着ぐるみの国は、ここ 。~商店街の小さなステージに現れた恐竜たちは、もう一つの世界からやってきた“本物”だった。~

近藤良英

第1話

〈主要登場人物紹介〉


まい/マコ・・・


商店街の司会アイドル。正体はヴェロキラプトル系ヒューマサウルス。


十年前に人間界へ誘拐され、記憶を失っていたが、歌をきっかけに本来の自分を取り戻す。




ハルヒコ・・・


サウルスエージェンシーの社長。ティラノサウルス系ヒューマサウルス。


まいの保護と闇王の追跡を続ける誠実な男。まさ男の父。




タマエ・・・


ハルヒコの妻で人間。恐竜界と人間界の橋渡し役。


芯の強い女性で、ハルヒコと息子を支える。




まさ男・・・


ハルヒコとタマエの息子。ティラノサウルス系ヒューマサウルスのハーフ。


無邪気で勇気ある性格。まいに懐いている。




阿部祐太朗博士・・・


時空物理学者。十年前に記憶を失ったまいを保護し、


人間界と恐竜界のパラレル構造を研究している。




ハクト・・・


恐竜界のロック歌手でマコの父。娘を十年間探し続けていた。




闇王・・・


恐竜界と人間界を行き来する闇商人。


ヒューマサウルスを誘拐し、労働力として売り飛ばしていた。


琥珀色の瞳を持つ謎の存在。






第1章 商店街のアイドル・まいちゃん


「おまたせ〜! みんな元気だった? ぎゅっと仲良しハッピーまいちゃんだよっ!」


その声がスピーカーから弾けると、アーケードの天井に吊された旗がぱたぱたと揺れた。


ここは、池袋から東部東城線で三駅目にある巨大な商店街――犬山ハッピーロード。


全長五百六十メートル、二百を超える店がずらりと並び、週末には親子連れやお年寄りで通りが埋まる。


真ん中にある小さなイベントスペースでは、毎週日曜日、午前と午後にそれぞれ着ぐるみショーが行われていた。


司会進行を務めるのは、商店街公認アイドル・まいちゃん。


ライトブルーのミニドレスに白いフリル、きらきら光るリボン。


三十歳を過ぎた今も、あどけない笑顔と声のトーンは昔のまま。


そのアンバランスさが、かえって愛らしいと評判だった。


今日の主役は、SNSで話題の恐竜タレント事務所「サウルスエージェンシー」からやってきた恐竜たちだ。


皮膚の質感、光沢、動き、そして「〇✖▽■」という不思議な鳴き声――


まるで本物の恐竜が商店街に迷い込んだようだと評判になっている。


「さあ、つぎはティラノサウルスのまさ男くん、登場です!」


まいがマイクを掲げると、歓声がどっと上がった。


舞台の袖から、青いTシャツに黄色のショートパンツ姿の小柄な恐竜がぴょこんと現れる。


身長は百十センチほど。顔はごついが、つぶらな目が妙に愛嬌を漂わせている。


観客の子どもたちは、すぐにその丸っこい手を見つけて笑い声を上げた。


「▽■×〇!」(こんにちは!)


意味は誰も分からないが、元気な声にみんなが笑顔になる。


まさ男は、舞台の中央で仰向けになり、ぷっくりしたおなかをぽんぽんと叩く。


「さあ、みんな、なでてごらん」と言わんばかりに手を広げると、子どもたちが次々に近寄ってきた。


おなかをさすられるうちに、まさ男はだんだんまぶたを閉じ、最後には「ぐおーっ」といびきをかいて寝てしまう。


単純な芸なのに、会場は爆笑と歓声で包まれた。


「まさ男くん、かわいいねぇ。ひょうきんな子だねえ」


まいがマイクを外して、そっとその頭をなでた。


恐竜の皮膚は、まるで本物のようにぬるりと冷たく、妙に生々しかった。


午後の部のショーが終わると、観客たちは次の買い物へと散っていった。


子どもたちは「またねー!」と手を振り、まいとまさ男も笑顔で手を振り返す。


まいは汗をぬぐいながら小さく息をついた。


「今日もよく笑ってくれたなあ……」


イベントスペースから五軒ほど離れたスーパー「トモディ半田」の二階には、


商店街振興組合の事務所がある。そこが着ぐるみたちの控室兼更衣室だ。


いつもならショーが終わると、タレントたちは着ぐるみを脱ぎ、缶コーヒーを片手にまいと談笑する。


煙草の煙と笑い声が漂う、どこか昭和の楽屋のような空気。


ところが、この日のまさ男は違った。


控室に入るなり、まいに一礼して、


「●▽」(じゃ)と短く言うと、そのまま出ていってしまった。


「……え、もう帰るの?」


まいは呆気にとられた。


ペットボトルの水も手をつけず、休む間もなく出て行く。


そういえば先週のトリケラトプスのナギトワも、終わるとすぐ帰ってしまった。


まいはため息をつき、冷たい缶コーヒーを開けた。


ぷしゅ、と音がして、わずかに甘い香りが漂った。


「最近の子たちは、せっかちだなあ……」


窓の外には、夕暮れのアーケードがオレンジ色に染まっていた。


お年寄りが買い物袋を抱えて歩き、遠くで救急車のサイレンが鳴る。


このあたりは病院が多く、老人が安心して暮らせる町だと聞く。


まいは、そんな静かな日常が好きだった。


一方そのころ、事務所の出口では、


まさ男のマネジャー・ハルヒコが、振興組合の会長から出演料の封筒を受け取っていた。


ハルヒコは七三分けに丸眼鏡、ダークスーツにネクタイという几帳面な出で立ち。


恐竜ショーのマネジャーにしては妙にまじめそうな男だ。


「来週の日曜も頼むよ、ハルヒコくん」


巨人の帽子をかぶった小柄な老人――会長が念を押す。


「ええ、もちろん。ハッピーロードの皆さんにはいつもお世話になってます」


ハルヒコは丁寧に頭を下げ、事務所をあとにした。


外では、数人の子どもたちがまさ男を待っていた。


お菓子やジュースの入った袋を手渡すと、まさ男は嬉しそうに両手で受け取る。


「▽■×〇」(ありがと)――恐竜語が響くと、子どもたちは真似して笑い転げた。


言葉は通じなくても、気持ちはちゃんと届く。それがまさ男の魅力だった。


***


そのころ、スーパーの裏手の駐車場では、


レトロなワーゲンバス――いや、「ワーケンバス」と呼ばれる一台の車が待機していた。


ボディの下半分は水色、上半分は白。フロントにはなぜかピンクのペンツのエンブレム。


窓ガラスは真ん中で二つに分かれたスプリット式で、どこか懐かしい昭和の香りがする。


まさ男とハルヒコが車に乗り込む。


ハルヒコが左ハンドルに座り、クラッチを踏み込むと――


その足が一瞬、変わった。


皮が厚く、爪のある足。まるで恐竜のような足だった。


そう。ハルヒコは人間ではない。


彼はヒューマサウルス――人間界と並行して存在する恐竜界からやってきた、恐竜人間だったのだ。


後部座席には、ステゴサウルス系のステ吉と、ユタラプトル系のユウ太が座っていた。


「どうだった、今日のステージ?」


「▽■×〇」(たのしかった)とまさ男。


ステ吉はセロリをかじりながら笑い、ユウ太はソーセージをかじる。


三人の姿はまるで家族のようだった。


ハルヒコがアクセルを踏み込むと、エンジンが唸り、


夕暮れの川越街道をワーケンバスは滑り出す。


赤く染まる空に、光が揺らいだ。


次の瞬間、車体は音もなく消えた。


ビシュッ――ワープしたのだ。


彼らの行き先は、恐竜界。そして、もう一つの“真実”が待っていた。




________________________________________


第2章 恐竜たちの帰り道


ワーケンバスのエンジンが静かに唸りを上げ、空気が揺らめいた。


あたりには誰もいない駐車場。ひとつ前の瞬間までそこにあったはずの車体が、


ビシュッ、と音を立てて空間から消えた。


次に姿を現したのは、薄い紫色の空が広がる別の世界――恐竜界だった。


地平線の向こうまで緑の草原が広がり、二つの太陽が赤と金の光を放っている。


遠くには奇妙な形の高層都市がそびえ、空を滑るように飛ぶ翼竜型の乗り物がいくつも行き交っていた。


「ふぅ……無事に帰ってきたな」


ハンドルを握るハルヒコが、安堵の息を吐いた。


助手席のまさ男は、顔を窓にぴたりと押しつけて外を見ている。


「▽■×〇!」(やっぱり、こっちの空がいちばん!)


