プロローグ

 思い出すのは、あの日の夏の空。

 太陽の光を反射した海面のようにきらめいていて、爽やかな夏の風が吹き抜けていった。

「私はきっと、聖竜騎士と結婚するわ!」

 宣言する彼女に、少年は首をかしげる。

「聖竜騎士? 何で?」

 尋ねられた彼女は、自信満々に、腰に手を当てて答えた。

「そう決まってるからよ。運命みたいなものだわ。私は聖竜騎士と結婚するの」

 聖竜騎士、それは限られた人間しかなることができない、特別な職業。

 彼女──アリアドネは、聖竜に強い憧れを抱いていた。

 王子様に憧れる娘のように、彼女は聖竜に夢を見ていたのだ。

 聖竜が好きだから、その繰り手である聖竜騎士と結婚する。

 それはあまりに短絡的なのだが、彼女は本気だ。

「【生きる神秘】、【国を守る奇跡】と言われる聖竜の繰り手よ? とっても素敵なひとよ、きっと」

 彼女は楽しげに語る。その夢を。

 そんな乙女の夢想を聞かされた相手の少年はつまらなそうな顔をした。彼は草むらの上に寝転がっていたが、体を起こし、彼女に尋ねた。

 その背にはたくさんの草がついている。

「ふぅん? アリアドネは聖竜騎士が好きなの?」

 聞かれた彼女は困ったように眉を下げた。

「好きなのは聖竜じゃなくて聖竜だけど……。でもいずれ結婚するのだから、似たようなものなのかしら」

 やっぱり、つまらない。

 彼はそう思った。何せ、平民の彼にとって聖竜騎士など夢のようなもの。

 雲の上の存在だ。だから、少年は意地悪に言った。

「そんなすごいやつがアリアドネを選ぶとは思えないけど。高望みしすぎなんじゃないの?」

 彼女はムッとして言った。

「するの。きっと、聖竜騎士と結婚するんだから!」

 しかし、彼女の怒りは長く持続しない。そういう性格だからだ。

 また機嫌良く聖竜騎士について語る彼女に、気が付けば彼は言っていた。

「俺、聖竜騎士になるよ。俺が三人目になってみせる」

 突然の宣言に、彼女は目を丸くする。それも、当然だ。聖竜騎士というのは、国内でもふたりしかいない。選ばれた、特別な人間しかなれないのだから。

「あなたが? どうして?」

 それに対する返答は決まっていた。

 だけど、まだ言えない。まだ、何も持っていない今の状況では。

 だから、彼はムスッとした顔ではぐらかした。

「どうしても何も、別にいいだろ。……アリアドネは、聖竜騎士と結婚するんだろ?」

「そうだけど……。でも、聖竜騎士になるのは難しいわよ? 国内でもふたりしかいないんだから」

「俺が三人目になるよ」

 彼女は、驚いたようだったけど、決して馬鹿にはしなかった。子どもの夢物語だとか、大言壮語だと笑ったりしなかった。ただ、彼女は──自身の髪を結ぶリボンを解くと、それを彼に渡した。

「……髪には、魔力が宿ると言われているのよ。だから、あなたが本当に聖竜騎士を目指すと言うなら──これを」

 彼女がいつも身に着けていた、青のリボン。以前、彼女から聞いた。それは、彼女の母がくれた大切なものだそうだ。

 それを、自分に渡してくれるということは──。その意味を理解して、彼は笑った。

「俺は、必ずなるよ。聖竜騎士に」

 それに、アリアドネは微笑ほほえんだ。いつものはじけるような笑顔ではなく──彼を見守るような、そんな笑みだった。


 ──十年後。

 竜舎の寝室で目が覚めたヴェリュアンは、久しぶりに見た過去の記憶に、ため息をいた。

 あれから、十年。彼は、今も彼女──アリアドネに会えていない。

 彼女が今どこにいるのか。何をしているのか。生きているのかすらも、わからない。

 だけど、アリアドネが怒りをすぐ忘れてしまう性格なのと同じように、ヴェリュアンも、一度決めたことは必ず成し遂げる執念深い性格だった。道のりは長く厳しく、そもそもこの先にゴールがあるかすらも分からない。だけど、諦めきれない。諦められないのだ。

(あの日は、とても青空がれいだった)

 抜けるような青空に、白い雲のコントラスト。何気ない、夏の日。とある記憶。

 だけど、それから十年っても、いまだ彼はあれ以上の空を見たことはない。いや、そう思っているのは自分だけなのだろう。

 なにせ、彼にとって、あの日は何よりも特別な日なのだから。

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