傭兵残酷物語
熊吉(モノカキグマ)
:第一章 「傭兵稼業」
・1-1 第1話 「相棒との出会い」
目が覚めると、うららかな春の心地よい晴れ空が広がっていた。
冬の
そしてその中を、名前も知らない小鳥のつがいが、仲睦まじく、ツピピピピ、と
息を吸う。
現実に引き戻される。
鉄錆びの入り混じった生臭い空気。
その慣れ親しんだかおりが、ヴォイチェクに、自身がどこにいるのかを思い起こさせていた。
戦場。
万と万の軍勢がぶつかり合い、多くの兵士が命を落した場所。
オーゼ王国の南方の国境地帯。
敵は[帝国]と呼ばれていた。
正式名称は長ったらしくてヴォイチェクは覚えていない。
傭兵にとっては、雇用主の命令に従って戦う。
それがすべてであって、どこで誰を相手にするのかをアレコレ考えるのは、脳の容量の無駄遣いだ。
戦って、生き残って、対価を得る。
そのことにすべての心血を注ぎこむ。
そうしなければ、簡単に。
すぐそこで息絶えている、名も知れぬ
獣人。
よく見かける、人間族と共存している犬の姿をした亜人種、
元々白い毛並みだったようだが、今は血と泥にまみれて、元の姿を想像しづらい。
恐怖で見開かれた眼がやけに印象に残る。
ああ、なんという悲劇だろうか。
時の権力者によって住んでいた村から徴集され、
何日も何か月も歩かされて、今は何も感じることのできない身体になり、血が入り混じった赤い水たまりに半ば沈んでいる。
もしかしたら、故郷には彼の帰りを待っていてくれる家族がいたかもしれないのに。
あるいは。
ヴォイチェクのように、天涯孤独の身だったのだろうか。
戦闘が始まった時は、雨が降っていた。
騎竜兵の襲撃を恐れて、王国側の魔法使いが天候を操作したのだろう。
雨の勢いは急速に強くなり、その下にいた者はあっという間にぐしょぬれになった。
飛んでくる矢の軌道と水滴が入り混じり、見極めにくくてずいぶん難儀させられた。
勇ましい雄叫びと、断末魔、馬の
今は
周囲に生きている者は見られない。
平原、無数の足跡によって掘り返され、雨でぬかるみ、無数の水たまりの出来たそこに、数百、数千の遺体が転がっている。
雄々しく
戦闘が終結してから、さして経っていないだろう。
天候はすっかり変わっていたが、自身の衣服がまだずっしりと
今なら、自分を雇っていた部隊に追いつけるだろう。
(早く、行かねぇと……)
今日の分の給料をもらいそびれてしまう。
そう思ったヴォイチェクは起き上がろうとしたが、———できなかった。
下半身が、雨のせい以外の理由でずっしりと重く、動かせない。
首だけを動かして見る。
そこには巨大な馬の死骸があり、自身の上にどっしりと乗っかっていた。
「……ああ。
そうだった」
両手剣(ツヴァイハンダ―)を振り回し、突き出される無数の
無我夢中で帝国軍の戦列を突き破った時。
温存されていた騎士の集団が、
まだ前線では味方が戦っているのにもかかわらず、その背後から。
崩れかけた戦線を押し戻し、押し返して逆襲するために、敵軍はとっておきの予備戦力を惜しげもなく投入したのだ。
その後のことは、あまり覚えていない。
とにかく、
このままでは、どうにもよろしくなさそうだ。
血の流れが馬の重みで悪くなっているのか両足に痺れのような感覚があったし、全力で踏ん張ってみても上半身だけでは抜け出せそうにない。
そうなるとヴォイチェクの運命は定まって来る。
ここで挟まったまま干からびて死ぬか、遺留品を集めに来た近隣住民に見つかって殺されてしまうか。
助けてもらえる可能性は低いだろう。
なにしろ戦争によって人々は苦しめられている。
物資を徴発され、時には略奪されて。
そのうえ、巻き添えで家を焼かれ、田畑を踏み荒らされ、生業を滅茶苦茶にされた。
その恨みはまさに
特に思うところが無かったとしても、自分達が飢えている状況では、こちらに手を差し伸べてくれる余裕はない。
取れる物だけ取って、後は見捨ててしまうのが手っ取り早い。
「死んでたまるかよっ!
こんな、こんなところで……! 」
あがいてみるが、やはり、自身の下半身に乗っかっている馬の死骸はどうにもならなかった。
救世主があらわれたのは、そんな時だ。
「お、お前は!
……ええっと。
あ~、大丈夫か? おい」
何かに驚き、少し迷ってから声をかけて来た兵士は、ヴォイチェクと同じか少し年上くらいの若者。
全身に毛が少なく、耳も短い。
人間だ。
二十歳になるかならないかといったところだろうか。
どこか親しみやすい高めの声の持ち主で、面長の顔立ちを持ち、兜の下からぎょろぎょろと活発に動く
身なりからいって、同業だろう。
いかにも拾い物、使い回し、といったふうな錆の浮かんだ鎧をチュニックの上に身にまとい、
後はナイフがあるだけで、武装は少ない。
戦闘で失ったか、最初から持たされていなかったのだろう。
悪人には見えなかった。
いや、大抵の人間はどちらかといえばそれなりに善人である場合が多いのだが、こんな戦場で出会ったのにしては、表情から害意や敵意を感じない。
もう戦闘が終わっているからなのだろうか。
散々目にして来た、死の恐怖を
ヴォイチェクは少し考え、助けを求めることにした。
自分を殺すつもりならとっくにそうしていただろうし、他に生き残るアテも無かったからだ。
「身体が、動かないんだ。
馬のせいで。
よかったら、その
「……お、おう。
任せな! 」
その名も知らない兵士はうなずくと、すぐに救出作業に取り掛かってくれた。
馬の下に
「持ち上げるから、なんとか這い出せ!
そーぉれっ! 」
「ふんぬっ! 」
全身の力を
「ああ、助かった!
どうも、ありがとう」
「いいってことよ。
このくらい」
血なまぐさい水たまりを避け、並んで座り込んだ二人はそう言って顔を見合わせる。
その時、ぐぅ、と、ヴォイチェクの腹が鳴った。
安心するとそれまで気にならなかったことが急に主張して来る。
「はは!
そら、これをやるよ」
すると、助けてくれた兵士は身に着けていた麻袋からパンを取り出し、半分にちぎって手渡してくれた。
「いいのか? 」
「ああ!
へへ、どーせこれは拾いもんだ。
遠慮するなよ、皇帝陛下からの
討ち死にした帝国兵からくすねて来たものであるらしい。
「へぇ、白パンか。
さすが、帝国はいいものを食ってるんだなぁ」
こちらは麦を殻ごと
あちらは実の芯のところだけを使った、
そのことに感心しながら、ヴォイチェクは
「うん、うまい」
「へへ! だろう? 」
場所のせいか、それとも拾ったものであるせいか。
口の中に上質な麦の風味と共に血の味も広がったが、特に気にならない。
空腹が最上のスパイス、という奴だ。
そして二人は半分ほどそれぞれのパンを食べ進めてから、唐突に思い出したかのように右手を差し出し、握手を交わしていた。
「俺はヴォイチェク。
あらためて。
助けてくれて、ありがとう」
「おう。オレはゴットフリートっていうんだ。
大げさな名前だろう? ただの羊飼いの子なのにな。
ゲッツって呼んでくれ」
こうして。
ヴォイチェクとゲッツは、出会った。
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