その声を聞いて、後部座席のステ吉とユウ太がくすりと笑った。


「おまえはいつも元気だな、まさ男」


ステ吉は背中の四本の角をゆらしながら、


口いっぱいにセロリをほおばる。


「今日のショー、うまくいったのか?」


「うん! 子どもたちが、おなかをいっぱいなでてくれたよ」


まさ男は胸を張って答える。


その小さな胸が、どこか誇らしげに膨らんでいた。


「いい仕事をしたな」


ハルヒコがバックミラー越しに微笑む。


「でも……どうして人間たちは、俺たちを“着ぐるみ”だと思うんだろうな」


「そのほうが安全だからだ」ステ吉が答える。


「俺たちは、ここから来たことを知られちゃいけないんだ。


 人間界には、こっちの存在を悪用しようとするやつらがいるからな」


ハルヒコは黙って頷いた。


彼の胸の奥には、長いあいだ消えない痛みがあった。


――十年前、恐竜界から一人の少女が消えた。


ヒューマサウルス界の人気ロック歌手・ハクトの娘だ。


名を「マコ」。


幼いころから歌がうまく、いつも明るい笑顔を見せていた少女。


その彼女が、突然姿を消した。


以来、ハクトは全財産を投じて探偵を雇い、娘を探し続けている。


だが手がかりはなかった。


闇に飲まれたように、マコの行方はつかめなかった。


一年ほど前、ハクトはサウルスエージェンシーを訪れ、


ハルヒコに娘の捜索を依頼した。


「どうか、マコを見つけてくれ……。彼女はまだ、人間界のどこかにいる」


ハクトの目は、涙でにじんでいた。


その日から、ハルヒコの本当の仕事が始まった。


サウルスエージェンシーは、表向きはタレント事務所。


しかし裏では、恐竜界から人間界へ誘拐されたヒューマサウルスを探し出す、


特別任務を担っている。


政府公認の捜索ライセンスを持ち、ワーケンバスには次元移動装置が搭載されていた。


この装置のおかげで、彼らは人間界と恐竜界を自由に行き来できる。


燃料は琥珀から抽出した希少エネルギー――


その淡い橙色の輝きが、今も車体の計器にほのかに光っている。


「ハルヒコさん、次はどこに行くの?」とまさ男。


「名古屋だ。ナギトワを迎えに行く」


ハルヒコがスイッチを押すと、ワーケンバスの前方に青い光の穴が開いた。


「準備はいいか?」


「うん!」まさ男が小さく拳を握る。


ステ吉とユウ太も姿勢を正した。


「出発!」


次の瞬間、車体がふたたび光に包まれ、空間をすり抜けた。


***


ワーケンバスが出現したのは、日曜の夕暮れ。


人間界・名古屋の大須商店街。


赤い提灯とネオンが交差するにぎやかな通りに、


突然古いワンボックスが現れた。


しかし通行人は一瞬驚いたような顔を見せたあと、すぐに何事もなかったかのように歩き出す。


次元移動の副作用で、目撃者の記憶は数秒で消えるのだ。


横断歩道のそばで、金髪の女性が煙草をくゆらせていた。


ピンクのミニワンピースに黒いブーツ。


背が高く、瞳の色は深い琥珀。


その横には、赤いワンピース姿の小さな女の子――トリケラトプスのナギトワが立っていた。


頭の三本の角が光を反射し、まるで王冠のように見える。


だがその瞳はどこか遠くを見ていて、愛想がない。


「ナギトワ、そろそろ行くよ」


女性が軽く声をかけると、ナギトワは無言でうなずいた。


ワーケンバスが停まると、ハルヒコが車から降りた。


「タマエ、待たせたな」


「まったくだわ」


女性――タマエは煙を吐きながら笑った。


「ワープ空間が日曜で混んでたんだよ」


「言い訳しないの。あんた、前から時間にルーズなんだから」


「……はいはい」


ハルヒコは頭をかきながら苦笑した。


まさ男が窓から顔を出し、嬉しそうに叫ぶ。


「ママー!」


「はいはい、まさ男、ちゃんと座っててね」


その声に、通りすがりの人々が振り返ったが、


次の瞬間にはもう興味を失って去っていった。


タマエは人間だ。


十年前、ハルヒコが人間界の調査で六本木を訪れたとき、


クラブで歌っていた彼女に出会った。


惹かれあうのに時間はかからなかった。


そしてまさ男が生まれた。


彼は恐竜人間と人間のハーフ――


二つの世界をつなぐ唯一の存在だった。


「そうだ、聞いたわよ」


タマエが目を細めた。


「大須の司会者のニノカンタがね、あんたに言ってた。


“犬山のまいちゃんの足が恐竜のそれに見えた”って」


ハルヒコの表情が固まる。


「……まいちゃん?」


「そう。商店街のアイドル。あんた、仕事で会ったでしょ」


「まい……まいが……?」


ハルヒコは一瞬、言葉を失った。


もしそれが本当なら――彼女は、マコかもしれない。


十年探し続けていた、ハクトの娘。


ハルヒコは深呼吸をしてから、


「ありがとう、タマエ。すぐに確かめに行く」


「気をつけて。闇王が動いてるって噂よ」


「闇王……?」


タマエの声が低くなる。


「ええ。人間界でヒューマサウルスを売り飛ばしてる闇商人。


 あいつの目にとまったら最後、生きて帰れない」


まさ男が不安げに母の手を握った。


「ママ、ぼくたち、だいじょうぶ?」


「だいじょうぶよ、まさ男。あなたのパパは強いから」


タマエは微笑み、そっと息子の頭をなでた。


ワーケンバスが再び動き出す。


まさ男が振り返ると、タマエが手を振っていた。


夕日の中で、その金髪が炎のように輝いていた。


「……行こう」


ハルヒコはアクセルを踏み込み、エンジンが低くうなった。


彼の目には、決意の光が宿っていた。


長い旅の果てに、ようやく真実へたどりつけるかもしれない。


そして、その先に待つのは――


人間界と恐竜界、二つの世界を揺るがす運命の出会いだった。


________________________________________




第3章 闇にひそむ影


犬山ハッピーロードの入口近く、古びた雑居ビルの三階に、


「マンスタッフ東京事務所」と書かれたプレートが掛かっていた。


外から見れば、どこにでもある派遣会社。


しかし、扉の奥では、まったく別の取引が行われていた。


「これが、例の“プッチ”だ」


黒いスーツの男が、机の上にドッグフードの缶を並べた。


缶の表には、可愛らしい柴犬のイラストと「無添加・グルテンフリー」の文字。


が、ここにいる誰も、それを“犬の餌”としては見ていなかった。


「おお、これだ……香りがたまらん」


椅子に腰かけていた大柄な男が、覆面の下から低く唸るような声を出した。


スーツの袖口から、灰色の鱗のような皮膚がのぞく。


その瞳は、まるで獣のように琥珀色に光っていた。


――闇王。


人間界と恐竜界を行き来し、


誘拐したヒューマサウルスを人間社会に売りさばく闇の商人。


その姿を見た者は少なく、見たとしても誰も正体を語れなかった。


彼の取引相手が、この「マンスタッフ」だった。


「闇王さん、いつもありがとうございます」


丁寧に頭を下げたのは、社長の萬まん。


四十代半ば、小太りで、常に脂汗をかいている男だ。


「こちらのヒューマサウルスも、例の会社に引き渡しました。


 清掃スタッフとして雇われるそうです。まさか恐竜だなんて、誰も思いませんよ」


