8話 正面対決

 ――十六秒。

 目の前に置いた時計を見て由利は溜め息を吐く。  

 グレアの持続時間が今日は伸びない。



 道場が休業なので、由利は自室でグレアの訓練をしていた。

 グレアはDomの体調や精神と密接に関わっているので、こういうこともある。

 例の夢のせいで、Sub性をコントロールしきれていない自分に焦りを感じているせいだ。


 連続でグレアを放出していたため、体内のDom神経が痺れている。

 これ以上練習しても疲労が溜まり今夜の狩りに差し支えそうなので、暫く気力を使うようなことはせずに身体を解していようと決めた時、インターホンが鳴った。



 廊下に設置されたモニターを見に行くと、小さな画面の中には佐久良の姿があった。

「今行く」

 無線を通じて声を掛け、玄関へと下りて行く。

 

 戸を開くと、何やら包みを二つも抱えて佐久良は立っていた。

 戦闘服ではなく薄墨色の羽織姿で、髪は組紐で低く括っただけ。

 彼にしては地味な格好だが、そういえば今日は鬼院山城の豊井とよい五十鈴いすずを見舞う日であったと思い出して合点がいく。

 その証に、佐久良の手指には一つ、モノクロームの精密画が嵌った指輪があった。


「見舞いの帰りか」

「ああ。最近は調子良い日が続いてはるみたいや」

「そうか」

「ほんで、これ……さっき水樹ちゃんの家の前通り掛かったら、お母さんが出て来はって、日頃の礼やってこんなにお寿司くれて」

 水樹とは道場に来ている子どもだ。

「でも俺、これから買い物して帰らなあかんし、一人でこんなに食べきれへんから」

「おう、ありがと」


 由利に包みを一つ渡すと、佐久良は踵を返した。

「また夜に」

 それだけ言って、前屈みに雨樋を避けながら去って行く。


 寿司は冷蔵しておいて、三善が店から帰って来たら共に食べよう。

 それまでは、調子を取り戻す努力をしなくては。




「佐久良ちゃんが店の前通り掛かって、いつもお世話になってますって声掛けてってくれてんけど、そういう訳やったんやな」

 寿司が届けられた経緯を聞き、三善が言った。

 その手は鯖寿司を包む柿の葉を慣れた手付きで剥いている。


 水樹の家は魚を培養するラボを営んでいる。

 ここで言う魚とは、水中を泳いでいる生き物ではなく、切り身のことだ。

 昔は生きた魚をわざわざ捌いてから調理していたらしいが、現代では可食部の細胞だけを増殖させているので、最初から切り身の状態で生産される。

 肉や卵も同様だ。


「彼、律儀で良え子やな」

「せやないと俺が仰ぐ訳ないやん」

「器量も良えし」

「ああ。まあ、飽きひん面ではあるな」

「しかも強いんやろ」

「ん。俺の次くらいには」

 佐久良を褒めている三善に、由利は相槌を打つ。


 すると三善はくすっと笑った。

「佐久良ちゃんの話しとる時の由利は楽しそうやねえ」

「そうか?」

 楽しいかどうかなど自分でもよく分からないが、確かに、他人に興味が薄く雑談が苦手な自分にしては、佐久良を語る言葉は流暢に出て来る気もする。


「――佐久良は、俺が見出した人材やからな。多少、自慢はしたくなるかも」

「良え友達持ったな」

「うん……ほんまに」

 そう、三善の言う通り、佐久良は良い友人だ。

 離れ離れや誤解を乗り越えて、無二の戦友となった。

 なのに近頃は、くだらない夢のせいで、彼への友誼を見失いそうになる。

 最近、佐久良のことを考えると頭にノイズが走ったようになる。

 話題を鹿のことに逸らしてから、由利も鮭の寿司を口に運んだ。




 戦闘服に大小の刀を差し、今夜も由利はモノノベの詰所へ行く。

 中の間には佐久良と、水間みま夏目が居た。

 夏目は由利や佐久良より幾らか年上で、涼やかな顔立ちの男だ。

 胸に届く程のワンレングスの黒髪は、白い空木の花飾りが付いた簪で捻ってハーフアップにしている。

 鳥の子色の狩衣姿で、狩衣の下には小袖の代わりにボディスーツ型のエレクトロウェアが覗いている。

