楽園
雪うさこ
鬼の住処
目を開けてみると、見知らぬ場所にいた。
(ここはどこだろう?)
ゆっくりとからだを起こすと、あちらこちらに痛みを感じて驚いた。
(いったい……私はどうしたというのだろうか)
私の名前は竹内
人は未知なるものを目の前にすると、大いなる不安を抱える。人が不安を覚える原因は、何通りかあるそうだ。
まずは過去だ。過去を振り返り、自分の過ち、過去の嫌な出来事を思い出して、人は不安に駆られる。
そして未来。起こるかどうかも不確かなことを想像しては、不安を覚える。未知なるものへの畏怖。そう、人は未知なるものを目の前にして、平常心ではいられないものである。
今の私がまさしくそう。未知なる世界に迷い込み、自分の置かれている状況も理解できぬまま、こうしてここにいる。不安になるに決まっているではないか。
私の家は、木造平屋。狭い家に祖父母、父母、父の妹の洋子おばさん、兄と姉、そして妹の九人家族が身を寄せて暮らしている。一人一部屋なんでもらえるわけもなく。私は姉と妹と一緒に一つの部屋で寝起きしているのだが。
どうやらこの部屋は私たちの部屋ではない。広さは六畳間くらいだろう。壁面には茶箪笥が並び、鏡台もある。部屋のあちらこちらには、仲睦まじく笑顔で寄り添っている男女の写真が飾られていた。
痛むからだに鞭打って、布団から立ち上がると、私はその写真を手に取る。
目尻に皺を寄せ笑う男性は優しそうな人だった。
その男性の隣にいる女性は、母にも似ている。いや、洋子おばさん?
この写真はおばさんのもの?
ここはおばさんの部屋……?
胸の奥がざわざわと波打った。胸のあたりで手をぎゅっと握りしめた瞬間。部屋の入口に一人の女性が立っているのに気がついた。
驚いて振り返ると、彼女は「もう、寝てばかりいて。今、何時だと思っているの?」と言った。
年のころは六十歳くらいだろうか。しかし、全然見覚えのない顔だ。いや、待って。どことなしか、姉にも似ているかも知れない。しかし、私の姉は今年十九歳。こんなおばあちゃんではない。
彼女は「時計を見てください」と言って、壁にかかっているモノを指さした。
彼女が指さしたモノには、不可解な記号が大きさもまちまちに羅列されている。あれはなにを意味するのか。私にはわからない。
首を振って女性を見返すと、彼女は「もう、いいです。ご飯にしましょう」と言った。
私が黙っていると、彼女はとても寂しそうな表情を浮かべた。それから、小さくため息を吐くと、部屋から出て行ってしまった。
なぜ、彼女がそのような態度を取るのか。私にはわからない。それよりも、こんな見も知らずの家にはいたくはなかった。
(家に帰りたい。ここはどこ? 知らない人ばかりで怖い)
あの女性に見つかってはいけない。こっそりと抜け出すのだ。ここにいてはダメな気がした。
写真を元に戻し、そっと部屋を横切ってから、廊下に顔を出す。
なんとも薄暗く、そして不気味な家だった。
廊下の奥はどうなっているのかわからないくらいに暗く、そして歪んで見える。廊下の奥からは、食べ物のいい匂いがしているけれど、そんなことはお構いなしだ。
あの女性が顔を出す前に、ここを抜け出すのだ。
(玄関はどこかしら。右? 左?)
右を向いても、左を向いても、どちらも廊下の先が見えない。廊下はぐにゃりと歪んでいて、歩くのに難儀したが、私も必死。このままここにはいられないのだ。
(家に帰りたい。家に帰りたい)
廊下を伝い、歩みを進めていくと、やっと玄関らしきものを見つけた。
「出られる……」
嬉しくなって、不意にそう呟いた瞬間。後ろから急に腕を掴まれた。
「お母さん、どこに行くの!?」
先ほどの女性が私の腕をぎっちりと捕まえて、鬼のような形相で立っていた。
「お母さん? なにを言っているの。ここは私の家ではない! 家に帰らなくちゃ。家に——」
「もう、いい加減にして! 毎日、毎日」
「毎日ですって? あなたこそ、なにを言っているんですか。あなたと会うのは今日が初めてよ!」
「いいえ、昨日も、一昨日も、ずーっと会っているわ!」
彼女の顔はまるで般若のように、歪んで見えた。
ぎっちりと掴まれたその腕を引き離そうとするけれど、彼女の力はものすごく強くて、私の腕はちぎれてしまいそうだった。
ここは鬼の住処だ。私はここから永久に出られないのかも知れない。そう思った瞬間、目の前が闇に包まれる。私は恐ろしい家に閉じ込められたのだ——。
助けて。
怖い。
ここから離れたいのに。
ああ、廊下の奥に白くぼんやりと光る人影が揺れている。
あの写真の男性だ。男性はにっこりと笑みを浮かべて私を見ている。
(知らない。知らないのよ。あなたなんて。知らないの——)
なぜか私の目からは涙が零れ落ちる。
「ごめんなさい……。あなたのことは知らないの」
思わず口から謝罪の言葉が洩れる。
不安で胸が押しつぶされそう。どうしてこんな目に遭わなければならないのかしら……。
あの家に帰りたい。父も母もいて。みんなが私をかわいがってくれた、あの家に。あの家にいれば、なんの心配もない。みんなが私を守ってくれる。安寧の場所。私の
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます