何処かのハコニワ【短編集】

雨ザラシ

箱庭

 最初は何もない、ただの荒れ果てた土地だった。

 まず始めに神様は世界を二つの領域に分断した。片方は広く、青々とした自然が広がる素敵な土地。もう片方は狭く、枯れたままの静かな土地。


 広い土地には次々と命が芽吹き始めた。蛇、熊、鳥、ライオン、恐竜、車、イルカ、恵まれた土地でそれらは所狭しと数を増やし、皆仲良く富を分け合って生きている。

 小さな土地には一匹のネズミが生まれた。心に大きな穴の開いたネズミは小さな土地の真ん中でただぽつりと佇んでいるだけだった。


 やがて至る所に家が建ち始める。広い土地には食べ物が溢れ、豊かさという単純な幸せが辺りを埋め尽くす。

 淋しげなネズミの隣にはもう一匹の別のネズミが生まれた。一回りだけ小さなネズミ。二匹のネズミは向かい合い、ただただ身を寄せ合っている。


 神様は残り物を詰め込むように広い土地に様々なものを創り上げていった。電車、船、遊具、エッフェル塔、自由の女神──。最後にはそこにないものはないかのように多種多様な存在で満たされた。まるで絢爛さを見せつけるかのように一つ一つ丁寧に出来上がっていくのに、それらは例外なく小さな土地に目を向けはしなかった。

 ただ神様だけが静かに、小さな土地を愛おしそうに眺めている。


 そして、神様は巨大な腕を広げると、広い土地に創り上げられた全てを飲み込むかのように土地を攫った。煌びやかに発展した何もかもが砂に飲み込まれ、有象無象に化けてやがて形を隠していく。

 残されたのは、二匹のネズミだけが変わらず、そこに在るだけの箱庭だった。



────────────────



 目の前の少年は火傷と青アザだらけの腕で箱庭の砂を攫うと、おずおずと顔を上げた。

 「これで…完成?」

 私の言葉に彼は曖昧に頷くと、箱庭に残されたネズミのキャラクターを模した指人形を眺めていた。

 「ありがとう。今日はもう疲れちゃったよね。お迎えのおじさん達も来てるから、お部屋に戻ってゆっくり休んで。」

 後ろに控えていた警官の一人が少年の手を引いて部屋を後にする。扉が閉まったのを確認すると残っていた中年の警官が興味深そうに箱庭に目を向けた。

 「これが、箱庭療法というやつですか。実際に見るのは初めてですよ。これで何かが分かるものなんですか?」

 「勿論、確実に何かが分かるというものではありません。具体的にあの子が何を思い何を重ねて作品を創り上げたかは、彼にしか分かりません。ですが、箱庭療法は心理状態や気持ちを投影するための手段という側面が強いですから、それを読み解くためのヒントにはなってくれるはずですよ。」

 警官はそういうものかと言うように髭をさする。


 「あの子のご両親は、もう亡くなられたんですよね?」

 「ええ、傷は比較的浅かったようですがね。何しろ刺された後数日放置されていましたから。発見時にはもう既に息を引き取っていましたよ。」

 「傷というのは…あの子が?」

 「まあ、夫婦げんかが拗れて─という線も考えられなくはないですが、遺体の状況を見る限りは十中八九子供が刺したんでしょう。」

 ちらと箱庭に目を向ける。彼は最後に用意されたグッズを全てを詰め込むように置いていたが二つだけ手をつけることはなかった。橋の模型、そしてセットになった男女のフィギュア。きっと彼にとってこの二つは必要のないものだったのだろう。


 「では、また後日伺うことになると思いますがそのときは。」

 「あ、最後に一つだけ!」

 退室しようとする警官を急いで呼び止めた際に手が軽く箱庭にぶつかってしまった。一回り小さなネズミの人形が倒れ、斜面を転がる。

 「はい、なんですか?」

 「あの子に、特別仲が良かった友人…もしくは兄弟はいたんでしょうか?」

 私の問いに警官は眉を寄せると、渋い顔をした。逡巡するように「まあ」とか「ええと」と言葉を探すが、観念したように大きく溜息をついて話しはじめた。


 「近隣住民から通報を受け、警察がご両親の遺体を発見したとき。押し入れから子供の声が聞こえていたそうですよ。かすれた声で子守唄の一節をただ繰り返す声が。押し入れを開けたらあの子が虚ろな目で何かを抱えて歌ってたんだとか。それで、まあ…抱えていたものというのが…。」


 警官は再度言葉を濁らせながら目を泳がせると、一拍おいて


「腐敗した赤ん坊の遺体だったそうですよ。」


 最後に箱庭に残ったのはぽつりと砂の上に佇んでいるたった一つの人形だけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る