楽園

雪うさこ

鬼の住処


 目を開けてみると、見知らぬ場所にいた。

(ここはどこだろう?)

 ゆっくりとからだを起こすと、あちらこちらに痛みを感じて驚いた。

(いったい……私はどうしたというのだろうか)

 私の名前は竹内みさお。十七歳。

 人は未知なるものを目の前にすると、大いなる不安を抱える。人が不安を覚える原因は、何通りかあるそうだ。

 まずは過去だ。過去を振り返り、自分の過ち、過去の嫌な出来事を思い出して、人は不安に駆られる。

 そして未来。起こるかどうかも不確かなことを想像しては、不安を覚える。未知なるものへの畏怖。そう、人は未知なるものを目の前にして、平常心ではいられないものである。

 今の私がまさしくそう。未知なる世界に迷い込み、自分の置かれている状況も理解できぬまま、こうしてここにいる。不安になるに決まっているではないか。

 私の家は、木造平屋。狭い家に祖父母、父母、父の妹の洋子おばさん、兄と姉、そして妹の九人家族が身を寄せて暮らしている。一人一部屋なんでもらえるわけもなく。私は姉と妹と一緒に一つの部屋で寝起きしているのだが。

 どうやらこの部屋は私たちの部屋ではない。広さは六畳間くらいだろう。壁面には茶箪笥が並び、鏡台もある。部屋のあちらこちらには、仲睦まじく笑顔で寄り添っている男女の写真が飾られていた。

 痛むからだに鞭打って、布団から立ち上がると、私はその写真を手に取る。

 目尻に皺を寄せ笑う男性は優しそうな人だった。

 その男性の隣にいる女性は、母にも似ている。いや、洋子おばさん? 

 この写真はおばさんのもの? 

 ここはおばさんの部屋……?

 胸の奥がざわざわと波打った。胸のあたりで手をぎゅっと握りしめた瞬間。部屋の入口に一人の女性が立っているのに気がついた。

 驚いて振り返ると、彼女は「もう、寝てばかりいて。今、何時だと思っているの?」と言った。

 年のころは六十歳くらいだろうか。しかし、全然見覚えのない顔だ。いや、待って。どことなしか、姉にも似ているかも知れない。しかし、私の姉は今年十九歳。こんなおばあちゃんではない。

 彼女は「時計を見てください」と言って、壁にかかっているを指さした。

 彼女が指さしたモノには、不可解な記号が大きさもまちまちに羅列されている。あれはなにを意味するのか。私にはわからない。

 首を振って女性を見返すと、彼女は「もう、いいです。ご飯にしましょう」と言った。

 私が黙っていると、彼女はとても寂しそうな表情を浮かべた。それから、小さくため息を吐くと、部屋から出て行ってしまった。

 なぜ、彼女がそのような態度を取るのか。私にはわからない。それよりも、こんな見も知らずの家にはいたくはなかった。

(家に帰りたい。ここはどこ? 知らない人ばかりで怖い)

 あの女性に見つかってはいけない。こっそりと抜け出すのだ。ここにいてはダメな気がした。

 写真を元に戻し、そっと部屋を横切ってから、廊下に顔を出す。

 なんとも薄暗く、そして不気味な家だった。

 廊下の奥はどうなっているのかわからないくらいに暗く、そして歪んで見える。廊下の奥からは、食べ物のいい匂いがしているけれど、そんなことはお構いなしだ。

 あの女性が顔を出す前に、ここを抜け出すのだ。

 (玄関はどこかしら。右? 左?)

 右を向いても、左を向いても、どちらも廊下の先が見えない。廊下はぐにゃりと歪んでいて、歩くのに難儀したが、私も必死。このままここにはいられないのだ。

(家に帰りたい。家に帰りたい)

 廊下を伝い、歩みを進めていくと、やっと玄関らしきものを見つけた。

「出られる……」

 嬉しくなって、不意にそう呟いた瞬間。後ろから急に腕を掴まれた。

、どこに行くの!?」

 先ほどの女性が私の腕をぎっちりと捕まえて、鬼のような形相で立っていた。

「お母さん? なにを言っているの。ここは私の家ではない! 家に帰らなくちゃ。家に——」

「もう、いい加減にして! 毎日、毎日」

「毎日ですって? あなたこそ、なにを言っているんですか。あなたと会うのは今日が初めてよ!」

「いいえ、昨日も、一昨日も、ずーっと会っているわ!」

 彼女の顔はまるで般若のように、歪んで見えた。

 ぎっちりと掴まれたその腕を引き離そうとするけれど、彼女の力はものすごく強くて、私の腕はちぎれてしまいそうだった。

 ここは鬼の住処だ。私はここから永久に出られないのかも知れない。そう思った瞬間、目の前が闇に包まれる。私は恐ろしい家に閉じ込められたのだ——。

 助けて。

 怖い。

 ここから離れたいのに。

 ああ、廊下の奥に白くぼんやりと光る人影が揺れている。

 あの写真の男性だ。男性はにっこりと笑みを浮かべて私を見ている。

(知らない。知らないのよ。あなたなんて。知らないの——)

 なぜか私の目からは涙が零れ落ちる。

「ごめんなさい……。あなたのことは知らないの」

 思わず口から謝罪の言葉が洩れる。

 不安で胸が押しつぶされそう。どうしてこんな目に遭わなければならないのかしら……。

 あの家に帰りたい。父も母もいて。みんなが私をかわいがってくれた、あの家に。あの家にいれば、なんの心配もない。みんなが私を守ってくれる。安寧の場所。私の楽園ユートピア

 






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る