萬は媚びるように笑う。


闇王はゆっくりと頷き、机の上の缶詰をひとつ手に取った。


「人間どもは、実に面白い。


 これほどの力を秘めた種族を“着ぐるみ”だと思い込むとはな……」


「まったくです。皆、エンタメだと思ってますから」


萬が同意すると、闇王は覆面の下で笑った。


「次の獲物は決まっている。犬山ハッピーロードの“まい”という女だ」


「まい? あの商店街のアイドルですか」


「そうだ。彼女はヒューマサウルスだ。しかも、特別な血を引いている」


「特別、ですか?」


「ふん……いずれ分かる。お前は、彼女を見張っておけ」


「は、はい!」


萬は背筋を伸ばし、額に汗を浮かべながら頭を下げた。


闇王は立ち上がり、外の夜景を見つめた。


窓の外では、ネオンの光が雨粒のようににじみ、


人々がスマホの光を見つめながら歩いている。


「人間どもは、情報と幻に酔っている。


 我らが支配するのは容易い……。


 この世界を“恐竜の国”に塗り替える日も近い」


闇王の声が低く響いた。


***


そのころ、ハルヒコたちは恐竜界の事務所に戻っていた。


地下深くにあるサウルスエージェンシーの本部は、


厚い金属の扉で守られた静かな空間だ。


照明は柔らかく、壁には世界地図と次元座標のホログラムが浮かんでいる。


ハルヒコは机の上に置かれた資料を見つめていた。


そこには「行方不明ヒューマサウルス一覧」と記されたデータが並ぶ。


名前、種別、消失地点――その中の一行に「マコ(ヴェロキラプトル系)」とあった。


十年前、恐竜界・渋谷地区で消息を絶った少女。


今、その名がふたたび浮かび上がろうとしている。


「……やはり、あの“まい”がマコなのか?」


ハルヒコはつぶやいた。


背後から声がかかる。


「気になるの?」


タマエがドアの前に立っていた。煙草の先が淡く光る。


「あなた、さっきからそのデータばかり見てるじゃない」


「……十年だ。彼女が本当にマコなら、もう放っておけない」


「でも、危険よ。闇王が動いてる」


タマエの声が低くなった。


「闇王は、“人間界にとどまったヒューマサウルス”を狙ってる。


 特に、記憶を失った者たちを。利用価値が高いから」


ハルヒコは拳を握った。


「だからこそ、俺たちが救わなきゃならないんだ」


その言葉に、まさ男が振り向いた。


「ねえ、パパ。闇王って、そんなに強いの?」


「強いだけじゃない。ずる賢い。


 恐竜界でも最悪の犯罪者だ。


 どんな姿をしているか誰も知らない。


 でも、あいつの目は……鋭く光る琥珀色をしてる」


まさ男はごくりと唾をのんだ。


「ぼくも、戦う」


「だめだ」


ハルヒコは即座に言い切った。


「お前はまだ子どもだ。


 俺のような戦闘免許もない。……だけど」


彼はまさ男の頭をなでた。


「お前の笑顔は、人間たちの心を動かす。


 それも、俺たちの“武器”なんだよ」


まさ男はしばらく黙っていたが、やがてうなずいた。


「うん。じゃあ、ぼく、がんばって笑う!」


その真っすぐな言葉に、タマエも微笑んだ。


「……本当に、あなたたち親子って似てるわね」


「どっちに?」


「バカなところよ」


ハルヒコは苦笑した。


***


その夜。


犬山ハッピーロードのイベントスペースでは、


まいが照明を片づけながら一人、ステージに残っていた。


昼の喧騒が嘘のように、通りは静かだった。


天井のライトが一つ、二つと消えていく。


まいは自販機でコーヒーを買い、ベンチに腰を下ろした。


――「まいちゃんの足が、恐竜のようだった」


そんな噂を耳にしたのは数日前のことだ。


自分でも理由が分からない。


ときどき、夢の中で奇妙な光景を見る。


二つの太陽。広い草原。見知らぬ街。


そして、誰かが自分の名を呼ぶ声――「マコ」と。


コーヒーの缶を握りしめた手が、かすかに震えた。


「……マコって、誰なの……?」


胸の奥がざわつく。


まるで、忘れてはいけない記憶が呼び戻されようとしているようだった。


そのとき、アーケードの向こうに人影が現れた。


黒いコート、帽子、そして覆面。


まいが顔を上げるより早く、男は静かに近づいてきた。


「やあ、まいちゃん。今日もご苦労さま」


低く、よく通る声。どこか冷たい響き。


まいは立ち上がった。


「あなた……誰?」


「私は、君の“本当の世界”を知っている者だ」


覆面の男の目が光を反射した。


――琥珀色。


その瞬間、まいの背筋に冷たいものが走った。


「あなた、何を……」


「怖がらなくていい。私は、君を元の世界へ連れて帰るだけだ」


男が手を伸ばす。


その指先がわずかに鱗に変わるのを、まいは確かに見た。


息をのむ間もなく、背後から車のライトが照らした。


「まいさん、下がって!」


ハルヒコの声だった。


ワーケンバスが急停車し、ドアが開く。


ハルヒコがまいの前に立ちふさがった。


「闇王!」


「ほう……知っているか」


「お前の相手をするのは、俺だ」


闇王が笑う。その声は不気味なほど静かだった。


「いいだろう。久しぶりに“狩り”を楽しむとしよう」


空気が張りつめる。


アーケードの光が明滅し、風が渦を巻いた。


だが次の瞬間、闇王の姿はかき消えた。


残されたのは冷たい風と、微かなドッグフードの匂いだけ。


「……まいさん、無事か?」


「ええ……でも、あの人、いったい……?」


「闇王だ。恐竜界でもっとも危険な存在。


 君を狙っている」


まいは震える手で胸元のロケットを握りしめた。


「私、何か……思い出しかけてる気がするの」


「それが君の“鍵”だ。君の正体を、確かめに行こう」


ハルヒコは、まいをそっとワーケンバスに乗せた。


エンジンが再び唸る。


その光が夜の商店街を包み、車体が音もなく消える。


そして――


二つの世界の境界を越える、さらなる旅が始まった。






________________________________________


第4章 まいの家を訪ねて


翌週の日曜日。


午後のショーが終わると、まいはマイクを置き、少し迷った末に声をかけた。


「ねえ、まさ男くんたち、今日はうちに寄っていかない?」


「えっ、いいの?」と、まさ男の目が丸くなる。


ハルヒコも一瞬、驚いたようにまいを見た。


「助かる。聞きたいことがあったんだ」


「じゃあ決まりね。すぐそこだから」


午後のアーケードは、人波が少しずつ途切れ、照明が温かく灯りはじめていた。


まいは商店街の隅に停めてあったワーケンバスに乗り込む。


助手席のまいは、初めて見る車内に思わず感嘆の声を漏らした。


「うわぁ……タイムスリップしたみたい」


シートはレトロなベージュの布張りで、計器類は丸いアナログメーター。


車内には、どこか甘い匂いが漂っていた。


琥珀を燃料にしているせいだ、とハルヒコが説明した。


車が走り出すと、まいは少しだけ窓を開け、外の風を感じた。


商店街の灯りが遠ざかり、夕暮れの街並みが流れていく。


まさ男は後部座席で、袋の中のお菓子をもぐもぐ食べながら、


時々まいのほうを見て笑っていた。


「かわいい子ね」


