《序章》首なし魔女の誕生日

 満月の夜。小さな寝息と、わずかに床がきしむ音。

 すやすやと気持ちよさそうに眠る少女のもとへ、白い影が忍び寄る。亡霊のような白い影は、眠る少女を見下ろすと嘲るようにささやいた。

「あんたさえ、いなければ」

 そよ風よりもかすかな囁き。

 白い影は少女の髪へと触れる。

 まるで紫水晶アメジストを練りこんで編んだような、艶やかでれいな紫髪。色のない自分の髪とは違う、集落の誰もが目をかれる存在。

「あんたは、魔女でもないくせに」

 それなのに、のうのうとここで暮らしているのが気に食わない。母が、先人が、それを許したとしても、自分だけは──ドロテだけは、許さない。

 血がつながらずとも同じ女性を母と呼び、魔女の生まれでなくとも同じ女性を師と呼んだ。

 それがどんなに傲慢で、強欲なことか、この妹弟子は知りもしない。

 何も思わず、ただ与えられる恩恵を享受しているだけ。それすらも気に食わない。

 穏やかに眠る妹弟子を見下ろして、ドロテのあかい瞳がぞうで濁っていく。

「母さんも、集落の魔女たちも、あんたのこの髪に執着しているだけ。それならその執着を、あたしが捨ててやる」

 それだけが、ドロテにできる手向けだ。

 ほうきぼしの魔女として命を終えた母へと贈る、最高の手向け。

 ドロテは妹弟子の細い首へと手をかける。

 指先に憎悪をしたたらせて、その首を。

「ん……お姉さ、ん?」

 夜闇に微睡まどろむ優しい瞳。

 満月色の優しい瞳が、ドロテを見つける。

 ふくふくと幸せそうに笑う妹弟子に、ドロテは身をこわらせて。

「日はもう変わったのかしら。お姉さんは早起きね。今日はわたしも、はりきるのよ……だって、きょうは……」

 お姉さんの、お誕生日だから。

 睡魔に負けてしまった妹弟子は、楽しそうに微笑ほほえみながらまた眠りにつく。

 ドロテは唇をみしめた。

 だから嫌いだった。

 ドロテはこの妹弟子のことが心底気に食わないのに、彼女は気にしていない。まるでドロテのことを宝物のように大切にしようとする。そんなこと、望んでいないのに。ドロテは彼女のことが嫌いなのに。

 もう一度、指先に憎悪を滴らせる。

 妹弟子の言葉が脳内で行ったり来たりする。

「……これは、ただの気まぐれだ。今日はあたしの、誕生日だから」

 毎年、誰よりも一番におめでとうを言うのは、この妹弟子だ。そして、ドロテにも同じ言葉を要求する。いつもなら絶対に返さないけれど、今日くらいはその言葉の分だけ、ドロテの中にちりのようにうっすらと積もった優しさを残してやってもいい。

 ドロテは妹弟子の首にかけていた指を離すと、紫の髪を数本引き抜く。髪を抜かれた妹弟子はむずがるように眉間にしわを寄せたけれど、起きる素振りはない。その様子を無感動に見下ろしたドロテは、抜いた髪へと魔法をかける。

「誕生日おめでとう、ネリー。これがあたしからの贈り物。あんたからもらう贈り物は」

 ドロテはネリーの首にリボンを結ぶ。

 女性の横顔が彫られたカメオが付いたチョーカーが、ドロテからの贈り物。

 その対価としてもらうのは。

「あんたの首だ」

 ドロテのじゆが、眠る少女へからみついた。

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