、現実的に試せる手段は限られていきます。それに、通常業務の傍らで行っていたのであまり時間をかけるわけにもいかない。なんというか、日常生活の傍らで飼育の難しい動物を飼っているような、そんな日々でした。
──そんな地道な日々が実を結び、ダイヤスチールが完成したのですね。
そうですね。ただ、ある日突然、完成したわけではなく、サンプルにおける四面体の占める割合を少しずつ増やしていくような研究だったので、できたぞ! という高揚もなく、商品化できる域まで来たので「まあ、しようか」という温度感で出ました。世間の受け止め方も、ダイヤモンドの代替手段ができたな、くらいの反応だったと記憶しています。
──画期的な発明であったにも関わらず、あまり広く知られることはなかったように思います。チームの空気が落ち込んだりなどはなかったのでしょうか。
ありませんでしたね。ある時期から、この調子でいけば、ほぼ四面体で構成された鋼鉄はできる、という確信があり、その先のことばかりを考えていました。なのでどちらかというと、「ようやくこの先に進める!」という興奮の方が大きかったように思います。ご存知の通り、三面体構造を最小ユニットとした金属です。
──二角形のことを聞いた今ならば、三面体構造が現れる道筋がはっきり理解できます。三面体とは、数学的にも物理的にもありえない、三つの面だけで構成される閉じた立体のことですね。三面ダイスというものは存在しない。
はい。本来なら──というのは「小説でなければ不可能」という意味合いにおいてなのですが、二角形が存在する理屈で、三面体も十分に可能でした。二角形を書くのと同じく、六面体を四面体に減らしていく延長で、そのまま三面体にしてしまえばいい。頂点が減る分、原子同士の結合はシンプルになるはずですが、それ自体、人間の認識ではイメージが困難であるという複雑性によって強固な結合が実現し、DSと同じ強度を持ちながら、ハイテンと同程度の靭性を持つ鋼鉄が完成しました。
──その三面体構造を持った鋼鉄ですが、商品化には至っていませんね。
そうですね、平たく言えばコストの問題がありました。六から四に減らすより、四から三に減らす方が圧倒的に時間がかかるのです。そこで、私たちは製造した三面体構造の鋼鉄を用いて、四面体構造を二面体構造に切断する工具を開発しました。そちらの方が遥かに低コストで、三面体鋼鉄を上回る強度の鋼鉄を作ることができたのです。原子の二面体構造を持つ鋼鉄ということで、安直ですが「
──四面体をカットして二面体に。ここまでくると、ただ言葉の上、表現としてそういうものだと納得していくほかないですね。しかし、DVS以降の新素材は今回のiSteelに至るまで長い間発表されてきませんでした。
はい、ここで私たちは完全に暗礁に乗り上げてしまいました。二面体から一面体へと移る方途を見失ってしまったのです。
──ここまでの理路でいえば、二から一に減らすだけ……となりますが。
はい。私たちはそう考え、四面体から二面体を切り出すメソッドから着手しました。しかし、これが全然うまくいかない。それは「四」も「二」も複数であり、複数という枠組みだからこそ成立していた手法だったからです。しかし、一面体はそうもいきません。「一」は単数であり、要するに一面体とは一粒の鉄原子と同義なのです。
──一面体は一原子。なるほど。二面体までは二つ以上の原子の結びつきのバリエーションだったものが、ここでその多様性を失ってしまったのですね。
結合していない単一鉄原子を「新しい種類の金属です」とお出しするわけにはいかない。それに、鉄の自由原子は自然界にこそ存在しませんが、超高温下で金属鉄が蒸発するときや、絶対零度下での真空中など、短寿命ながら観察されたケースは報告されています。ある意味では、私たちがチャレンジを始める前から、一面体構造の鉄というものは存在しているのです。
──つまり、数学的に三角形・四面体が最小であるのと同じように、金属の構成単位としては二面体が最小単位である……という結論になってしまったと?
実際、そう思えます。私たちも、鋼鉄の果てまで来てしまったんだ、と少し感傷的に話し合っていました。二面体構造を持つ鋼鉄こそ、最強の金属で、私たちはそれを作り上げた。しかし、そこに部下のひとりが「待った」をかけました。彼はこう言いました。「僕たちは既存のルールを乗り越えて新たな領野を開いてきた。しかし、今、僕たちは『新たに作られた既存のルール』に縛られてしまっているではないですか!」
──新たに作られた既存のルール。一種のパラドックスのように響きますが。
しかし、彼の言うことはわかります。これまで縛られていた古いルールを抜け出すために見出した画期的なルールでも、またそれに縛られてしまっては旧来と変わりません。それに私自身、ずっと二面体が結論である、という言説にしっくりきていませんでした。第一、二より一の方が締まりがいい。私がそう言って彼の肩を持ったところ、共鳴してくれるメンバーが何人か現れ、DVSの開発とは別の小規模なプロジェクト《iSteel》として立ち上がりました。《i》は虚数のiですね。「平方数がマイナスになる」という、それまでの数学の常識に穴を穿ち、広大な領野を示したこの概念に、私たちが向かう先をなぞらえました。
──その研究の成果が、地球の爆発にも耐えう金属として結実したのですね。では、暗礁に乗り上げた地点から、どのように世紀の発見まで至ったのでしょう。
「二」から「一」への飛躍を可能にしたもの。それもまた、ひとつの気付きがきっかけとなって発見されました。
──(間)今、私たちが話をしている空間が小説であるという以上のことが、また出てきたりしますか?
