第4話 幻想と現実
夢の底に沈んでいる感覚だけがあった。
その夢の中で、僕は重たい瞼を開いた。
洋風の晩餐会場のような景色があった。
豪奢な長机には、純白のテーブルクロスがシワなく敷かれていて、その上には几帳面に整列した食器と果物、封の切られていない酒瓶やバケットが用意されていた。
並んだ椅子はどれも空席で、晩餐会場には僕一人だけがポツンと座っている。
夢だからだろうか、なんだか意識が平坦だ。情動がない。目に映る全てが情報としてだけ摂取されていく。スクリーン越しの映像を眺めている。そんな感覚だった。
燭台に灯る火は、どこか自信なさげに揺れている。
フッ────。
突然火が消える。それと同時に、僕の意識がどこかに引っ張られた。
「あ〜めあ〜めふ〜れふ〜れか〜さんが〜♩」
雨の日の小学校の帰り道。
道路脇にある公園で、小学一年生の小春が向日葵みたいな鮮やかなレモン色のカッパを着て、一人でブランコを漕いでいる。
雨の日になると、小春は決まってこの公園で遊んで帰るんだ。
「風邪ひくぞ」
群青色の傘をさしてブランコの柵の外側から見守っていた小学三年生の僕は、いつもの事ながら適当に注意する。
だが、帰りたくて仕方がない僕とは対照的に、小春はブランコを漕ぐのをやめない。
「聞いてるのか小春。また母さんに怒られても知らないからな」
少しばかり語気を強めた僕の警告を聞いて、小春がブランコの揺れをピタッ、と止めて笑った。
「兄様もおいで!隣空いてる!」
「濡れるからやだ」
「む〜……兄様のケチ!ケチケチケチ!」
「うるさいな。大体、そんなに水が好きならプールに行けばいいだろ」
「小春は別に水が好きなんじゃないも〜ん」
小春はまたキコキコ、と小さくブランコを漕ぎ始めた。
「小春は雨が好きなの。ブランコに乗れるから」
そう俯き気味にこぼす小春は、ブランコをゆったりと、地面からほとんど離れずに揺らしている。
「晴れでも乗れるじゃん」
「ううん。晴れの日だと、いつも誰かがブランコに乗ってて、お友達のいない小春には順番回ってこないもん」
その言葉に、僕は驚かなかった。
この頃にはもう、小春がうまく小学校に馴染めていないことを僕含め、家族みんななんとなく察していたからだ。実際、この半年後には小春は不登校になっている。
「だから雨の日なの。雨が降ってたら、公園を独り占めできて、思い切りブランコで遊べるでしょ。一人でも全然平気だもん」
小春の口元は笑っているように見えた。
でも、公園を通り過ぎる女の子三人組をどこか寂しそうに見ていたのにも、この時の僕は気づいていた。
強がってる。
分かっていても、僕では小春の友達を増やしてやることはできない。それならせめて────
「……そういえば僕、雨の中でブランコってしたことなかったな」
僕は、僕だけは小春の傍にいてあげよう。
「やってくれるの!!」
「ちょっとだけだぞ」
雨は嫌いだ。ジメジメするし、荷物は多くなるし、濡れて帰ったら母さんに叱られるし。
でもそんなことはどうでもいいんだ。小春の傍に居られるならそれで……!
僕は傘を放り投げた。
ポタッ。
頬に生暖かい感覚。空は雨模様。絵の具みたいに鮮やかな赤い色の雨が降っていた。
赤……?
「雨じゃない……?」
平坦だった感覚に、山が現れ始める。あんなにスッキリしていた脳内が、だんだんとと騒がしくなってくる。
おかしい。いつの間にか灰の上に立っている。どこだここは。僕は何をしている?小春はどこだ?ブランコは?傘は?
コツン。
何か足に……。────ッ!?
