第2話

王立魔導学園の朝は、高貴な鐘の音とともに幕を開ける。

 新入生たちに割り当てられた寮は、その成績……つまりは「魔力値」によって明確な格差がつけられていた。

 魔力値一〇〇〇を超えるエリートが集う『白亜の塔』。

 そして、僕のような魔力一桁から二桁の「数合わせ」が押し込められる、学園の端に位置する旧校舎跡の『灰色の宿舎』。

 僕は湿っぽい部屋のベッドで目を覚まし、使い古した錬金術師用の手袋をはめた。指先から伝わる鉄の微細な振動を確認する。今日も「感覚」は鋭い。昨日の入学試験でエリナ・フォン・ローゼリアから受けた衝撃的な提案は、夢ではなかったようだ。

「……さて、行くか。まずは『身の程』を教え込まれる時間だ」

 学園のカリキュラムは、初日から厳しい。

 特に実技演習は、全クラス合同で行われる。これは「下位の者に恥をかかせ、上位の者の自尊心を高める」という、この学園の伝統的な教育方針らしい。

 演習場には、五〇〇人近い新入生が集まっていた。

 中心に立つのは、髭を蓄えた厳格そうな教師、バルガス。彼は地面に突き立てられた巨大な標的——魔導耐性を持つ鋼鉄の板を指差した。

「最初の演習は『基礎魔力投射』だ。各自、自らの得意とする攻撃魔法をこの鉄板に叩き込め。威力、速度、そして精度を測定する。……まずはAクラス、代表エリナ・フォン・ローゼリア!」

 会場が静まり返る。

 紅蓮の髪をなびかせ、エリナが前へ出た。彼女の姿が見えた瞬間、他の生徒たちから溜息のような感嘆が漏れる。彼女は呪文を唱えることすらしない。ただ右手を標的に向け、指を鳴らした。

「……散れ」

 刹那、轟音とともに真紅の火柱が立ち昇った。

 熱風が演習場の端まで届き、生徒たちが腕で顔を覆う。火柱が消えた後、そこにあったはずの鋼鉄の板は、跡形もなく蒸発していた。

「測定不能! 素晴らしい、これぞ究極の破壊だ!」

 バルガス教師の絶叫に近い称賛。エリナはそれを当然のことのように受け流し、視線で僕を探した。目が合う。彼女は少しだけ誇らしげに、そして「次はあなたの番よ」と言わんばかりに口角を上げた。

「……次は、Eクラス。アルス・レーヴェン」

 一気に空気が冷え込む。期待の眼差しは、一瞬で蔑みと冷笑に変わった。

「おい、あの魔力一二のやつだろ?」

「魔法なんて使えるのかよ。火打ち石でも持たせてやれよ」

 僕は無言で標的の前に立った。

 先ほどエリナが蒸発させたせいで、新しい鉄板が設置されている。厚さ三〇センチ。普通の魔導師なら、十人がかりでようやく凹む程度の代物だ。

 僕は右手を伸ばし、鉄板の表面に指先で触れた。

「おい、何をしている。離れたところから魔法を撃てと言っているんだ!」

 バルガスの怒声。僕はそれを無視した。

 魔力値一二。僕の全魔力を込めて火球を撃ったところで、この鉄板の表面を一ミリも熱することはできない。

 だが、僕がやるのは「破壊」ではない。「再構築」だ。

(……鉄原子の熱振動を増幅。炭素結合の強制解除。分子間力を『反発』に変換——)

 指先から、針の穴を通すような精密さで魔力を流し込む。

 鉄板の内部で、原子の並びがドミノ倒しのように崩れていく。

「……終わりだ」

 僕が指を離した瞬間。

 キン、という微かな金属音が響いた。

 次の瞬間、巨大な鋼鉄の板は、粉々の「銀色の砂」となって崩れ落ちた。熱も、光も、爆音もない。ただ、そこにあった物質が、その存在意義を失ったかのようにサラサラと砂に変わったのだ。

「な……!?」

 バルガスが絶句する。周囲の生徒たちも、何が起きたのか理解できずに固まっていた。

「……魔導回路の破壊か? いや、そんな術式は存在しない。アルス、貴様、何をした!?」

「ただの錬金術です。物質の結合を少しだけ緩めただけですよ」

 僕は淡々と答えた。嘘は言っていない。ただ、それを実行するために必要な精密制御が、この世界の常識では「不可能」とされているだけだ。

「……ふん、小賢しい手品を。実戦ではそんな悠長に触れる隙などないわ!」

 バルガスが苦々しく吐き捨てる。しかし、その顔には隠しきれない動揺があった。

 演習が終わり、解散の合図が出ると、すぐに僕の前に影が差した。

「やっぱり凄いじゃない。ねえ、今のどうやったの?」

 エリナだ。彼女は周囲の視線も気にせず、僕の腕を掴んだ。

「教えない。企業秘密だ」

「ケチ。……でも、これで決まったわね。今日から一週間、放課後は私の専属の特訓に付き合ってもらうわ。先生にはもう話してあるから」

「……は? 許可した覚えはないぞ」

「あら、契約書ならもう書いたわよ。入学手続きの書類に紛れ込ませておいたわ」

 彼女は悪戯っぽく、一枚の羊皮紙をひらつかせた。

 そこには確かに、僕の筆跡を模倣した(あるいは錬金術の過程で書き換えられた)サインがあった。

「お嬢様、それは詐欺だ」

「いいえ、これは『投資』よ。私の力を制御できるのは、あなただけなんだから」

 彼女の瞳には、一切の迷いがなかった。

 魔力値一二の錬金術師と、魔力値二八〇〇の聖女。

 交わるはずのなかった二人の歯車が、この日から激しく回転を始めた。

 それが、学園を、そして世界を揺るがす巨大な機構になるとは、まだ誰も知る由もなかった。

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