盗み聞き ~踏切~

@Kairiki_Kumaotoko

踏切の少女

 駅前の小さな小さな商店街。

 その片隅にある小さな小さな、レトロな喫茶店。

 私は毎日その喫茶店に通い、1杯のコーヒーで粘れるだけ粘る日々を送っている。


 この店には、特徴的な客がやってくる。

 何かの雑誌の取材だろうか、色んな人のインタビューをしては謝礼を渡している、謎の若い女。

 いつも薄い色のワンピースを身に着けて、長い栗色の髪を一つに束ねている、目立たない女。まぁ私も人の事は言えないが。


 何度も店の中で見かけた。だが、顔だけはどうしても思い出せない。似顔絵を描けと言われても描けない。

 どうして顔を思い出せないのか、そのことすらも思い出せない。

 その女はいつも同じ席に座り、私はその女のすぐ傍の席で、背中合わせに座る。

 なぜかはわからないけれど、直接見てはいけないような気がする。


 女が1杯目のコーヒーを飲み干して、2杯目を注文した。今日の待ち人は遅れているらしい。


 からんからん、というドアに取り付けられた古い鈴の音がなる。

 やってきたのは、ちょっと太って頭の禿げ上がった中年の男だ。


 どうもどうもどうも、とやたら早口で繰り返して、ワンピースの女の席へと歩み寄る。

 私はレコーダーの録音ボタンを押した。


 すみません、お待たせしましたね。

 いやぁ、また電車が遅れちゃいまして、すみません。

 はい、ご連絡いただきました佐伯です。えぇ、すみませんねぇ、お待たせしちゃいまして。

 え? あぁ、飲み物ですか? そうですね、外寒かったんでホットコーヒーを。

 あぁいやいや、ブレンドで。すみません、あんまり高いコーヒー頼んでもよくわかんないんで。えぇ。

 いやぁ、すっかり寒くなっちゃいましたねぇ。師走ですねぇ。

 

 はい? はぁ、早速ですね? いやいや、こりゃすみません、年取ると話が長くなっちゃいまして。

 アレですよね? 聞きたいってご連絡を頂いた、例の踏切の。はいはい、分かってます。

 えぇ、もちろん作り話なんかじゃないですよ。実際に体験した話です。

 ボクねぇ、自慢じゃないですけど、記憶力には自信があるんですよ。

 ほら、怪談なんかだと、ありますよね。

 友達のアニキの先輩が、とか? 

 先輩の彼氏の従弟が、とか? 結局誰なんだっていうアレ。

 お話するのはね、そういうのじゃないんです。ボクがね、直接体験した話です。


 そうですねぇ、確か9月ごろだったと思います。もう20年以上前ですか。

 当時ねぇ、ボクは大学出て就職したばっかり。

 まだ社会人2年生くらいの若造でしてね?

 今で言うメンターっていうんですか、要は先輩社員について仕事覚えるっていうアレ、やってたんですよ。

 その時は確か……そう、客先での打ち合わせを終えて、夕方になってから会社に帰る途中だったんですよ。

 でね? その先輩社員なんですけどね。

 まぁ仮に、仮にですよ? 仮に近藤さん、ってしましょうか。

 その近藤さんとこう、並んで歩いてたんですよ。

 あのお客さん、いつも納期ギリギリに仕様変更入れてきますよね、とか?

 この案件大丈夫ですかねぇ、とか?

 まぁよくある話ですよ。まぁ、この話の内容はどうでもいいんですけどね。

 問題はこの打ち合わせのあとなんです。


 夕方、確か16時くらいだったかと思いますねぇ。

 よく晴れた日で。西陽がきつかったんですよ。

 え? 

 よく覚えてるって? 20年以上前なのに?

 えぇえぇ、よく言われます。

 ボクね、記憶力は凄いんですよ。

 歴代総理大臣なんて、田中角栄から全員、順番通りに言えちゃいますから。

 ……はぁ、それは良い? そうですか、わかりました。


 で、その日はよく晴れてて、西陽がきつかったんです。

 小学生がねぇ、大勢歩いてて。ほら、下校時刻ってやつですか。

 電車の線路の向こう側に学校があったんでしょうねぇ。

 子供が大勢、わらわらわらーっと歩いてきてたんです。

 ボクとその近藤さん、駅方面に向かって歩いてたんですけど、こう、踏切がね?

 線路が南北に走ってて、駅の入口に行くには西側に渡んないといけない。

 で、渡るには踏切をつっきらないと行けなくってですね?

 その踏切が、カンカンカンカン、と。閉まっちゃったワケですよ。

 えぇ、眼の前で。ちょうどね、ボクと近藤さんの眼の前で遮断器がこう、カンカンカンカンって鳴りながら。


 そしたらねぇ、線路の向こう側にも大勢いるわけですよ。

 距離にしたらどれくらいかなぁ? 20メートル? くらいだったかな?

