レジェンド亜里沙のハードな挑戦

東堂秋月

レジェンド亜里沙のハードな挑戦

「オープンしてください!」

 試験監督の声が静寂で満たされた会場に響く。

 直後、ポン……ポン……ポン……ポ……、と軽い空気音があちらこちらから連続する。閉じ込められていた僅かな空気が解放される瞬間の、ささやかな歓喜の音が反響しあっていた。

 冷房をガンガンに効かせた広大なセミナールームには百人以上の受験者の集まっている。

 守山亜里沙も、ひとつ深呼吸をした後、ポン、と試験課題の蓋を開いた。

 その亜里沙の視線の先には、今、未だかつて何人も足を踏み入れたことのない雪原のような景色があった。

 うっすらと輝いて、滑らかで、その白い肌を寸分でも傷つけることは許されない……。そんな無音のメッセージを感じ取らずにはいられない程に深淵かつ孤高な優美さが、この掌サイズの容器の中には漂っている。

――だめだめ! 試験開始前から課題の存在感に圧倒されては……!

 少しでも気を許せば弱気に溺れてしまいそうな自らの心を必死に叱咤する。

 亜里沙は金色のスプーンを右手でぎゅっと握りしめた。

 第四回アイスクリーム早食い検定が今まさに始まろうとしていた。

 合格基準は、試験課題のカップアイスを一分以内に食べ切る事。さらに最速で食べ切った者にはアイスレジェンドの称号が与えられる。

 亜里沙は三年連続合格、しかも三年ともレジェンドに認められた、まさにアイスクリーム早食い界のスーパーレジェンドであった。

 しかし、そんな亜里沙でさえ、今年の試験課題が発表された時には顔面が蒼白となった。SNSでも、今年のアイスクリーム早食い検定は史上最難関ではないかと話題沸騰し、ことによると合格者は一人も出ないのではないかと噂する者も少なくはなかった。

 試験課題は、製菓会社フローズンハードの看板商品「モノスゴクメチャクチャカタイアイス」。

 冷凍庫から出してすぐに食べようとスプーンを突き刺そうとした瞬間、金属製のスプーンがいとも容易くへし折れることで有名である。

「試験、始め!」

 ついに試験が始まった。

 亜里沙は左手でカップを包むように押さえながら、右手に握ったスプーンをバニラアイスの雪原に横から滑らせるように差し入れた。

 表面がガリガリと僅かに削られる。右腕に凄まじい振動が伝わる。

「ぐあっ!」

 隣の受験者が声を上げた。おそらく無理にスプーンをアイスに突き刺そうとして手を痛めたのであろう。他にも、試験開始早々、腕を押さえながら机に突っ伏して悶絶する者達が続出している。彼らが取り落としたスプーンが床に当たる音が試験会場に次々と反響した。

 亜里沙はもちろんそんな愚かな事はしない。超高速で水平方向に手を動かしながらアイスの表面を削り取る。そして、その勢いで、かつおぶしのようになったアイスのカケラを口の中に向かって放り込んでいく。舌の上にのればモノスゴクメチャクチャカタイアイスはまるで嘘のように淡雪の如くすうっ……と消えていくのだ。口の中には上品な甘さが残る。

 だが、これでは遅い。遅すぎる。

 三十秒経って、まだ半分以上が残っている。

――使うしかない……あの技を。

 亜里沙はスプーンの先を左手の親指と人差し指とで摘んだ。そして、そのまま指を音速に近いスピードで小刻みに振動させる。

 スーパーレジェンド亜里沙の必殺技「インフェルノフリクション」である。

 摩擦熱がスプーンの温度を急上昇させた。

――今だ!

 亜里沙はスプーンの先をアイスクリームに挿し入れた。サクリと音がして堅牢なアイスの一角が崩れる。掬い取ったアイスを亜里沙は流れるような手付きで口に入れた。

 残り時間はあと十五秒。

 あまりの硬さに諦めを悟った者、力を入れ過ぎて腕を痛めた者、溶け切る前のカケラを噛み砕こうとして歯を痛めた者……。敗北者が続出している。

 この会場で無傷でアイスクリームを口に運び続けているのはもはや亜里沙だけとなった。

 しかし……。

「!?」

 あと五秒のところで亜里沙の手が止まった。手に激痛が走る。

――あと一口なのに!

 亜里沙は力を振り絞って最後の一欠片にスプーンを当て、カップの底から削ぎ落とそうとした。だが、疲労が溜まった亜里沙の手の力ではどうしても掬い取れそうになかった。

――もはや……これまでか!

 亜里沙の胸に絶望が過ぎる。

 悔しさで目頭が熱くなる。

 その時、一粒の涙がカップの中に落ちた。

 涙の雫がアイスと溶け合う。アイスの表面にとろりとした輝きが生まれる。

 あと二秒。

 亜里沙は最後の力をこめる。溶けかけたアイスをついにスプーンの先にのせることができた。

 あと一秒。

 口に含む。

「試験終了!」

 試験監督の声が響き渡った。

「本年の合格者は一名のみ……守山亜里沙さんです!」

 亜里沙以外の受験者は皆立ち上がった。

 割れんばかりの拍手が湧き起こる。

「やった……」

 毎日百本を超す割り箸をへし折って握力を鍛えたこと、スプーンを指で摩擦する練習を重ねるうちに指紋が消えてしまったこと……限りない苦難と特訓の日々が脳裏に駆け巡る。

 四度目のレジェンドの称号を手中に収めた亜里沙は、もう一粒、今度は嬉し涙を頬に伝わせた。

 口の中には、未だ、甘じょっぱく幸せな味わいが余韻となって残っていた。

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レジェンド亜里沙のハードな挑戦 東堂秋月 @mitsuyaginnya

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