銀嶺の竪琴と菫色の静寂

千石綾子

第1話

「王子はどこだ?!」

「シュリィ王子! 聞こえたら返事を……!」


 擦れ合う鎧の音、大勢の足音、焦りと動揺そして少しの怒りを含んだ声。それらはシュリィの頭上で遠ざかっていき、砂漠の乾いた熱風にかき消された。


 代わりに彼を包むのはひんやりとした湿り気、そして澄んだ水音。朽ちかけた螺旋階段を踏み外さないよう駆け下りていく。真っ暗な地下に広がるのは、対岸が霞んで見えないほどの巨大な湖だ。その中に、白い石造りの神殿が小さく淡い輝きを放って浮かんで見える。

 砂漠の国サフィールが、過酷な環境にある近隣諸国の中で唯一水に困らない理由。その源が、この超古代の遺物なのだった。


 まず初めに彼は背負っていた銀の竪琴を抱えて、その弦を弾いた。この竪琴を彼は「銀嶺の竪琴」と名付けている。この遺跡で拾い集めた素材を使ってこつこつと自作した宝物だ。

 彼が奏でる旋律に反応するように、湖の中から何かがせり上がって来る。それは湖へと伸びた細い桟橋、神殿へとつながる唯一の入り口だ。


 彼は桟橋へ飛び乗ると、一気に駆け抜ける。しかし遺跡に近づくにつれ王子の耳に届くのは、頭が激しく痛くなるような「ギザギザとした」不協和音。その不快さに、王子は奥歯を噛みしめて耐えている。進めば進むほどに、その音は鼓膜を切り裂くような高音を交えて更に攻撃的になっていった。まるで近づく者の頭を粉々にしようとでもするように。


「やっと揃ったんだ……」


 神殿に着いたシュリィは、激しい痛みに耐えながら固く握っていた手を開く。歪な石は、ずっと握っていたというのに氷のように冷たい。これが彼が長年探し続けた「欠片ピース」のひとつだ。誰もが「ただの石ころ」と気にも留めず、方々を探し回り大事に持っていた彼を「石拾いの奇妙な王子」と馬鹿にしていた。 

 そしてこの「ただの石ころ」だけが今この国の危機を救う事を、この遺跡の絶叫を聞き取れる彼以外の誰も知らない。


 ここサフィール王国の地下にある神殿は、超古代文明の遺物だ。水を司る神殿。中には水を生み出す機関が埋もれている。

 そして今ここに立っているシュリィ王子だけが、この遺跡が発する苦しみの音色を聴きとることができるのだった。


 王子は神殿の中へと飛び込む。祭壇の奥には、しっとりと滑らかな石でできた「白い卵」が祀られていた。地下の暗い神殿の中にあって、それはその内側から怪しげな赤い光を放ち明滅している。

 王子の身長より遥かに大きなそれこそが、王子の耳を悩ませている不協和音の発生源だ。


──これは、悲鳴だ。

 

 王子はこの不穏な音を全身に浴びて、苦悶の表情で更に石へと近付いていく。


「今、助けてやる!」


 絞り出すような声で小さく叫ぶと同時に、王子は手にしていた「欠片ピース」を、祭壇の装飾部分の凹みに叩き込んだ。


 石は、最初からその祭壇の一部だったかのように隙間もなくぴったりと嵌まって、カチリと小気味よい音と手ごたえがする。その瞬間、あれほどしつこく響いていた音が、完全に止まった。

 静寂が神殿を満たし、卵型のオブジェは徐々に柔らかく白い光を放って輝き始める。王子は息を飲んでその様子を見つめ続けた。


 傷一つない滑らかな卵の肌に、すっと一筋の亀裂が入る。そこから静かにゆっくりと花のように開いていく。しばし沈黙していた卵から、今度は歓喜のメロディが響き渡ってきた。

 中から溢れ出したのは大量の澄んだ水。そしてそれに流されるように滑り落ちてきたのは真っ白な塊だった。


「何だ……?」


 咄嗟に伸びた手がその白い塊を受け止める。彼の腕の中に納まったのは、まるで卵の一部のような、白く滑らかな肌を持つ少女だった。彼女は布一枚も身に着けておらず、王子は考えるより先に自らのケープを脱いで彼女を包み込んだ。


 少女は10代前半といったところだろうか。髪の色は淡い水色をしており、同じ色をしたまつ毛を震わせて徐々に覚醒する。シュリィと目が合った。淡い菫色の大きな瞳はこの上なく美しく、心を奪われた彼はしばし言葉を失って彼女を見つめていた。


「あなたはだぁれ?」


 シュリィは何故か身構えた。無垢な質問であるはずだが、その問いかけは王子を酷く不安にさせた。それはその声──その「旋律」が、彼が今までに聴いたどんな機械やからくりの音色よりもあまりにも静かで「完璧」なものだったからだ。今彼の目の前にいるのはまさに未知の存在だった。


「僕……私の名前はシュリィ。この卵──あなたを目覚めさせた者です」


 少女は僅かに首を傾けて「シュリイ」と呟いた。まるで己の記憶に刻むかのように。そして、もぞりと身をよじる。それにあわせてシュリィは少女を下ろして目の前に立たせた。


「私の名はアステリア。あなたの心音は少し乱れているわ。でも病気ではない……」


 抑揚の少ない声でそう言うと、自分の身を包んでいるシュリィのケープを指でつまんでじっと見つめた。


「──絹糸が100%。あなたはとても位の高い人ね」

「とてもかどうかはわからないけど、一応この国の王子です。……皆はどう思っているかわからないけど」


 最後は自分自身に言い聞かせるように言って、微苦笑を浮かべる。

 すると、それに呼応するように先程の「卵」の残骸の中から何か黒いものがぽろりとこぼれ、純白の石の床の上に落ちてガチャリと硬い音を響かせた。

 何事かと目をやったシュリィの目に飛び込んで来たのは、辺りすべての影を吸い込んだかのような漆黒の剣だった。

 

「これは……」


 シュリィは引きつけられるように剣に手を伸ばす。


「──だめ!」


 鋭く刺さるような声と共に、シュリィの耳に電気が走る。通常の人間の耳には聴き取れない周波数の甲高い叫びは、アステリアのものか、それとも黒い剣のものか。


 シュリィは伸ばしかけた手を引っ込めて耳を押さえる。うずくまろうとした時、彼が背負っていた銀嶺の竪琴がカタリと動いた。

 彼は苦悶の表情で竪琴を抱え、震える指で弦を弾いた。その一つの音が、黒い剣が発した「叫び」をわずかに中和させる。彼は今度こそ確信を持って弦をかき鳴らした。


 竪琴は途切れ途切れの奇妙な旋律を奏で始め、「叫び」の音の波はゆらゆらと揺らめいて、最後には花が散るように消え去った。

 表情のなかったアステリアの目が見開かれる。美しい瞳が僅かに揺らいだ。


「……その竪琴デバイスはあまりにも原始的で、共鳴力は不完全。なのに、この「漆黒の静寂」の暴走を抑えられる可能性が……?」


 少女は一人呟くと黒い剣を拾い上げ、愛おし気に抱きしめた。


「漆黒の静寂……それがその剣の名前なのかい?」

「ええ、ゾルディア王国の最高傑作。共に平穏な世界を作るため造られたこの世の救世主……」


 歌うように剣を讃える言葉を紡ぐ。細めた目は僅かに笑っているかのように見えた。


「さあ、そろそろ外へ出よう。ここはもうすぐ騎士達に見つかってしまうから──」


 シュリィがそう言いかけたまさにその時、神殿の入り口から数人の足音が響いてきた。


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