プロローグ

 シャンデリアが磨き上げられた大理石に反射してまぶしく輝いていた。

 着飾った女性が集結し、香水や化粧品の匂いが充満しつつ、熱気にあふれている。フロアに通じる階段の上、二階の奥の扉が静かに開く。

 最初に姿を現したのは眼鏡をかけた物腰柔らかく、動作に丁寧な印象を受ける二十代の男性。濃い緑色の上着を羽織り、しっかりと締められたクラバットが品格をきわたせている。

 男性は一歩前に出るとせきばらいした。その音を聞いた会場にいる人々の視線が彼に集中する。

「このロンバルドの地にお集まりいただき、ありがとうございます。皆さまはこれより、このおしきで自由にお過ごしください。その間、裏門はいつでも開いておりますので、帰宅は個人の自由となります」

 淡々と説明するけど、いったいなんのことを言っているの?

 こめかみが痛み始め、ズキズキする。顔をしかめながらも聞いていた。

「なお、期間は二か月を予定しております。どうか、ご縁ある素晴らしい方が、婚約者として選ばれますように」

 婚約者? 選ばれる? なんの話?

 中世ヨーロッパ時代を思わせるドレスで着飾った女性たち、まさかここにいる女性全員が対象なの? その婚約者とやらの……。

 あせって周囲を見回すも、私と同じように取り乱している様子の人は、誰一人として見られなかった。皆が一言一句聞き逃すまいと、真剣そのものだ。すさまじい気迫さえ感じられる。

 その時、赤いじゆうたんを踏みしめ、二階の奥の扉から姿を現した人物がいた。

 一瞬にして空気が変わり、ここにいる皆が視線を奪われる。

 スラッと伸びた手足に、サラサラと輝く髪は金糸のよう。青い空を思わせる瞳にスッと通った鼻筋。その姿は、まるで神々が彫刻したかのような完璧さで、見る者すべての時を止めた。純白の上着は、まるで神聖なオーラをまとっているかのようだ。襟元には繊細な金色のしゆうが施され、流麗な曲線を描いている。

 彼は端整な顔をフロアに向けているが、どれだけ視線を集めようと、動じた様子も見せなければ、あいわらいでニコリとすることもない。

 彼を視界に入れた途端、頭を鈍器で殴られたぐらいの衝撃を受けた。心臓がドクドクと音を立てる。

 私は彼を知っている──。

 確信にも似た思いを抱くと唇が震えた。いや、全身に震えがきた、といった方が正しい。

 うそでしょう、これは夢? えっ、なんで……!?

 高い場所から皆を見下ろす視線は、まるで絶対君主のようだ。威圧感がある姿に視線をらしたくとも、なぜかきつけられた。

「こちらがゼロニス・ロンバルド様です」

 その紹介を聞き、最初は耳を疑う。

 えっ、やっぱり!? ゼロニスってあのゼロニスなの!?

 周囲の女性が色めきたったのを肌で感じる。私は目を見開き、唇がわななく。

 いったい、ここはどこなの!?

 中世ヨーロッパを思わせる舞台にも混乱し、叫びたくなる。

 そう、彼は小説『暴君の溺愛』のヒーロー、ゼロニス・ロンバルド侯爵。あの容姿は間違いない。『暴君の溺愛』とは私が愛読していた小説だ。話の続きが楽しみで、寝る時間を削って読んだ一冊。

 ヒーローのゼロニス・ロンバルドは侯爵家の跡継ぎであり、大富豪。

 魅力的な容姿はまさに小説のヒーローといった感じだった。

 ──見た目だけは。

 イケメンだが性格は厄介だった。自分に盾突くやつは潰し、敵だとみなしたら容赦しなかった。彼に目をつけられたら終わり。平穏な人生は送れなかった。

 その彼が目の前にいる──。

 なぜ、どうして?

 隣にいるのは側近のフォルクだろう。黒髪で柔らかな印象を受けるが、かなり頭が切れる。ゼロニスが心を許す、数少ない人物だ。

 小説を読み込んだ私なら知っている。

 このイベントはきっと、ゼロニスの婚約者選定の始まりを告げる舞踏会だ。

 ゼロニスは結婚になど興味がなかったが、その立場上、いつまでも独り身を貫けないことは彼もわかっていた。年々うるさくなる周囲にあきあきし、渋々と婚約者を選定する催しを開催した。

 それはゼロニスの屋敷の別宅に婚約者候補となる女性、すなわち適齢期の貴族の娘を一堂に集め、二か月をかけてその中から選定する、というもの。基本、ゼロニスは去る者は追わないので、いつこの婚約者選定から降りようと、本人の自由だった。レースから降りたければ屋敷の裏口は開いており、そこからそっと去ればいいだけ。

 このロンバルドのお屋敷を舞台に、女性たちの闘争が始まる。ただ一人、ゼロニスという男から選ばれるために──。

 最初は恋愛なんて面倒だと思っていたゼロニス。適当に婚約者を選ぶつもりでいた。

 だが彼は、ここで運命の出会いを果たす。

 そこまでを思い出し、いてもたってもいられなくなる。

 

 か、鏡!! 鏡はどこ!?

 上から静かに見下ろすゼロニスに、皆の視線がくぎけになっている。だが私は構わずクルッときびすを返す。

 早足で扉に向かい、フロアから姿を消す。扉がパタンと閉まった途端、走り出した。

 赤い絨毯が敷かれた長い廊下を、重たいドレスの裾を引きずりながら駆ける。息はすぐに上がり、胸が苦しくなる。いくつもの客室の扉を横目に通り過ぎ、広々とした廊下へとたどり着いた。

 壁に掛けられた、優美な装飾が施されたえん形の鏡に目を留め、のぞき込んだ。

 きつめに巻かれ、カールした茶色の髪。薄紫の目とつり上がっている目尻は勝気な印象を受ける。なによりも頬に施したパウダーの色の濃さ、唇に塗られた真っ赤な色、目元の濃いシャドウも特徴だ。胸元がざっくりと開いた露出度の高い、派手な深紅のドレス。

 怖いぐらいに、すごく派手な女性が映っていたので、驚いてパッと目を逸らす。からまれたら大変だ。

 だがすぐにガバッと顔を上げる。もう一度彼女に視線を向けると、相手もまた自分を見ていた。


 わ、私なの!? これって?


 鏡に映る人物を見て全身が震え、喉の奥からヒッと声が出た。

 そこにいた人物はラリエット・メイデス。

『暴君の溺愛』での立ち位置は──悪役令嬢。モブの当て馬だが、小説のイラストと一致する。しかも悲しいことに、物語の途中であっさり退場した。

「ど、どうして私がラリエットになっているのよ!!」

 よりによって悪役令嬢だなんて!!

 頭をかきむしりながら叫んだ。

 しばしぼうぜんとなり、鏡の中の自分を見つめる。右に首をかしげれば、鏡の中の自分もまた、同じように傾げた。舌を出してみればまた同じ。

 頭がクラクラすると同時に嘆いた。

「ど、どうしろっていうのよ……」

 落ち着いて、落ち着くのよ、私。

 焦って混乱しているが、必死に冷静になれと自分に言い聞かせる。

 ヨロヨロとよろめき、壁にもたれかかると、目を閉じて深呼吸をした。

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