そう身構えなくとも大丈夫です(笑)。この気付きはごく一般的といえる範疇ではあります……まあ、ここが小説であることに比べれば、ですが。切欠は、その部下が『ペンギン・ハイウェイ』を読んだことでした。
──『ペンギン・ハイウェイ』……
はい。この作品には「世界の果て」に関する、主人公の小学生とお父さんとの会話があります。お父さんは「世界の果ては遠くない」と言います。世界の果ては外側にばかりあるものではない。今、会話している父子の間にも、実はワームホールが出現しているのかも知れない。そうだとしても、本当に一瞬のことだから、気付いていないだけで……。
──ワームホール、ですか?
ワームホールや別宇宙の存在は、アインシュタインが既に理論的に予想しています。「アインシュタイン・ローゼン橋」と呼ばれるものですね。この宇宙ではない別の宇宙があることは、ある程度、予測が立てられている。宇宙の果ては光速度以上の速さで広がっているため、絶対に辿り着くことはできませんが、別の宇宙の存在を前提とすれば、果てというものはどこにあってもいいのです。
──確かにSF的な思索として、面白いものがありますが……(間)その一節がどう、一面体の成立に繋がっていったのでしょうか?
その話を聞いて、私たちは気が付きました。一面体の「一」、その裏側に別の宇宙があってもいい。仮に、原子核サイズの無数のワームホールで、別の宇宙にある鉄原子と結合している鉄原子があっても、私たちは「一」と認識するしかないだろう、と。
──別宇宙の原子と結合した原子! まさか、そんなことが可能だったのですか?
はい。むしろ、私たちは二角形を書いた時からずっと、別宇宙を利用してきたのです。二角形、三面体、二面体。その認識のギリギリを掠める不可解な形状は、位相を異にした空間を拝借することで実現してきた。先ほど書いた二角形も、あるべきもうひとつの頂点が別宇宙に委託されることで成り立っている。世界の果てはここにあり、そこにもあり、どこにでもあるのです。
そうとわかってしまえば、後は何のこともありません。ただ、無限に生成しては消えてゆくミクロなワームホールを介し、二つの宇宙を股にかけた二面体を作ればいい。この宇宙にいるわれわれから見れば、それこそ、ただの一原子ではない、確かに立体構造である「一面体」といえるのです。
こうして、私たちが培ってきた技術を総動員して開発されたものが一面体鋼鉄「iSteel」なのです。別の宇宙の原子と結びついているがゆえに異常なまでの安定を示し、こちらの宇宙のどのような作用によって揺らぐことはありません。
──一見、何の変哲もないあの金属に、そのような超越体だとはとても信じられません……しかし、完璧な金属であるiSteelを一体、どのように加工するのですか?
加工を行う時は両宇宙をまたいだワームホールの中で行います。これはアメリカの素粒子実験設備を借りて行っているため大変なコストがかかっていますが、幸い、AIが発展していますから、近い未来にはiSteelの完全自動生成技術も確立し、大きくコストダウンできる見込みです。
──別の宇宙、ミクロなワームホール、一面体……ただ、ありふれた金属である鉄に関するインタビューになると思いきや、ここまで遠くまで来てしまうとは。
私も、ただ「鉄」という元素が好きだという気持ちだけでやってきましたが、まさか、宇宙を相手にすることになるなんて思いもよりませんでした。
──実際、二角形の気付きをすぐさま鉄の構造に応用できると直感できてしまうほど、猪山さんの情熱は桁外れであると感じました。最後に、常識すら飛び越える、その想いの源泉についてうかがってもよろしいでしょうか?
「ドラゴンクエスト」です。
──(間)ドラゴンクエスト、ですか?
はい。だいたい物語が中盤差し掛かったくらいに「鋼鉄の剣」って出てくるじゃないですか。あれを手に入れると、とてもワクワクするんですよね。あの瞬間がとても好きで好きで……それ以来、鋼鉄の虜です。
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iSteelの開発により、ブラックホールの重力に耐え、事象の地平を超える宇宙船がデザインされる未来もある。iSteelは文字通り、宇宙を股にかける可能性を秘めており、生産業界に留まらない数多の分野から注目が集まっている。
【インタビュー記事】「宇宙一のハガネが作りたい」 既存のルールを乗り越え、技術者たちが見出した地平とは 城井映 @WeisseFly
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