優しさの向こう側をみたいのに

踊るrascal

第1話 優しさの向こう側

彼は、私が言葉を探す前に頷く人だった。

「いいよ」「大丈夫」「無理しないで」

それが口癖で、反論を聞いたことがない。


デートの行き先も、食事の店も、

映画のジャンルも、いつも私が決めた。

彼は楽しそうに笑ってくれるから、

私はそれを愛だと思っていた。


ある日、私がふと聞いた。

「本当は、何がしたいの?」


彼は少し驚いた顔をして、

それから困ったように笑った。


「君が喜ぶこと、かな」


その答えに、胸が少しだけ痛んだ。

私が彼を好きなのか、

それとも彼の“優しさ”が好きなのか、

分からなくなったからだ。


別れ話を切り出した日も、彼は静かだった。

「そっか」と言って、私を責めなかった。

引き止めもしなかった。


駅の改札で別れる直前、

彼が初めて小さく言った。


「本当は、行きたかった場所があったんだ」


振り返ると、彼は少しだけ泣きそうだった。

それでも最後まで、

私を困らせない距離で立っていた。


優しさは、時々、

言葉にされなかった願いを抱えたまま

誰にも気づかれずに終わるのだと

その背中を見て知った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る