「まあ、やんちゃですけどね」


まいとハルヒコの間に、穏やかな空気が流れた。


まいは心のどこかで不思議な懐かしさを感じていた。


まるで、何年も前からこの親子を知っていたような気がする。


――どうしてだろう。胸の奥がざわざわする。


やがて、車は犬山駅を過ぎ、二駅先のトキワダイ駅で停まった。


駅前には古い商店とカフェが並び、少し離れた住宅街には


昭和の面影を残す屋敷が静かに立ち並んでいる。


まいが指をさした。


「ここです」


車が停まったのは、古びた鉄の門の前だった。


門柱には、緑にくすんだ銅製のプレートが打ちつけられている。


『阿部醫院』――


昔ながらの文字が刻まれていた。


「お医者さん……?」とハルヒコ。


「ええ、ここに博士が住んでるの。私、ずっとお世話になってて」


門をくぐると、苔むした石畳が玄関へと続いていた。


庭の木々がざわめき、どこか懐かしい空気が漂う。


まいがチャイムを押すと、しばらくして中から長身の老人が現れた。


髪も眉も髭も真っ白で、背筋がまっすぐ伸びている。


「やあ、まいくん。待っていたよ」


それが、阿部祐太朗博士だった。


博士は優しく微笑み、三人を家の中へ招き入れた。


屋敷の中は、古い木の香りと薬品の匂いが混じっていた。


玄関を抜けると、階段の脇に地下へ続く扉がある。


博士が鍵を回し、重い扉を開けると、


そこには百平米ほどの広さの研究室が広がっていた。


壁一面には本棚、机の上には書類や電子機器が山のように積まれている。


中央には革張りのソファが三つ並び、


古い白衣を着た博士が、その前に腰を下ろした。


「さて――君たちは、ヒューマサウルスだね?」


いきなりの言葉に、ハルヒコが息をのんだ。


「な、なぜそれを……?」


「隠さなくていい。まいが、君たちを連れてくると聞いていたからね」


博士の目は、すべてを見通すように静かだった。


「実はね、まい自身もヒューマサウルスなんだよ」


「えっ……!?」


まいは驚いて立ち上がった。


「博士、何を……そんな、私が……?」


博士は穏やかにうなずいた。


「試しに、自分の足を見てごらん」


まいが戸惑いながらスカートの裾を上げる。


その瞬間、足がわずかに光り、


人間の肌が、滑らかな鱗の質感に変わっていく。


ヴェロキラプトルの足――鋭い爪が三本、床をかすめた。


「う、うそ……!」


まいは悲鳴を上げ、ソファに倒れ込んだ。


「〇▽■×!」(びっくりした!)とまさ男が叫ぶ。


その声に、緊張していた空気が少しだけやわらいだ。


博士は、引き出しから古いロケットペンダントを取り出した。


「これは、十年前、まいがここに来たときに身につけていたものだ」


ふたを開けると、そこには三人の恐竜が洋服を着て並んでいる写真。


真ん中の少女は、今のまいと同じ顔をしていた。


「これは……私?」


「そう。君の本当の名は“マコ”。恐竜界で有名なロック歌手・ハクトの娘だ」


博士が語り出した。


十年前の嵐の夜、記憶を失ったまいが、


この屋敷の玄関先で倒れていたこと。


濡れた髪、震える体、手にはこのペンダントだけを握っていたこと。


そして、保護したあともまいは過去を思い出せず、


だが不思議と歌と踊りだけは得意だった。


「たぶん、芸能活動をしていた記憶が、身体に染みついていたのだろう」


博士は遠い目をした。


まいは唇を噛みしめ、写真を見つめた。


「私……ずっと、ここにいたんですね」


「そうだ。君は十年間、この世界で生きてきた。


 だが、本来の君の居場所は――恐竜界だ」


ハルヒコがスマホのような装置を取り出した。


「博士、見てください」


それはサウルスフォンと呼ばれる、恐竜界の通信機器だった。


スイッチを入れると、空中に立体映像が浮かび上がる。


そこに映っていたのは、深い緑色の鱗を持つティラノサウルスの姿。


穏やかな声が響いた。


『マコ、聞こえるか。お父さんだ……ハクトだよ』


まいの手が震えた。


その声に、心の奥の何かが弾けた。


「……パパ?」


まいの瞳から涙があふれた。


「思い出した……! 私……恐竜界で……歌っていた……!」


ハルヒコと博士が見守る中、


まいは頭を押さえ、膝をついた。


「……痛い……でも、見えるの……あの草原、二つの太陽……」


博士が静かにうなずいた。


「記憶が戻り始めたんだ。恐竜界と人間界の境界にかかった“時空のひずみ”が、


 彼女をこちらに引き寄せたのかもしれない」


ハルヒコはまいの肩に手を置いた。


「マコ……いや、まいさん。君はもう一度、家族に会える。


 お父さんが君を待っているんだ」


まいは涙の中でうなずいた。


「……でも、どうすれば帰れるの?」


博士は首を振った。


「残念ながら、まだ完全な帰還方法は見つかっていない。


 だが、君を狙う者たちがいる。闇王だ。


 彼はヒューマサウルスを誘拐して、人間界に売り飛ばしている」


「そんな……!」


「安心しろ。政府の許可を得て、私たちが保護する」


ハルヒコの目が鋭く光った。


「国の機関と連携し、闇王の手から君を守る。


 そして、すべてのヒューマサウルスを故郷へ帰すんだ」


博士が立ち上がり、金属製のドアを開けた。


その向こうには、無数のモニターと機械が並び、


幾人ものヒューマサウルスたちが静かに暮らしていた。


「ここは、保護区だ。


 人間界に取り残された者たちを、私はずっと匿ってきた」


まいはその光景を見つめながら、小さくつぶやいた。


「私も、あの人たちと同じだったんですね……」


博士はうなずいた。


「だが、君には歌がある。声がある。


 それを忘れてはいけない。


 世界をつなぐ力は、君の中にある」


まいは涙を拭き、まっすぐにハルヒコを見た。


「私……帰りたい。あの空に、もう一度」


「その気持ちがあれば、必ず道は開ける」


ハルヒコはそう言って微笑んだ。


まさ男が小さく拳を握る。


「ぼく、まいちゃんを守る!」


その言葉に、まいは優しく笑った。


「ありがとう、まさ男くん」


地下室の天井に取りつけられた照明が、ゆっくりと明るくなった。


まいの心にも、小さな光がともっていた。


十年前に失った時間が、いま少しずつ戻ってくる。


その光の先には、再会と、そして新たな戦いが待っているのだった。


________________________________________






第5章 失われた記憶


まい――いや、マコは、研究室の片隅のソファに座っていた。


博士の言葉を聞いたあとの心は、まだ嵐の中にいるようだった。


思い出した断片は、ひどくまぶしいのに、どこか痛かった。


「……あの草原、覚えてる。二つの太陽の下で、みんな笑ってた。


 私はステージで歌ってたの。風が、すごく温かくて……」


まいの声は震えていた。


その肩に、ハルヒコが静かに手を置く。


「そうだ。君は恐竜界で歌っていた。


 誰もが憧れるスターだったんだ。


 でも――十年前、突然、君がいなくなった」


まいの視線がゆっくりと博士へ向く。


博士は頷き、机の上に並んだ書類をめくった。


「時空の乱れが発生したのは、ちょうどその頃だ。


