棍棒ひとつで迷宮を往く
@cla29
プロローグ
迷宮第十三階層――地図にも載らぬ領域、通称〈死域〉。
その空間は、かつて何人もの冒険者を呑み込んだ、帰還を許さぬ沈黙の深淵であった。
崩れかけた天井からは、細かい砂が静かに舞い落ちる。
壁に刻まれた無数の傷痕と古びた血の染みが、ここが通路である以前に“戦場”であることを物語っている。
灯りをともすはずの魔石はほとんどが砕け、辺りは重苦しい闇に沈んでいた。
――捧げなさい。
耳に響いたわけではない。
迷宮そのものが囁いたかのような圧が、骨の芯を震わせた。
迷宮の静けさに、彼の足音だけが深く沈んでいった。
男の名は、タクミ。
この世界の言葉をたどたどしく話す、異郷の者。
その来歴も素性も知る者は少なく、仲間と呼べる者もいない。
だが、彼の存在だけは確かに刻まれていた。
その強さゆえただ一言、人は畏れてこう呼んだ。
――怪物。
タクミの背にあったのは、節の多い漆黒の棍棒。
身の丈ほどあるその異様な武器を、彼は無造作に肩へ担いでいた。
歩みに迷いはなく、肩の揺れひとつ乱さず、ただ進む。
そのとき、通路の奥から微かな振動とともに、湿った音が響いた。
肉の塊が石畳を踏みしめるような、鈍く重たい響き。
呼吸とは思えぬ低い唸りが、闇の向こうから這い寄ってくる。
現れたのは、灰銀の外殻に覆われた魔物――〈ゴルドグラント〉。
鉄の刃を弾き、矢を砕き、かつて三十人の衛兵部隊を全滅させたとされる階層の主。
その巨体が咆哮とともに通路を揺らしながら、一直線に突進してきた。
タクミは歩みを止め、担いでいた棍棒を握り直し、静かに一歩、前へと踏み込んだ。
――次の瞬間。
雷鳴のような轟音が、迷宮を貫いた。
振り抜かれた棍棒が、突進してきたゴルドグラントの頭部を正面から叩き潰す。
堅牢な外殻は粉砕され、骨が軋む嫌な音とともに陥没し、脳漿と甲殻片が飛び散った。
巨体は数メートル先まで跳ね飛び、床に叩きつけられて動かなくなる。
濁った体液が石畳を伝い、じわりと靴先まで広がった。
石畳は衝撃でひび割れ、粉塵が舞い上がる。
タクミはその亡骸を一瞥もせず、棍棒を肩に担ぎ直し、何事もなかったかのように歩き出す。
沈黙の中を、静かに、確かに進んでゆく。
……この先に、帰る手がかりがあると信じて。
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