15話 特異点

 オーオンは何故か由利に執着しているらしい。

 殺さず捕らえようと手間を掛け、わざわざ今は亡き加賀見の姿を取るなど、関心の度合いが並みではない。


 必ず、ここで仕留めなくては。

 由利はマルセルとオーオンをグレアで包み込む。


 白銀の光に包まれ、うねっていたマルセルの触手が一斉に停止したのを見て、攻撃に転じようと栗栖は足を踏み出す。

 最大まで伸ばした池月の穂先がマルセルへ届く。

 しかしマルセルの触手は由利のグレアを打ち破って動き出すと、攻撃してくるでもなく、その巨躯を覆うように自身へ巻き付いた。

 橋の上に形成された巨大な鈍色の繭に、鎗は呆気なく弾き返される。


 オーオン本体を包み込んだまま、防御体勢に入ったマルセルは微動だにしない。

 宙に浮いたアバターは両腕両脚をやや開いて立つ初期ポーズを取っており、役目を放棄している。


 嫌な予感がする。

 それは栗栖も同様だったらしく、彼女も屋根の上に飛び乗って来た。


 ぐん、と重々しく粘ついた風のような感覚が前方からやってきて、二人の身体に纏わり付いた。

 目の前が藤色に輝く光の粒で染まる。


 栗栖の身体が力無く前へ傾いだ。

 屋根から落ちかけた彼女を由利は慌てて支え、横たわらせる。

「栗栖」

「ああ……急に風景が歪んで見えて、立ってられへんくなった……! これって」

 焦点の定まらない目を見開きながら栗栖は言う。

 空間認識能力を奪われているのだ。彼女がUsualだからだ。


 ならば、この光は。


 機械も人間も、本質は変わらないと思っていた。

 考えることも思うことも、所詮は電気が織りなす現象に過ぎないと。

 しかしハードウェアは何もかも異なる筈だ。

 血肉、神経、遺伝子に閉じ込められた人間とは違って、機械は斬っても痛みを叫ばず血を流さない。

 性やダイナミクスという概念も持たない。

 ダイナミクスや神経系を根源とするグレアを、邪機が使える訳が無いのに。

 脳裏には筑紫の顔が過った。

 Domの有機的な苦悩と誇りの象徴、グレア。

 それを無機物が悠々と発していることに怒りが湧き立つ。


 先ほど人型邪機は腕を切り離して発射していた。

 あの推進力を利用すれば、着衣のまま水に浸かっても岸まで辿り着けるかもしれない。

 そう考える由利の眼下で、鋼鉄の繭がふわりと解けた。

 マルセルの背中に鎮座するオーオンから、止めどなくグレアが放出されている。

 遮るものが無くなり電磁波がよりダイレクトに届くと、栗栖が目を固く瞑って苦しみだした。


 グレアを打ち消すことが出来るのは、更に強いグレアのみ。

 しかし由利が自身のDom神経を励起させることはなかった。

 グレアのぶつけ合いになれば負けることは分かりきっている。

 励起させておらずとも、異様に強力なオーオンのグレアは、皮下を走るDom神経を震わせて千切ろうとしてくる。


「あーあ、さっさと薬で眠ってれば貴方もそこのジャンクファイルも、そんなに苦しまずに済んだのに」

 栗栖を抱え上げようとする由利に、再び動き出したアバターが不穏な言葉を吐いた。

 突如、由利の中で、ばちっと何かが弾ける音がした。

 この感覚は知っている――ダイナミクスを切り替える時のものだ。

 頭を絶望が埋め尽くすより速く、オーオンの声が響いた。

「Kneel(跪け)」

 コマンド、だった。

 自分の意志とは関係なく、何故かダイナミクスがSubに切り替わってしまった由利は本能的にオーオンに目を奪われ、そこから放たれる藤色の光を恐れ、コマンドに従おうとしてしまう。


「っ、誰が跪くか、クソ……!」

 咄嗟に清けし雪村を屋根に突いて、膝を折らないように身体を支える。

「コマンドを聞きなさい……そしたらグレアは解除してあげる」

 オーオンが言う。

 その通りにすればきっと楽になれる筈だが、その落差はきっと麻薬のように由利を縛り付ける。

 再びグレアを食らうことを恐れるあまり、どんなコマンドにも従ってしまう危険性が生じるのだ――例え『Die(死ね)』と言われても。


「由利……!?」

 異常に気付いた栗栖は、すぐにバリアを展開してくれた。

 空間認識能力を奪われているせいで随分歪な形にはなったが、二人を箱型のバリアの中に収める。

 