 恐竜界で新しく“次元移動装置”が発明された直後。


 恐竜界と人間界を結ぶ通路が、ほんの数秒だけ開いたんだ」


ハルヒコが口を開いた。


「そして……その通路を使って、君を連れ去ったのが、闇王だ」


まいの目が見開かれた。


「……闇王。あの、黒い覆面の……」


「そうだ。彼は君の才能を知っていた。


 恐竜界では、歌には“力”がある。


 君の声は、聴く者の感情を揺さぶり、時には空間すら動かす。


 闇王は、それを利用して次元を自在に開くつもりだったんだ」


まいの頭の奥で、何かがきしむように痛んだ。


遠い記憶の扉が開きかけている。


――巨大なステージ。


ライトの中で歌う自分。


その前で笑っている、父と母。


そこへ黒い影が忍び寄る。


覆面の男が差し出した手。


「君の歌声を、もっと遠くまで響かせてやろう」


その声に導かれ、まいは光の渦へ――。


「……そうだった……私、騙されたのね」


まいは苦しげにうつむいた。


ハルヒコがゆっくりうなずく。


「闇王はお前を人間界に連れてきて、記憶を封じた。


 そして派遣会社“マンスタッフ”を通じて、ヒューマサウルスを次々と人間社会へ売り込んだ」


博士が続ける。


「恐ろしいことに、そのヒューマサウルスたちの多くは催眠状態にある。


 人間としての記憶しか持たず、自分が恐竜であることを忘れてしまっているんだ。


 だが時間が経つと、少しずつ催眠が解け、断片的に思い出す者も出てきた。


 彼らは言った。『自分たちを捕らえたのは、“闇王”だ』と」


「じゃあ、私もそのひとりだったのね……」


まいは握りしめた拳を見つめる。


「でも、博士、どうして私だけが……芸能活動をしていたんでしょう?」


博士は苦い笑みを浮かべた。


「おそらく闇王は、君を使って人間界で“力”を試そうとしたんだろう。


 歌うたびに、微弱な次元波が生まれていた。


 その波を観測した私は、すぐに気づいたんだ。


 君が“こちらの存在”だと」


ハルヒコが拳を固めた。


「許せない。


 あいつは、世界の境界を壊してでも力を手に入れようとしている。


 俺たちは、それを止めなければならない」


まさ男が、不安げにハルヒコを見上げた。


「パパ……闇王って、また来るの?」


「たぶんな。君を連れ戻そうとする。


 でも、もう同じ手は食わない」


その言葉に、まいは小さく頷いた。


「私、もう逃げない。


 私の歌で……みんなを守る」


博士は彼女の決意を見つめながら、そっと立ち上がった。


「その心があれば、道は開ける。


 だが、その前に……少し休みなさい。君の身体はまだ完全に戻っていない」


博士の言葉に従い、まいは深呼吸をした。


胸の奥で何かが静かに整っていくのを感じる。


そのとき、研究室のモニターが突然点滅した。


「博士! 通信が入ってます!」


助手の声が響く。


モニターに映し出されたのは、恐竜界政府の通信官だった。


『こちら本部。報告。闇王の次元移動反応を確認。人間界・東京方面に出現中』


「なにっ!?」


ハルヒコが立ち上がる。


『さらに、闇王の通信記録に“マコ奪還作戦”の文字が確認されました』


「……来る気だ」


博士の表情が険しくなる。


「ここも安全ではない。すぐに移動したほうがいい」


「でも、どこへ?」とまい。


ハルヒコは迷わず答えた。


「恐竜界だ。父さんと母さんのもとへ帰るんだ」


「でも、まだ完全な転送装置は……」


博士の言葉を遮るように、ハルヒコが言った。


「バスの“次元コア”を最大出力にすれば、恐竜界の座標までは飛べるはずだ。


 リスクはあるが、やるしかない」


博士はしばらく考え込み、やがてうなずいた。


「分かった。行け。だが、これを持っていけ」


博士が差し出したのは、小さな金属の球だった。


「これは、私の研究の成果だ。


 恐竜界と人間界の“ひずみ”を安定させる装置。


 次元コアの暴走を抑えられる」


「助かります、博士」


ハルヒコが頭を下げる。


まいは博士の前に立った。


「博士……ありがとうございました」


「礼などいらん。私は、ただ君の笑顔を取り戻したかっただけだ」


その声に、まいの目が潤んだ。


「博士……」


「行きなさい。君には、帰るべき場所がある」


***


夜の街を、ワーケンバスが走る。


まいは後部座席で、窓の外を見つめていた。


街灯が流れるたび、心の中の霧が少しずつ晴れていく。


「パパとママ、元気かな……」


まさ男が隣で笑う。


「きっと元気だよ。だって、まいちゃんのこと、ずっと探してたんだもん」


「そうだといいな」


まいは小さく笑った。


その横顔に、確かな光が戻っていた。


ハルヒコがハンドルを握りながら言った。


「まいさん、君の歌を聞かせてくれないか。


 きっと、それが道しるべになる」


まいは少しだけ照れたようにうなずき、静かに歌いはじめた。


その声は、まるで空気を震わせるようにやわらかく、


ワーケンバスの内部に光の粒が舞い始めた。


車体がかすかに浮かび、琥珀のメーターが強く輝く。


「コア、共鳴しています!」


ハルヒコが叫ぶ。


「いける――!」


次の瞬間、光が弾けた。


ワーケンバスは空間を突き抜け、光の渦へと飲み込まれていく。


そして、彼らの前には――


懐かしい、二つの太陽の輝く空が広がっていた。






________________________________________


第6章 闇王の追撃


――光の渦の中。


ワーケンバスは、まるで無限のトンネルを走るように、


青と金の光の帯を切り裂いて進んでいた。


まいの歌声が響くたび、車体の琥珀メーターが共鳴し、


次元の波が穏やかにうねる。


「すごい……」


まいは、胸の奥から湧き上がる熱を感じていた。


恐竜界の空が、もうすぐそこに見えている気がした。


ハルヒコは額の汗をぬぐい、計器をにらむ。


「座標安定……あと少しで帰還ポイントに入る!」


だが、その瞬間だった。


後方モニターに、黒い影が浮かび上がった。


鋭く光る二つの琥珀色――。


「……来たか!」


ハルヒコの声が車内を震わせる。


闇王の愛車、黒塗りのレグサスが、


空間のひずみを切り裂いて現れた。


車体の両側から、赤い光を放つランチャーが突き出される。


「あんなのが追ってくるなんて……!」


まいが叫んだ瞬間、ミサイルが発射された。


「みんな、つかまれ!」


ハルヒコが叫び、ハンドルを切る。


ワーケンバスは宙を旋回し、光の尾を残して急降下した。


爆炎が背後で弾け、次元の渦が揺らぐ。


「量子ミサイルだ……! 一発でも当たれば、別次元へ吹き飛ばされる!」


「そんな……どうすれば!」


「戦うしかない!」


ハルヒコがスイッチを叩くと、


フロントマスクのペンツエンブレムが開き、


そこから光の砲口が現れた。


「まさ男、シールド出せ!」


「うん!」


まさ男が後部座席のレバーを引くと、


車体を包むように青い光の膜が展開する。


「よし、量子砲、発射ッ!」


ハルヒコが叫び、ペンツのエンブレムが強く光った。


ドォン――!