そして、僕は思い出した。
この光景を見るのは────二度目だと。
「はっ────!!」
飛び起きた僕は、激しく動悸する心臓を抑えて、未だ鮮明に覚えている記憶を
今のは……夢?だとすれば小春はまだ────ッ!!
僕は身を乗り出した。
洞穴のような空間があった。外ではまだ、灰の嵐が吹き荒れている。
「夢じゃ……なかったか……」
「やっと起きたか」
後ろから煩わしそうな男の声がした。僕は振り向く。
携帯式のランプが仄暗く照らす洞穴の中。
鍋を煮込む少年と、姿勢よく正座する少女がいた。どちらも僕と同い歳くらいの背格好で、その身には真紅のローブを
「おはようございます。体の具合はどうですか?」
少女はこちらに笑顔を向けてそう言った。
状況が分からない中、僕は体の痛みが薄くなっているのをかろうじて自覚する。
「よかったな。ヒーニアが治癒魔術使わなかったら今頃お前、死んでたぞ」
青年が吐き捨てるように言う。
魔術……そう聞こえた気がする。
「どうかされたんですか?」
緩いウェーブのかかったブロンドの髪を揺らして、少女は首を傾げた。
「ここは……?」
聞きたいことは山ほどあったが、僕はそれだけ問う。
これは最終確認だ。これが果たして現実で、起こった最悪の出来事が僕の夢でないと確信するための……。
少女が目をわずかに伏せたのが分かった。ドクンと心臓が鳴る。
「ここは汚染域第一層────『
まるで癌を宣告する医者のように、少女は言葉を濁した。
「そう、か……」
どこか話が噛み合っていない。そう思いながらも、僕は悟った。
やっぱり……今までの全ては現実で、夢なんかじゃない。小春は────もういない。
僕はグッ、と奥歯を噛み締める。そうしていないと、目頭を熱くして込み上げてくるものに、感情を支配されてしまいそうで怖かった。
「嵐に晒されて今にも死にそうだったんだ。生き残れただけでも感謝しろよな」
「ちょっ……ヴィル……!」
伏せていた視線を持ち上げてみれば、短い銀髪の少年に先ほどの少女が慌てた様子で詰め寄っていた。
「まったくあなたは……!あの方は喪中なんですよ!分かりますか!?も・ちゅ・う!!」
「んなもん、
「絶対にそんなことありません!私は仲間が死んだら3日は引きずります!!もちろんヴィルが死んだ時も泣いてあげますよ癪ですけどね!!」
「誰も頼んでねぇ!離れやがれ!!」
うるさい。ああ……けど、不思議と嫌じゃない。
今はその騒々しさが、僕を現実に繋ぎ止めてくれている。そんな気がした。
僕が二人を眺めていると、それに気づいたらしい少女が慌てて取り繕い始めた。
「あ、あはは。もしかして、聞こえてました……?」
僕は頷く。
「す、すみません!ほらヴィルも謝って!!」
「んでだよ!!」
少女が少年の頭をグイッと下げる。
まるで姉弟のようなその二人に、僕は目を細めた。
「いや、謝らなくていい」
そして、彼らの方に向き直って同じように頭を下げる。
「助けてくれてありがとう」
嵐の中、倒れていた僕を彼らは救ってくれた。それに何より、おかげで小春に怒られずに済んだんだ。感謝しかない。
だがそんな思いの僕とは裏腹に、二人はバツが悪そうにこちらをチラチラ伺っていた。
僕が首を傾げると、少年が頭を掻いて気まずそうに口を開いた。
「あーその、さっきのは本気で言ったわけじゃなかったんだが……悪かったな」
なるほど。どうやら自分の軽口を後悔していての反応だったらしい。
「分かってるよ。気にするな」
別に怒るほどのことでもない気がしたので、僕はそう答えた。
だが、少年の視線がさらに居心地が悪そうなものに変わる。
彼にとって、こういう場合は責められるより、素直に認められる方がやりづらいのだろう。
