私たちは主役

西野 夏葉

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「ごめん、もう一回言ってくんない」

「分かった。――解散したいの」

「もう一回」

「そろそろ怒るよ」



 不毛なやりとりで心変わりさせようと思ったけれど、美紗みさの意志は固いらしい。突然あらわれた糸のほつれは少しずつ広がり、ちょうどあたしと美紗の中間地点から裂けてゆく。


 あたしが中学からの友達である美紗とともに、二人組音楽デュオ「ステラロール」を結成したのが高校一年生の冬。あれから時が経ち、互いに大学四年生になるまで続けられたのは奇跡と言ってもいい。

 美紗はともかく、あたしは自他ともに認める飽きっぽさを自分の中に飼いながらも、ステラロールと、美紗のことだけは捨てなかった。何人もの子が通り過ぎてゆく中、ずっと傍にいてくれた美紗と一緒にステージへ上がることが幸せだった。


 そんな中、ステージを降りる決断をしたのは、あたしではなく美紗だ。当然、あたしは素直にそれを受け入れられなかった。



「回答者の永瀬ながせさんは、なぜそう思われますか」

「なんでクイズ番組の司会みたいな口調なの?」

「おちゃらけてないと頭おかしくなりそうなの。なんで美紗がそんなこと言うのか分かんない。すっごくいい感じに進んできてるのに」



 ステラロールの活動は、結成当初こそ全くの泣かず飛ばずだったが、あたしがYouTubeやInstagramを使った配信を持ちかけてから、少しずつ認知が広がっていった。YouTubeチャンネルの登録者数も伸びて、いい副収入と呼べる程度の収益も得られるようになってきている。


 ただし美紗は最初の頃、ここまで事が大きくなるとは思っていなかったらしく、基本的にはぶつかり合わなかったあたしたち二人がはっきり「喧嘩した」と認識している出来事も、これに関する話題がきっかけだった。

 せいぜい夜の商店街のアーケードで歌う程度だと思ってた……と言う美紗と、どうせなら一人でも多くの人に聴いてもらわないでどうすんの……とするあたし。このとき、最終的には美紗があたしの熱意に折れてくれた格好で終息したのだ。


 美紗はゆっくりと、言葉を噛み締めるように話し始めた。



「これ以上進んだら、戻れなくなる」

「うちら、悪いことなんかしてないじゃん」

「私もそうだけど、麻以まいも来年は社会人なんだよ? 仕事しながら音楽活動なんて、きっと無理だよ」

「行動する前から決めつけるのって、美紗の悪い癖だと思う。やってみなきゃ分かんないじゃん」

「世間で大成しているアーティストって、たいてい途中からは仕事を辞めて音楽活動一本になってるんだよ。私はステラロールのことも好きだけど、それ以上に、やっと掴んだ夢のチケットを簡単に捨てたくないの」



 大学卒業後の進路は、あたしが広告代理店、そして美紗は航空会社のキャビンアテンダントに決まっていた。美紗が中学の頃から「CAになりたい」と言っていたことを、あたしもよく知っている。そのために特に英語は頑張っていたし、ステラロールの曲の詞は、英語詞も含む全てが美紗の書いた歌詞だ。


 でも、美紗にとっての「夢のチケット」と同じで、あたしは「面白くないけど悪くもないだろう」と思っていた未来に垂らされた、蜘蛛の糸を手放したくない。

 それこそがステラロールであって、あたし一人だけでステラロールは成立しないと思った。だからこそ、あたしはなんとか美紗を説得したかったのだ。



「だいたい、私は入社してからすぐ研修で缶詰めになるし、麻以もそうでしょ」

「休日に会って練習すればいいじゃん」

「麻以の配属がとんでもなく遠くだったらどうするの」

「それでも美紗に会えるなら、あたしは会いに行くよ。どこまででも」



 混じりっけのない本心だったけれど、美紗はあたしの言葉を聞いた瞬間、心底がっかりしたような表情を一瞬だけ浮かべた。

 他の人なら見逃してしまう微かな変化だったけれど、あたしは同級生として、そしてステラロールの相棒として、美紗のことを何年も一番近くで眺めてきた。



 だから分かる。


 美紗の気持ちがついに、暗い階段を一歩ずつ下り始めたことを。


 その背中を最後に押したのが、今のあたしの言葉だったことを。



「――麻以はもう少し、私を信じてくれていると思ってたよ」



 話は終わった……と言わんばかりに、美紗は鞄を肩にかけると、振り向きもせずに部屋を出ていった。あたしは何も声を掛けられなかった。


 ひとりぼっちの部屋で、テーブルへ描かれた木目を見つめていると、急にそれがぐにゃぐにゃに歪む。

 一雫、涙が頬を伝ったかと思うと、雨が降るみたいに次々と尾を引き始めた。

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