残影の守護者(シルエット・ガーディアン) 〜魔力ゼロの特待生、王立学園の頂を射抜く〜

@yudeta-ma

第1話

大陸暦一二四八年。

 王立エリュシオン魔法騎士学園。そこは、個人の魔力の「色」と「密度」が将来のすべてを決定する、残酷なまでの実力主義の聖域だ。

 春の陽光が降り注ぐ中、広大な演武場には数百人の志願者たちが集まっていた。彼らの視線の先にあるのは、台座に据えられた巨大な魔力測定石である。

「次。カイル・ヴァン・クロムウェル」

 試験官の事務的な声が響く。

 カイルと呼ばれた少年は、群衆から一歩前へ出た。目立つような容姿ではない。使い古された麻のシャツに、革の胸当て。腰に下げているのは、およそ騎士には似つかわしくない、刃こぼれを研ぎ直しただけの無骨な鉄剣だった。

 周囲の貴族子息たちから、隠そうともしない嘲笑が漏れる。

「おい見ろよ、あのボロ布のような格好を。平民が紛れ込んだか?」

「剣もまるで農具だな。あんなもので何ができる」

 カイルはそれらの言葉を、春風ほどにも気に留めない様子で測定石の前に立った。

 彼はゆっくりと右手を石に触れさせる。

 通常、魔力を持つ者が触れれば、石は即座に反応する。火の属性なら赤、水の属性なら青、そして密度の高さに応じてその輝きは増していく。しかし――。

 一秒、二秒。十秒が経過しても、石は静止したままだった。

 曇り一つない、冷たい透明。

「……無色。魔力反応なし。判定、不適格」

 試験官が吐き捨てるように告げた。会場に爆笑が巻き起こる。

「ハハハ! 本当に魔力ゼロかよ!」

「学園の歴史始まって以来の無能だな。さっさと帰って畑でも耕せ!」

 カイルは静かに手を離した。

 判定に不服はない。だが、一つだけ試験官に問いかけた。

「……実技試験は受けさせてもらえますか? 募集要項には、適性試験の結果に関わらず、実技の希望者は拒まないとありましたが」

 試験官は顔をしかめた。

「受けるだけ無駄だ。魔力のない者が、魔法騎士を目指すなど笑止。だが……よかろう。そこまで恥をかきたいのなら、相手をしてやる」

 試験官が合図を送ると、演武台の反対側から一人の少女が歩み寄ってきた。

 その瞬間、周囲の喧騒が引き潮のように消え去った。

 燃えるような深紅の髪、意志の強さを象徴するサファイアの瞳。彼女の纏う白銀の甲冑には、王家の紋章が刻まれている。

 第一王女、アイリス・フォン・エリュシオン。

 学園創設以来の天才と謳われ、その魔力は太陽のごとき「深紅」を宿す。

「私が相手をするわ」

 アイリスの声は鈴の音のように澄んでいたが、同時に絶対的な強者の重圧を伴っていた。

「殿下!? なぜこのような平民の相手を……」

「退きなさい。この少年の眼……ただの無能には見えないわ」

 アイリスは腰の細剣(レイピア)を抜いた。それだけで、周囲の気温が数度上昇したかのような錯覚を覚える。彼女の魔力が、空気中の魔素を励起させているのだ。

 カイルもまた、静かに鉄剣を抜いた。

 彼の構えは独特だった。極端に重心を低くし、剣を正眼ではなく、やや斜め下に下ろす。

「カイル・ヴァン・クロムウェル。参ります」

「来なさい。王家の誇りにかけて、手加減はしないわ」

 アイリスの体から、爆発的な紅蓮の魔力が噴き出した。

 彼女が踏み込む。瞬時にカイルとの距離がゼロになり、熱風を纏った鋭い刺突が放たれた。誰もが「終わった」と思った。炎の剣筋がカイルの胸を貫く、その光景を予見した。

 しかし。

 カイルの体内で、何かが「駆動」した。

 心臓の鼓動が、一瞬で限界まで加速する。

 彼には魔力がないのではない。

 彼の魔力はあまりに高密度であり、かつ「超高速で体内を循環」しているため、外部への放射が一切行われないのだ。測定石が反応しないのは、そのエネルギーが完全に肉体の内側に閉じ込められているからに他ならない。

 ――瞬刻(しゅんこく)。

 カイルの姿が、掻き消えた。

 アイリスの放った紅蓮の刺突は、カイルが「一瞬前までいた場所」の残像を焼き払うにとどまった。

(……消えた!?)

 アイリスの背筋に冷たい戦慄が走る。

 彼女は超感覚で背後を探るが、そこにはいない。横か? 上か?

 違う。

「……そこです」

 低く、落ち着いた声がアイリスの耳元で響いた。

 気づけば、カイルは彼女の懐、防御が最も手薄になる死角に潜り込んでいた。

 彼の鉄剣は振るわれていない。ただ、切っ先がアイリスの白い喉元に、紙一枚の距離で静止していた。

 カイルの体からは、湯気のような熱気が立ち昇っている。

 周囲の観客は、何が起きたのか理解できずに口を半開きにしていた。彼らの目には、カイルが瞬間移動したようにしか見えなかったのだ。

「私の……負けね」

 アイリスがぽつりと呟いた。

 彼女の額には一筋の汗が伝っている。

 カイルの剣には魔力の輝きはない。しかし、その剣先からは、岩をも穿つような凄まじい「圧力」が放たれていた。

「……魔力がないのではなく、使い方が根本的に違うのね。あなたは、魔法を撃つのではなく、自分自身を魔法の弾丸にしている」

「褒め言葉として受け取っておきます、王女殿下」

 カイルは剣を引き、深々と一礼した。

 試験官は震える手で判定表に筆を走らせる。

「カイル・ヴァン・クロムウェル……実技試験、満点。特待生として、入学を許可する……」

 どよめきが広場を埋め尽くす中、カイルは自身の掌を強く握りしめた。

 ようやくスタートラインに立った。

 最強ではなくとも、この「速さ」があれば、届くはずだ。

 あの日、自分を救ってくれた背中に。

 そして、カイルを見つめるアイリスの瞳には、これまでの人生で抱いたことのない、強い好奇心が宿っていた。

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