 彼もモノノベの一員だ。



「由利。邪機の動向について佐久良が気に掛けとった件、掲示物や放送の手配が済んだから一応報告」

 そう言う夏目の側で、佐久良は夏目から受け取ったと思しき書類に目を通している。


「おう。ありがと」

 書類仕事については、文字を人並み以上に扱える夏目や佐久良と違って、由利の出る幕は無い。

 大人しく、二人とは少し離れた所に座って、中庭に居る鹿島や、格子の外を行き来する人々を眺める。


 ふと、見世の間の隅にある背の低い用箪笥の上、外からの光が当たらないように造花の陰に隠されながら、ほっそりした雫型の香水瓶が置いてあることに気付いた。

 尖塔のような凝ったデザインのキャップが美しく、ピンクの差し色がところどころ用いられている以外は透明で、中には液体が入っている。

 瓶の尻がぼんやり曇っているのは、硝子の模様なのか、液体の澱なのかは分からない。

 いつからこんなものがあったのだろう、と思っていると、書類が片付いたらしく、佐久良が立ち上がった。


「今夜も中型以下の群れが予想される。

 方角は北。

 御池の処理場とか発電所がある方へ行こう」


 


 御池は、詰所から北西に五キロ程の所にある。

 ゴミ処理場にバイオマス発電所が併設されている広大な施設が池の近くにある。

 昔は一民間企業の所有物だったがロトスに人々が消えて行き打ち捨てられたものを、さすらいの地の人々が利用している。

 一時期は由利の母方の一族が管理していたこともあるこの施設は、幾つかあるネオ南都の発電所の中でも最大の電力供給量を誇っている。


 それが右手に見える所まで三人はやって来た。

 邪機を追い払うのに十分な灯りはあるが人気の無い、静かな大通りを北上していく。



 突如、重々しい金属音が聞こえた。

 前方に数十もの、人間に似た影が現れる。

 闇に紛れる鉄の当世具足達。

 しかし彼らの頭――面頬より上は存在せず、具足の中も基板や銅線が滅茶苦茶に詰め込まれているだけで空洞が目立つ。

 奴らが、邪機の『量産型』と言えるものだ。



 AI達の中には当世具足を簡単に鋳造するパターンのデータが入っており、それがAI間で共有、継承されているらしい。

 昨夜倒した邪機達のように、多機能で繊細なアーム一本一本に配線を通し、ボディを流線形に磨いて造られたものは手間が掛かっている。

 それに比べれば量産型は見るからに簡単な造りだ。


 量産型の役割は、数で圧倒して人間を追い詰めること。

 屑鉄を削り出して作った刀を持ってはいるが、一体一体は大した脅威ではない。

 つまり、近くに必ず殺傷能力の高い中型以上の邪機が居る。


「路地に入って迎え撃つのは、デカブツを目視出来てから。

 取りあえず、止まらず退かず――雑魚共を少しでも削ぐ。

 つまりいつも通りで構いませんね」

 そう言って夏目は打刀を抜く。

 重々しく輝く刀身に浮かぶ白い刃文が、闇に咲く卯の花を思わせる『空木白浪』と名付けられた名刀。


 ああ、と短く返事して、由利も清けし雪村を構える。


 佐久良も、すらりと抜刀する。

 WSOによる文化廃絶から、ネオ南都の地では唯一逃れ、今日まで一〇〇〇年以上存在し続けた、ただ一振りの古刀『ガゴゼ』が彼の得物だ。

 刀箱に書かれていたその名の意味や由来は伝わっておらず、無銘の打刀。

 現代の日本刀は、このガゴゼを手本として、失われていた技術を蘇らせた職人達が作り上げたものだ。



 三人は一度もブレーキを掛けることなく全速力で群れに突っ込んで行く。

 向けられる屑鉄の刀を叩き斬って、喉輪の下に点滅している通信機を破壊する。


 隊列を突破しても振り返らずに北へと走る。

 ミラーを見ると、金属の擦れる音とちゃちなモーター音を立てながら追跡してくる量産型達の姿が映った。

 二本足で走るのは人間と変わり無いが、硬く重い外装の割に中身が空虚なせいで総重量は軽く、疲れるという概念を持たない彼らは、バイクが少しでも進路を迷えばすぐにでも追い付いてきそうな程に素早い。