静寂の中、焚き火のパチパチという音がいやに大きく聞こえる。
「そ、そうだお名前!まだ聞いていませんでしたよね!私はヒーニア・ヴァルデンシア!気軽にヒーニアと呼んでください!」
パンッと手を叩いた少女は、ヒーニアと名乗った。
ヒーニアが促すようにこちらを見てくる。どうやら次は僕の番らしい。
「七織仁。なんでも……うん。好きに呼んでくれ」
日本の名前で通じるか不安だったが、気にした様子もなくヒーニアは顔を綻ばせた。
「じゃあジンさんですね!こっちのガラが悪いのはヴィルです!いつもこんなんなので気にしないであげてください。思春期って奴です」
「おい」
「なんですか、私は怖がられやすいヴィルのためにお手伝いをしてあげているんですよ?さあ、感謝かもんっ!」
「頼んでねぇんだよ!」
意に反した紹介のされ方に不満をこぼしたヴィルは、苛つきを発散するように鍋を高速で煮込み始める。
「まったく、私の優しさがなぜ分からないんでしょう」
その様子に、不満げに頬を膨らませたヒーニアだったが、ふと何かを思い出したようにこちらを向いた。
「そういえば、ジンさんはどこのギルド所属なんですか?」
「ギルド?」
ギルドってファンタジーとかで聞く、あれのことか?
もちろん僕はそんなものに所属した覚えはないのだが、まるで予想していなかったようにヒーニアは目を見開いていた。
「え……ギルドをご存じないんですか?」
「何かまずいのか?」
「まずいというか……えっと……」
しどろもどろになったヒーニアは、続けて似たような質問を僕に飛ばしてくる。
「私たち
「知らない」
「ヘイルフェンのことは?」
「さあ」
「汚染域と魔女のことは?」
「初耳だ」
全てに即答すると、ヒーニアは深刻そうな顔でヴィルを見やった。
ヒーニアの視線に、ヴィルはため息一つ。
「不法入域、ギルド非所属、パーティもなし。そんで何より、この世界について無知すぎる。いやまったく……怪しさしかねぇな」
クククとヴィルは笑う。
そしてヒーニアが何か確信を得たように、僕を見つめてきた。
「ジンさん。あなたもしかして……異世界から来られましたか?」
「異世界……」
「この世界とは違う、まったく別の世界から訪れた人を私たちは異世界転移者と呼んでいます。ジンさんもそうなのでは……?」
小春の冗談が脳裏をよぎる。
(異世界、とか?)
ああ、そうか。当たっていたんだな……。
「そうだ。僕は別の世界から来た」
僕は確証とともにそう答えた。
「ヴィルどう思います?」
ヒーニアがヴィルに投げかける。
彼女はまだ、何かに引っ掛かっているような表情をしていた。
「異世界転移者ってのは間違いねーと思うぞ。だが、」
「ええ、汚染域に転移する例というのは聞いたことがないです。それも、神の加護なしで……んん〜?」
『汚染域』そんな聞き慣れない言葉と共に、ヒーニアは難しい顔する。
「なあ、さっきから言ってる汚染域って一体……」
「ほらよ」
僕が問いかけようとすると、ヴィルがシチューのような白濁色の汁が入った茶碗を差し出してきた。
「腹入れとけ。どうせ、こっちに来てからなんも食ってねぇんだろ」
「あ……悪い……」
僕は差し出されたお椀を受け取り、中を見下ろす。
具材は一口台に切られた肉のみ。湯気が立ち、香ばしい香りが鼻を通った。ゴクリと喉が鳴る。
久々に空腹を自覚した僕は、そのまま茶碗を恐る恐る口に運んだ。
「美味しい……」
口いっぱいに広がったコクのあるクリームの味わいは、シチューと遜色ないものだった。
僕の反応を見たヴィルは、満足そうに口角を上げた。
そして同じものをヒーニアにも手渡して、僕の前にドカッと腰を降ろしてくる。
「汚染域が何かだったな。説明してやるよ」
ヴィルはお玉を逆さまにして、持ち手の部分で地面に何かを描き始めた。