白い閃光が闇を貫き、レグサスのミサイルを撃ち落とす。


だが、闇王はすぐに反撃した。


「無駄だ、ハルヒコォ!」


スピーカーから響く声が空間全体を震わせる。


まるで世界そのものが唸りを上げているようだった。


ハルヒコは歯を食いしばる。


「闇王、マコを返せ! お前の支配はここまでだ!」


「ふん……愚か者。私はこの世界の“王”だ。


 ヒューマサウルスも人間も、すべて私の手の中にある!」


レグサスのボンネットが裂け、そこから闇王の姿が現れた。


黒いローブが翻り、顔は覆面で隠れている。


しかし、その腕が車体から伸びると、


手のひらから漆黒の光が放たれた。


「時空拘束波! 車が止まる!」


ハルヒコが叫ぶ。


ワーケンバスの速度がみるみる落ちていく。


まいが身を乗り出した。


「私がやる!」


「まいさん、だめだ、危険すぎる!」


「大丈夫。私の声で、闇を壊せる!」


まいは立ち上がり、深く息を吸い込んだ。


「――光よ、私を導いて!」


次の瞬間、車内に澄んだ歌声が響いた。


その旋律は、闇を押し返すように輝き、


青白い波がワーケンバスの外側へ広がっていく。


闇王の黒い光とまいの歌が、激しくぶつかり合った。


「ぐっ……この声は……!」


闇王の体がわずかに震えた。


覆面の奥で、牙のような歯が見える。


「まさか……マコ、お前の歌が……!」


「そうよ、私はマコ! あなたに奪われた記憶を取り戻した!」


まいの声が力強く響いた。


「あなたの闇には、もう負けない!」


歌声が一段と高くなり、


光の波が闇王の放つ黒い拘束波を押し返していく。


やがて黒い光が弾け、闇王の車体がよろめいた。


「いまだ、ハルヒコ!」


「了解!」


ハルヒコが量子砲を再び発射。


閃光がレグサスの側面をかすめ、


車体は激しくスピンした。


「うおおおおっ!」


闇王の怒声が響く。


「この借りは必ず返すぞ……!」


そう叫ぶと、レグサスは煙を上げながら


次元の裂け目に沈み、姿を消した。


静寂。


光の渦の中で、ワーケンバスだけが穏やかに漂っている。


ハルヒコが深く息をついた。


「ふう……まいさん、よくやった」


まいは少し顔を上げ、微笑んだ。


「歌が、あんな風に……力になるなんて」


「それが君の本当の力だ」


ハルヒコの声は優しかった。


まさ男が歓声を上げる。


「まいちゃん、すごい! ぼく、びっくりした!」


「ありがとう、まさ男くん」


まいは彼の頭をなでた。


その指先が震えていることに、自分でも気づいていた。


怖かった。けれど、もう逃げたくはなかった。


やがて、モニターに新たな光景が映し出された。


金色の雲、遠くに広がる青い森。


「見て!」まさ男が指を差す。


「……あれが、恐竜界だ」


ハルヒコが呟いた。


ワーケンバスは、ゆっくりと高度を下げていく。


二つの太陽が空を照らし、地上では草原が風に揺れていた。


遠くに見える都市の建物は、どこか地球の未来都市のようでもあり、


しかし装飾の形は恐竜の骨格を模していた。


「懐かしい……」


まいの目から、静かに涙がこぼれた。


***


車が街の中心へ降り立つと、


サウルスエージェンシーの恐竜界本部が見えてきた。


入口にはすでに数人のヒューマサウルスたちが待っていた。


その中に、ひときわ大きな影――ティラノサウルスの男が立っていた。


「マコ!」


まいの目が見開かれる。


「パパ……!」


まいはドアが開くより早く外へ飛び出した。


ハクトが両腕を広げ、娘を抱きしめる。


「もう大丈夫だ……もう離さない」


まいは父の胸に顔をうずめ、嗚咽をこらえきれなかった。


傍らで母も涙を流している。


ハルヒコは静かにその光景を見つめていた。


「……よかったな」


タマエの声が背後からした。


彼女が歩み寄り、ハルヒコの腕を軽く叩いた。


「あなたも無事でよかった」


「まあな。危ない橋は渡り慣れてる」


「ほんとに、もう」


タマエがため息をつきながら笑った。


遠くで、まさ男がまいと抱き合う二人を見上げていた。


「いいなぁ……」


「お前も誇っていいぞ」ハルヒコが息子の頭をなでる。


「お前の笑顔が、まいを救ったんだ」


「ほんとに?」


「ああ、本当だ」


夕焼けが恐竜界の空を染め、


草原の向こうで二つの太陽がゆっくりと重なっていった。


まいは父の肩越しにその光景を見つめながら、


心の中で小さくつぶやいた。


――ここが、私の帰る場所なんだ。


だがその時。


遠くの空で、黒い影が一瞬ちらついた。


琥珀色の光が、闇の中でギラリと光る。


ハルヒコの表情が険しくなった。


「……まさか、まだ……」


その言葉を最後に、風が草原を吹き抜けた。


闇王の影は消えたが、


戦いの幕は、まだ完全には下りていなかった。


________________________________________






最終章 人生のウイニングボール


恐竜界の夜は静かだった。


二つの太陽が沈んだあと、空には無数の星が広がる。


その星々の間を、薄く青い帯が流れていた。


まい――いや、マコはその空を見上げながら、


胸の奥に広がる温かい感情を抱きしめていた。


「十年ぶりだな、この空」


ハクトが、娘の隣で笑った。


その声は、かつてより少し低く、しかし優しかった。


「パパ……私、ずっと夢の中で見てたの。


 この空の下で、また歌う日を」


マコの声は震えていたが、どこか晴れやかだった。


「歌えばいい。お前の歌は、誰かの心をつなぐんだ」


ハクトは大きな手で、娘の肩を包んだ。


一方そのころ、サウルスエージェンシーの基地では、


ハルヒコが修理中のワーケンバスを見つめていた。