 処理場と発電所の景色が後方に流れて行き、道は狭穂山の切通に突入する。

 左右には擁壁で覆われた狭穂山の断面がずっと続いている。


 切通に架けられた橋の上に、由利達はほぼ同時に邪機を認めた。

 蜘蛛に似た形の中型が二体。

 一体はじっとこちらを窺っており、もう一体はその十本程ある脚を器用に動かし、お手玉をしている――複数の人間の生首で。


 こちらを挑発したり、恐怖を与えて士気を下げたりする目的でパフォーマンス的に死体を弄ぶ邪機はよく居る。

 しかし由利たちが怯む筈も無く、効果が無いと判断した邪機は生首を走行中の三人に勢いよく投げ付けた。

 ハンドルを切って避けると、地面に衝突した生首が爆ぜて散らばる、硬質と粘着質の混じった厭な音が谷に響いた。


 生首を投げてきた方は鎖鎌を持ち、橋桁の裏側に張り付いてこちらを見下ろしてくる。

 もう一体は何故か、橋を飛び降りて道を走り去って行った。

 茂みに身を潜めてこちらを狙おうというつもりでもなさそうなので、そいつのことはひとまず保留する。

 量産型共と連携している中型の発見は出来たのだ。

 後は、狩り尽くすだけ。


「――俺が行く」

 橋とそこにへばりつく敵影まで二〇〇メートル、というところで、佐久良はバイクのシートの上に立ち上がった。

 左側の擁壁、地上から五、六メートルの高さはある辺りへ跳び移ると、そのまま壁を走りだす。

 靴の重力発生装置と佐久良の身体能力が為せる技だ。

 由利と夏目は無人のバイクと並走しながら、余裕の表情でそれを見守る。


 壁で助走を付け、橋の方へと跳び上がる。

 邪機は鎌を投げてくるが、佐久良が空中で身体を捻って正面から蹴り付けると、打撃と同時に靴の発生させた重力をも受けた鎌は、凄まじい勢いで押し戻されて邪機の機体に突き刺さった。


 バランスを失ってよろめく敵の通信機をガゴゼで両断し、落ちざまに鎖を掴んで中型を量産型達へ投げ付ける。

 量産型の約半数が圧し潰されて砕け散っていく様を視界の端に映しながら、暫く運転手不在のまま走っていたマリシテンの上に佐久良は再び降り立った。


「後は狭い所に誘い込んで殲滅やな」

 シートに座り直しながら佐久良が言う。

 ガスマスクに口元を覆われていても、彼がにこりともしていないのが分かる、落ち着き払った声だ。


「はい。しかし、さっき逃げて行きよった中型も気になりますね。

 生首でお手玉なんぞしよる奴に比べたら、だいぶ慎重そうや。

 同じ型やけど、接続されとるAIは別個体なんかも」

 夏目の推論に、由利も佐久良も同意して頷く。

「こっちも慎重にいくか。俺が哨戒と援護する」

「任せる、由利」


 三人は右手に現れた路地に入り込む。

 AIが反乱を起こすまではこの辺りも住宅地だったようだが、反乱以降は人々が狭い範囲に身を寄せ合いAIの脅威と戦うようになったので、すっかり廃墟化している。



 三人はバイクで退路を塞ぐ。

 佐久良と夏目は道に立って敵を待ち構える。

 由利は廃墟の屋根に飛び乗って、来た道を見下ろした。

「――来た!」



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 夏目も恋愛には絡んでこないお兄ちゃんポジションです。

 モノノベがチームで動いているということをちゃんと描きたかったのと、仲間に進展を見守られているカプが好きなので、サブキャラはしっかりめに書いています。

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