「よし」
完成したのは、横に長く伸びた楕円の図。そしてその内側には、面積の四分の1ほどを占める円が描かれていた。
ヴィルはお玉の先端で、楕円をトンと指す。
「これがヒーシェン大陸」
どうやらこの絵は大陸図になっているらしい。見た感じはかなり広大な様だが、他の大陸が描かれていない事もあってまだ分からない。
ヴィルは続けてヒーシェン大陸の中にある円を指した。
「そんでそのど真ん中にあんのが俺たちが今いるここ、汚染域だ。半径約1000キロメートル。面積約314万平方キロメートル。ヒーシェン大陸の四分の一に相当する大地が、もう人の住めねぇ環境になっちまってる」
「四分の一……広いな」
「俺たちが生まれた頃はもうちょい控えめだったんだけどな」
視線を落とし、そうこぼしたヴィルに僕は違和感を覚えた。
「控えめ?」
「広がってんだよ、汚染域は」
「……どういうことだ?」
「汚染域の発生源は、ヒーシェン大陸のど真ん中にあったエルドーレってちっせぇ国らしい。大陸の十分の一にも満たねぇその国が、原因不明の爆発によって汚染域に変貌した。そっから百年、汚染域はここまで大きくなってやがる。しかも厄介なことに、その拡大速度は近年加速傾向にある。もしかすっと、数十年後にはこの大陸丸ごと飲み込まれてるかもな」
冗談を言う様子でもなく、ただ淡々と話すヴィルの表情はどこか暗い。
人の住めない大地の拡大。それはつまり、大陸を越え世界までもが飲み込まれるということだろう。
「人類の危機じゃないか……」
「そういうこった」
「おやおやヴィル、いつになく弱気じゃないですか〜。なんのために私たちがいるのか忘れちゃいました?」
唖然とする僕にヴィルが相槌を打った時、それまで沈黙していたヒーニアがケロッとした様子で入り込んできた。
ニコッと朗らかな笑顔が僕に向く。
「私たち
「浄化?」
「はいっ!言っときますが本気ですよ?汚染域全体を、人の住める大地に戻すのが我々
ヒーニアはフンと鼻を鳴らし、控えめな胸を目一杯張った。
「汚染を浄化……だから
「ええ。けれどまあ、名前の割にガサツな人が多いのも事実ですが……」
ヒーニアは、わざとらしくジト目でヴィルを見る。
すると、すかさずヴィルが睨み返した。
「何見てんだコラ」
「ヴィルはもっと達観して、冷静に物事を判断できるようになった方がいいです。そうだ、練習しましょう!あんがーまねじめーんつっ!はいっ!!」
「はいっじゃねぇ!!誰がやるか!!」
二人の軽口に、思わず笑みがこぼれた。
……まだ、笑えるみたいだ。
「おや、笑われてますよヴィル」
「おめーがふざけたこと言うからだろボケ」
不愉快そうに顔を歪めるヴィルに、ヒーニアはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべている。
そんな二人と過ごす時間はどこか居心地が良くて、僕は少しだけ肩の荷が降りた。そんな気がした。
「
20分ほど経っただろうか。ヴィルが洞穴の外を見て、立ち上がった。
気づけば吹き荒れていた嵐は止み、水を打ったような静けさが灰の大地を包んでいた。
「そうですね!」
立ち上がったヒーニアは、僕に手を伸ばしてくる。
「ほら、ジンさんも」
その姿が、倒れる僕に手を伸ばす小春の姿と重なる。僕はためらった。
あの力は一体なんだったんだろう……。そもそもあれは現実なのか?どこからが夢だったのか、思い出せない……。
「どうかしました?」
「……いや、なんでもない。自分で立てるよ」
「おやそうですか?ではレッツゴーです!!」
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