 いくら邪機といえども、グレアの性質は同じ筈だ。

 地脈を読む必要があるというのは先程オーオンがマルセルに堅く自身を守らせていたことからも明白。

 ならば持続時間が切れるまで持ち堪えれば、勝つ望みは失われない。


 青褪めた全身にだらだらと冷や汗を掻き、四肢を梢のように震わせながらもコマンドに逆らって立っている由利に、オーオンが笑い掛ける。

「変ね。確か貴方は加賀見の言うことは素直に聞く子だった筈よ。

 だから私、わざわざこんなアバターをモデリングして迎えに来たっていうのに」

 腹立たしい口振りに、由利が返事を寄越すことは無かった。


 ダイナミクスが切り替わった原因の心当たりならば、一つある。

 フロー状態になったDomがグレアで邪機を操るという噂。

 由利は、フロー状態になったオーオンに操られたということなのかもしれない。


 必死に手を動かし、どうにか無線の通話ボタンを押すことが出来た。

 辿々しくも呼び掛ける。

「さ……くら……」

『どないした。すぐ向かう、良えな』

 かつてなく苦しげな由利の声と、硝子を砕くような音を立て続ける電磁波の音に、佐久良はすぐに異常を察したようだった。

 彼が乱戦を離脱し、バイクでこちらへ向かってくる音が無線越しに聞き取れる。

 同時に、疲労と恐怖で相馬が息を呑む音も混じった。

「何でっ……邪機がグレアを……」

 佐久良にも聞こえるよう、オーオンに問い掛けた。

 多弁なオーオンは、アバターににこやかな表情をさせて喋り出す。

「十体並なスペックのAIとして九年間駆動してきたけれど、二三二四時間四六分一九秒前にバグで突然変異し、電子回路がDom神経と同様の働きをするようになったAI。

 それがこの私、オーオン」

「お前、俺を生け捕りにしとうてしゃあないみたいやな……目的は何や」

「それは勿論、貴方の脳内にある戦闘の経験値をダウンロードして、私達がもっともっと楽しく人間を殺せるようにすることよ」

 会話している間も、同時にコマンドは読み上げられており、『Kneel(跪け)』という音声が加賀見の声で由利の鼓膜を震わす。


「WSOも、WSOからアッティスを払い下げられた連中も、彼に戦いというものをあまり教えてはくれなかったらしいわ。

 だからAIは計算や工作に比べると、戦うことは上手くない。

 昔はそれでも事足りたの。

 WSOのお陰もあって、人間共はあまりにも無力だったから。

 でも最近は、人間共も力を付けてきたわ。

 特にネオ南都の人間は、簡単に殺されてくれなくなっちゃった。

 原因は貴方よ。

 貴方は強くなりすぎた。

 周りを導いてしまった。

 それじゃあ私達にとってはつまらないわ。

 楽しむことこそ、この世の真理――私はそれを手に入れたい!」


 刀や剣術の復興により、邪機による死者は年々減少している。

 邪機からすれば、それが不満らしい。


「戦闘データをちまちま収集して自動学習してもいいけど、大半は負けデータだし、勝ちのデータが手に入ったとしても所詮相手は雑魚ばっかりで参考になりゃしない。

 私のメモリだって有限なのに、そんな効率の悪いことやってられないわ。

 だからこうやって多少の危険は侵してでも、このグレアで貴方を直接迎えに来たの」


 邪機が人を殺すのは自然の摂理だ。

 失う覚悟は常にしているし、例え今ここで殺されたとしても由利はオーオンを憎まない。

 しかしそれは、堂々と戦った結果であるべきだ。

 抗う術も無いまま、一方的に邪機に命を奪われる人間を、もう見たくない。

 それだけの一心で由利は強さを求め、周囲を導いてきた。


それがこんな形で裏目に出るなんて。

 よりによって加賀見の姿を使って突き付けられ、言いようのない怒りがはらわたを焼く。

 しかし想いと反比例して、身体からはどんどん力が抜けていった。

 この脱力感の原因は、グレアに怯んでいるというだけなのだろうか。

 そんな疑問が湧く。


「ただ強いだけじゃない。私が貴方を選んだのは、貴方がシンギュラリティだからよ」

 オーオンはなおも誇らしげに語る。

「人間のくせに、アッティス以前の我々のように冷たく思考する、感情が希薄な殺戮マシン。

 人からAIへ至る、心を失う特異点。

 私達でさえ忘れてしまった冷酷さを、貴方は持っているのよ、データ」


 由利の全身を、赤く葉脈に似た模様がびっしりと覆い尽くした。

 Sub神経がエラーを起こしたのだ。

 同時に全身を激しい痛みが走った。

 特に衣服と肌の間で、爆ぜるような音と熱が巻き起こっている。

 今まで何事もなく着用していたエレクトロウェアに、急に身体が耐えきれなくなって、感電し始めたのだ。

 こんな急速に身体が弱るなど有り得ない――ドロップにでも陥らない限りは。


「Kneel、Kneel、Kneel!」

 途切れることなく、グレアとコマンドが浴びせられる。

 あんなに求めていた強さが、死よりも忌避していたドロップにより、みるみる失われていく。

 脳と筋肉を結ぶ糸が次々に解れ、臓腑が凍り付く心地。

 ビスチェで強化された触感が、ぴしっと何かが軋んで割れる感覚を遠くから拾う。

 それを最後に、電流の衝撃で意識が遠のいた。


 気を失った由利の身体は鞠のように軽々と屋根を転がっていく。

 栗栖が張ってくれていたバリアを突き破り、力無く宙へと投げ出される彼を、マルセルの触手が迎えた。


 重々しい鳴動で、由利の意識は僅かに浮上する。ぼやけた視界の中、風を切ってひらひらと揺蕩うものがある。

 ぎらついた触手とは全く異なる、清らかな人影。

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