爆撃を受けた箇所は焦げ、金属の匂いが残っている。


タマエが煙草をくわえながら言った。


「本当にあの車、よくここまで持ったわね」


「こいつも頑固なんだ。オーナーに似てな」


ハルヒコが苦笑すると、タマエが肩をすくめた。


「……で、闇王は?」


「一時的に次元の狭間に閉じ込められた。


 でも、やつが完全に消えるとは思えない」


「つまり、また来る可能性があるってことね」


「ああ。だが、もう怖くはない。


 マコの歌があれば、どんな闇も打ち払える」


まさ男がエンジンルームから顔を出した。


「パパ、なおったよ!」


「おお、やるじゃないか」


「ぼくも、いつかマネジャーになる!」


「いや、もう立派な仲間だ」


ハルヒコは笑いながら、息子の頭をぐしゃぐしゃとかき回した。


タマエはその光景を見て、小さくため息をついた。


「ほんと、似たもの親子ね。危険を楽しんでる顔してる」


「違うさ。……信じてるんだ、未来を」


「未来?」


「そう。恐竜も人間も、同じ空の下で笑える未来だ」


***


翌朝。


恐竜界の中央都市・ダイノシティの広場には、


久しぶりに人々の歓声が響いていた。


舞台の上に立つのは、純白のドレスをまとったマコ。


彼女の後ろには、ハルヒコとまさ男、


そして両親が穏やかに見守っていた。


「みなさん――ただいま!」


マコの声に、会場から大きな拍手が起きた。


「私は、長い夢から帰ってきました。


 人間界で過ごした十年の間、私は自分を“まい”と名乗っていました。


 でも、本当は――ヒューマサウルスのマコです」


ざわめきが広がる。


マコは続けた。


「私は人間たちと出会い、たくさんの笑顔を見ました。


 彼らは恐竜を恐れず、楽しんでくれました。


 だから今度は、私が彼らに“ありがとう”を伝えたい。


 歌で、二つの世界をつなぎたいんです」


まさ男が両手を叩き、歓声を上げる。


「マコちゃん、がんばれー!」


観客の笑いが広がり、緊張が溶けた。


マコは深く息を吸い、ゆっくりと目を閉じた。


「……聴いてください。『星の向こうのあなたへ』」


歌声が夜空へ広がる。


やわらかな旋律が空気を震わせ、


二つの太陽の光を呼び戻すように、


淡い金色の粒が会場の上空に舞った。


その光は次第に大きな輪となり、空を包む。


観客たちは息をのんだ。


「これが……歌の力……」


博士が小さくつぶやいた。


ハルヒコも見上げながら、


「これが、マコの“ウイニングボール”だ」とつぶやいた。


「ウイニングボール?」とタマエが首を傾げる。


「最後の一投だよ。


 試合を終わらせる決定打――


 けど同時に、新しい試合の始まりでもある」


「……あなたらしいわね」


タマエは笑った。


歌が終わるころ、空にひとすじの光が走った。


それは次元の裂け目だった。


だが、以前のように不安定ではない。


光は穏やかで、まるで“橋”のように広がっている。


「これは……!」


博士が息をのむ。


「二つの世界が、共鳴している。


 恐竜界と人間界を結ぶ安定した通路が――できたんだ!」


歓声が上がる中、マコは両手を胸に当てた。


「私、行ってきます」


「どこへ?」とハクト。


「人間界に、もう一度。


 彼らにもこの歌を届けたい。


 私の“ふたつの国”に」


ハルヒコが一歩前に出た。


「俺も行こう」


タマエが小さく笑う。


「もちろん、私も。


 放っておけるわけないでしょ?」


まさ男が跳びはねた。


「ぼくも行くー!」


マコは笑いながら頷いた。


「じゃあ、みんなで帰ろう。今度は堂々と」


ワーケンバスのエンジンが再び唸る。


琥珀の光があたりを包み、車体が浮かび上がる。


見送りの人々が手を振り、ハクトと母も涙をこらえながら頷いた。


「マコ――誇りを持って行け」


「うん……ありがとう、パパ」


車は光の橋を渡り、ゆっくりと消えていった。


風が吹き抜け、草原の上に小さな羽が舞い落ちる。


それは、彼女の歌の余韻のように、


柔らかく光り続けていた。


***


――そして数日後。


人間界・犬山ハッピーロード。


あのアーケードの真ん中に、新しいイベントポスターが貼られた。


《特別ステージ:恐竜タレント“ティラノのまさ男”と仲間たち、再登場!


 司会:ハッピーロードの歌姫・まいちゃん!》


その日、商店街はかつてないほどの人で賑わった。


まい――いやマコがマイクを握り、明るい声を響かせる。


「おまたせ〜! みんな元気だった?


 ぎゅっと仲良し、ハッピーまいちゃんだよっ!」


子どもたちが笑い、歓声が広がる。


そして、その中にひときわ背の高い女性が立っていた。


黒いコート、深い琥珀色の瞳。


まいが一瞬、その目と目を合わせる。


――闇王?


しかし、次の瞬間、彼女は微笑み、観客の中に消えていった。


まいはマイクを握りしめ、空を見上げた。


アーケードの天井越しに見える青空。


その向こうに、もうひとつの太陽があるような気がした。


「さあ、今日も笑顔でいこう!」


笑い声がこだまし、光が商店街を包む。


そしてまいは、胸の奥でそっとつぶやいた。


――“着ぐるみの国”は、きっとここにもある。


 人と恐竜が、心でつながるこの場所に。


                  〈了〉










  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

着ぐるみの国は、ここ 。~商店街の小さなステージに現れた恐竜たちは、もう一つの世界からやってきた“本物”だった。~ 近藤良英 @yoshide

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画