 その向こう側にね、子供が大勢いるんです。

 そしたらね、近藤さんがボクに向かって言ったんですよ。

 

「佐伯くん、あそこホラ、女の子いるでしょ」


 って。

 近藤さんが指さした先見たら、まぁいますよ何人も。小学生の女の子が。

 どの子かわかんなかったもんで、聞いたんですね、ボク。

 どの子だって。


「踏切の最前列にいる、ほら、緑のスカート履いてる子」

 

 はぁ、あぁはいはい、いますねと。

 見えました。あの帽子被った? おさげの? ってね。

 どんくらいですかねぇ、2年生か3年生くらいの子がね、いたわけですよ。

 踏切の向こう側に。

 で、ボクは近藤さんに聞いたんです。あの子がどうしたんですか?

 近藤さんちの娘さんですか? って。


「違うよ、俺は独身だ」


 って笑いながら答えるんですね。

 じゃあ、あの子が何なんですか? って聞いたらね?

 近藤さんが変なこと言ったんですよ。


「あの子、もう死んでるよ」


 って。 

 その時ね、カンカンカンカン、と警報がなって、電車がゆっくり横切ったんです。

 これでね? 消えてれば怪談っぽいですよね? ね? 

 いや、それが消えないんです、いるんですよ。


 警報機がね、カンカンカンカ、って途中で音を止めて、遮断器がこう、スーッて、ゆっくり上がるんです。

 そうするとほら、みんな歩きますよね?

 えぇ、よく覚えてます。西陽がキツくって、眩しくてねぇ。

 そんな中でも子供ってのは元気で、走ってくるわけですよ。

 ただ、その女の子はトボトボ歩いてくる。

 え? はい、歩いてましたね、確かに。

 はい? 脚ですか? もちろんありましたよ。

 何なら白いスニーカー履いてたことまで覚えてますよ?

 えぇ、ボク、記憶力は自信ありますから。


 で、歩きながらね? ボクは近藤さんに言ったんですよ。

 いやいや、死んでるワケないでしょって。半笑いで。

 いや、ちゃんと足もあるし? こっちに歩いてきてるし? 

 幽霊っていうのはこう、もっとねぇ? あるじゃないですか?

 脚がないだの血の気が悪いだの?

 その子、普通の子だったんですよ。その辺にいる子と全然変わらない。


 でね? その子はボクの右側を通るライン取りで歩いて来てましてね?

 僕はもう近藤さんに散々言ってたんです。

 何言ってるんですか近藤さん。

 あの子が死んでるとか、いくらボクが田舎から出てきたペーペーだからって。

 そりゃいくら何でも騙されないっすよって。

 あんなしっかり歩いてランドセル背負って、踏切も律儀に守る幽霊なんて。

 そんな幽霊ボク聞いたことないですよって。

 

 次第に距離が縮まりますよね。

 ボクは西口方面に向かって、女の子は西口方面からこっち来てるわけですから。

 で、相変わらずボクは近藤さんに文句言ってるわけです。

 無いです無いです、あの子が死んでるとか。

 ウソならもうちょいリアルなの言って下さいよって。

 で、ちょうどね? 女の子がボクの右側を通り過ぎたタイミング。

 ボクの右耳にね、女の子の凄い嬉しそうな声でね?


「ほんとだよ」


 って。

 いや、ホントに耳元で。

 でね? 振り返るじゃないですか。

 耳元でねぇ? そんな事言われたら、そりゃ振り返りますよ。

 そしたらほら、ほんの1秒前くらいにすれ違った子供ですから。

 ね? いるはずじゃないですか、すぐ後ろに。ね?


 いないんですよ。その子。


 あれ? って思ってすぐ前を向くとね?


 いるんです、その子。踏切の向こうに。


 踏切の向こう側から、歩いてきてるんです。

 たった今すれ違ったばっかりの女の子。

 しかもね? 今度はこっち見てるんです。すっごく嬉しそうに。

 ボクの顔見ながら、てくてく歩いてきてるわけですよ。


 もうパニックですよね。

 短時間でありえないことが起きてるわけですから、そりゃもう大変ですよ。

 頭の中はエラいことになります。


 いや、あり得ないあり得ない。

 これはきっとアレだ、近藤さんの姪っ子とかが双子で、それでさっきすれ違った子は猛ダッシュでどこか行って、でもう一人があっちから歩いてきて、そうだ、絶対これは近藤さんのイタズラで、きっとこの緑のスカート履いて? アニメのキャラクターのシャツ着て? 赤いランドセル背負ってる女の子は双子で同じ服着て? それで時間合わせて打ち合わせしてここでボクを驚かせようとして。

 絶対そうだよ、そんな事あり得ないあり得ない。

 すれ違った瞬間に女の子が消えて、次の瞬間にはもう踏切の向こう側に戻ってるとか絶対ありえない。


 ってね、そう必死で考えてたんです。

 その間にも、女の子はこっち歩いてくるわけですよ。

 で、またすれ違うじゃないですか。

 ボクもう必死で頭の中で考えてたんです。これはイタズラだって。

 女の子、またボクの右側通ろうとするんですよ。


 そしたらね。また右耳に聞こえたんですよ。

 すっごく残念そうな、ちょっとスネたような感じの声、っていうんですかね?

 そういう声で。


「ほんとなのに」


 って。

 えぇ、また振り返りましたよ。

 いないんです、女の子。


 もうね、暑さのせいもあったんでしょうね。

 全身からこう、ぶわーって汗が。すごかったですよ。

 で、また前向くじゃないですか。踏切渡って西口に行かなきゃいけないから。

 そしたらね?


 またいるんです、女の子。踏切の前に。


 今度はもうね、あからさまに怒った顔で、ずんずん歩いてるわけですよ。

 ほら、不機嫌になったときの子供の歩き方、あるじゃないですか。

 あの歩き方で、ボクの方に向かってくるわけですよ。

 あぁどうしよう、目が合っちゃった。

 って思ってたらね。近藤さんが


「佐伯くん、目ぇ見ちゃダメだよ。ついて来ちゃうから」


 って。

 もうね、必死で目ぇ逸らしましたよ。

 ホントに明後日の方向見て、なんとかして踏切わたり切ろうとするわけです。

 でね、また女の子とすれ違うんです。

 

 全然別の方向見てるんですけど、なんとなく雰囲気で分かっちゃうんですよね。

 女の子、ボクを睨んでたんじゃないかなぁって。

 で、また聞こえちゃったんです。


 子供がほら、言ってる事をオトナが信じてくれなくて?

 不機嫌になる事あるじゃないですか。

 ウチの娘が小さい頃とかしょっちゅうだったんですけどね?

 もうね、その小さい子供が怒ったときの言い方で。


「ほんとなんだからね」


 って。

 怒ってましたねぇ。あれは確実に。


 え? 3回目は? 振り返らなかったのかって?

 いやいやいや、勘弁してくださいよ。ボクにそんな度胸ありませんでしたよ。

 アレで振り返ったらねぇ? 何がどうなってたことか。


 いやぁ、今でもよく覚えてます。強烈でしたからねぇ。

 まぁほら、可能性としてはね?

 三つ子のイタズラっていう線も消えたワケじゃないですよ?

 ただねぇ……ほら、ボク記憶力には自信あるって言ったじゃないですか。

 その日のね、打ち合わせの内容とか、西陽のキツさとか、踏切の向こうから歩いてくる人達の影が長いなぁなんて事もね? 覚えてるわけですよ。

 いやもう、そりゃあ結構鮮明に。


 ただね? ひとつだけ思い出せないんですよねぇ。

 ボクね、その女の子の靴まで覚えてるんですよ。白いスニーカー。

 えぇ、紐じゃなくてほら、マジックテープ? でとめるタイプのアレ。

 そこを覚えてるのにねぇ。


 

 その子の影を見た記憶だけが、ないんですよねぇ。



 中年の男はそこまで語ると、ワンピースの女から謝礼のような何かを受け取って、しきりに「いやいやそんな」「恐縮です」「まぁそこまで仰るなら」と言いながら、結局封筒を受け取って店を出ていった。


 私はこっそりと停止ボタンを押して録音を止めて、店を出る準備を始める。

 眼の前にある、すっかり冷めたホットコーヒーを飲み干して立ち上がり、伝票をカウンター傍のレジに持っていく。

 ちら、とワンピースの女に視線を向けるが、やっぱり顔はわからない。


 顔が見えたら、何か変わるのかもしれない。

 いや、そんな事は無いか。そんな意味のない自問自答を終わらせて、財布を取り出した。


「ブレンド一杯、750円ですね」

「はい、じゃあ1000円から」

「はい、250円のお釣りですね。毎度どうも」

「ごちそうさまです」

 

 喫茶店の主人とは必要以上に会話をしない。

 いつも通りに店を出る。

 さっきの中年男の話、影を見た記憶がない、っていう締めくくりだったな。


 まぁアレも本当かどうかなんて誰もわからない。中年男の記憶が本当だなんていう保証だってどこにもない。そう考えながらドアを開けると、からんからんからん、という小気味いい鈴の音。


 その音に混じって、


 ほんとだよ


 と聞こえた気がした。


 私は背筋が寒くなったような感覚を覚えて、駅の改札へと急いだ。

 視界に、緑のスカートに白いスニーカー、帽子を被った赤いランドセルの女の子が入らないことを祈りながら。

 

 

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